Go home

 自分の死期を悟ったとき、まず思ったのは「やっと逝ける」だった。
 恐怖なんてこれっぽっちもなかった。
 あるのはただ喜びだけ。
 これでようやくシノに会える。そう思ったら、年老いて痩せてカサついた胸の奥がじんわりと温かくなった。

 シノのいない、不完全で歪な世界。
 それは俺にとってもう二度と太陽の昇らない、ひたすらに夜が続くような世界だったけれど、それでもおれは生きた。
 みんな——家族——に支えられながら。
 生き抜いたその先で胸を張ってシノに会えるよう、顔を上げて、晒した両目で前を見て、精一杯生きた。

 ねえシノ。
 もしまた会えたら、話したいことがたくさんあるんだ。
 シノがいなくなってから、俺が見たもの、聞いたこと、経験したこと。たくさんのものに触れて俺が何を感じたか。
 何十年分だからね。きっとすごく長い話になるよ。
 一晩なんかじゃ足りない。何日? 何ヶ月? 何年? どれくらいかかるかわからないけど、全部聞いてほしい。
 話しながら一緒にお酒も飲もう。
 夜通し話して——朝まで飲み明かすんだ。
 だってシノ、最後に約束してくれたでしょ? 忘れたとは言わせないよ。
 俺、シノが約束果たしてくれるの、ずーっと待ってたんだから。
 だから……早く会いたいな、シノ。

 

 

「ったく、幸せそうに笑って死にやがって」
 棺の中の満ち足りた笑顔に悪態をつく。
「生きてる時にそんな顔しろってんだ」
 アイツがいなくなってからはついぞ見せたことのない、影のない笑顔。
 俺たちがまだ鉄華団だったあの頃は、アイツの隣でよくこんなふうに笑っていた。
 だからだろうか。顔はシワだらけになって、綺麗だった金髪もくすんでほとんど白くなってしまって、どこからどう見ても老人のはずなのに、今俺の目には長く伸ばした前髪で左目を隠した小さくて丸っこいヤマギが見える。
「……まあでも、よかったな」
 できるものなら早くアイツの元に行きたかっただろうに、儚い見た目をしていながら、案外しぶとくヤマギは生きた。
 何十年越しにようやく愛しい男に会いに行けるんだから、そりゃこんな顔もするだろう。
 もしかすると、もうあの世で会っているのかもしれない。
「シノの野郎によろしく言っといてくれや。あと、これ以上ヤマギのこと泣かせたら俺がぶっ飛ばすって伝えとけ」
 最後にそう話しかけると、杖をついてゆっくりと立ち上がった。
 葬儀屋の面々が近づいてきて、棺の蓋を閉める。
 それををぼんやりと眺めながら、ようやく肩の荷が降りるのを感じた。
 家族を見送るのもヤマギで最後だ。これでようやく、副団長としての仕事も終わる。
 金じゃ買えねえ愛ってやつは結局手に入れられなかったが、それ以外にはやり残したことも、思い残すことももう何一つない。
 ……だからオルガ、おれももうそっちに行っていいだろう?

 目を閉じると、懐かしい顔ぶれが遠くに見えた。みんなあの頃のままの姿で、揃って俺に手を振っている。
 これは夢だろうか。それとも、俺の願望が見せた幻? あるいは俺も死んじまったとか。
 まあなんだろうが構わねぇ、と誘われるようにして一歩、二歩と足を踏み出して駆け出した。
 一歩ごとに体が軽くなって、気づけば杖も、たくさん刻まれていたシワもなくなって。みんなのところに辿り着く頃には、俺もあの頃のままの姿になっていた。
「おつかれさん」
 オルガがまずそう言った。それから、みんなが口々に労りの言葉をかけてくる。
「ま、まあ別に、これくらい副団長として当然だし?」
 照れ隠しに鼻を擦りながら顔を逸らすと、シノと、隣に立つヤマギが目に入った。
 こっちを見るヤマギが、死に顔と同じくらい、いやそれ以上に幸せそうな顔して笑ってるもんだから、ああよかったなぁってじーんときちまって、じわりと視界が滲む。
「よっ、ユージン久しぶり! すっかり立派になっちまってよ。もうヘタレじゃねーな!」
「ユージン、来るの早すぎじゃない? おれがいなくなってそんなに寂しかった?」
「ざっけんな!」
 こっちが感慨に浸ってるってのに、二人とも可愛くねぇことばっか言いやがって。ほんっとムカつく。なのになんで涙が出てくるんだよこんちくしょう。
「テメーら、人に心配ばっかかけやがって……!」
「あーあ、泣いちゃったね」
「っとにしょうがねーなあ、ユージンはよォ」
 笑いながら近づいてきたシノがゴツい腕を首に回してくるから、腹いせに胸を一発殴ってやった。

 今この瞬間が、夢でも幻でもなかったらいい。
 生きてる時もなんだかんだで幸せだったけど、みんながいて、みんなが笑ってる今この瞬間がたまらなく幸せだから。
 やっと、帰ってこれたから。

「おかえり、ユージン」
 珍しくわずかに表情を緩めた三日月が言う。
「……ただいま」
 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、それでも笑って、俺はずっと言いたかった言葉をようやく口にした。