冬空に咲く

「それじゃあ、ゾロの誕生日を祝って——乾杯!」
 おめでとう、かんぱ~い!とグラスを掲げてカチンと打ち鳴らし、それぞれがビールに口を付けたら飲み会の始まりだ。
 先ほど乾杯の音頭をとったのがナミ。あとのメンバーはルフィ、ウソップ、ゾロ、サンジの四人。高校時代に出会って何かとつるむようになったこの五人は、通っている大学はそれぞれに違うがいまだにこうして定期的に集まっては飲んだり遊んだりしている。
 今日集まったのは、メンバーの一人であるゾロの誕生日をみんなで祝うためだった。
 兄弟三人で暮らしているルフィの兄二人が今日は出張で不在なので、飲み会の会場はルフィの住むマンション。二十階建ての一五階という、なかなかにロケーションのいい部屋だ。見晴らしに加え、3LDKという学生用アパートにはない広さの他に、ルフィの家が仲間内での飲み会によく使われるのにはもう一つ理由があった。
 それは、立派なシステムキッチン。ビルトインのガスオーブンまで付いている。
 残念ながらこの家の住人達に自炊という概念がほとんどないために無用の長物と化しているそれを、飲み会のたびに料理人志望のサンジが存分に活用してくれる。サンジ自身は使い勝手のいいキッチンをフル活用して心ゆくまで料理ができるのは楽しみでしかないし、残りのメンバーはサンジが腕を振るった美味しい料理をたくさん食べられるのだからいいこと尽くしだ。ちなみに、飲み会とは別にルフィにせがまれてサンジは時々この家に料理を作りに来ている。そのため、ルフィの兄二人も今となってはすっかりサンジの作る料理の大ファンだ。
 ゾロの誕生日会である今日のメニューは、寒いのでメインは鍋。主役のゾロが好む日本酒に合うようにサンジが選んだのは水炊きだ。もちろん、出汁から手作りする。昆布から取った出汁に日本酒を加えたものに、骨付きモモ肉のブツ切りを使うことで骨髄からも出汁が出てうまみたっぷりのスープが出来上がった。タレのポン酢ももちろん手作り。
 サンジはみんなより少し早めにやって来て下拵えをしていたため、乾杯の時にはほかほかと湯気を立てたちょうど食べごろの水炊きができあがっていた。
「うまほ~~~!」
 美味しそうな匂いを漂わせる土鍋の中を覗き込み、ルフィがじゅるりと涎を垂らした。その視線は土鍋の中の鶏手羽元にロックオンされている。肉にのびかける手をさりげなくブロックしながらサンジが言った。
「ちなみに〆はたまご雑炊だ」
 やったー!と歓喜の声が上がる。
「最初はおれがつぎ分けるけど、二杯目からはみんな自分で適当にとれよ。あ、ナミさんだけはおれが心を込めておかわりつぐからいつでも言ってね~ん!」
 メロリンとハートを飛ばすサンジをありがと、と軽くあしらい、ナミはゾロの方を向いた。
「そうそう、これ私からの誕生日プレゼントね。知り合いからもらったんだけど、すごくいい日本酒だから味わって飲みなさいよ」
 そう言って渡したのは、一本数万円もする高級日本酒。需要に対し生産量が少なすぎるので、毎年抽選で当たらないと買えない代物だ。怪しげなバイトをいくつかしているらしいナミは金持ちの知り合いも多く、いいモノをもらっては時々こうやって飲み会でおすそ分けしてくれたりする。
「げっ、おまえがそんな高級なモン渡してくるとか絶対裏があんだろ」
「あら~、裏なんてそんなものないわよ?何かあった時にちょっとお願い聞いてもらおうと思ってるだけ」
 だからそれが裏って言うんだよ!と突っ込むゾロに「ナミさんのご好意を素直に受け取れねェのか、テメェ」とサンジが凄めば、
「あァん!?エロ眉毛は黙ってろ」
 とゾロも応戦する。あわや一触即発、となったところをウソップがまあまあと間に入って宥めた。
「せっかくの誕生日会だ。ケンカはその辺にして、みんなもゾロにプレゼント渡そうぜ」
 まずは言い出しっぺのウソップが、おめでとうとゾロに包みを渡す。中から出てきたのは深緑色のマフラー。
「こないだマフラーなくしたって言ってたろ。その色、ゾロに似合うと思ってさ」
「あらいいじゃない、ゾロ。あんたにピッタリね」
「マリモ色でおまえにはお似合いじゃねェか」
「ウソップ、ありがとう。アホ眉毛は一言余計だ!」
「じゃあ次はおれだ!」
 またもやケンカになりそうな空気を遮りニシシ、と笑ってルフィが差し出したのは数枚綴りになった紙。癖のある字で何か書いてある。
「『サンジのメシを食いに来ていいぞ券』だ!サンジがおれの家にメシ作りに来てくれる時、ゾロも食いに来ていいぞ!」
「んだよそれ、作るのおれじゃねェか……」
「サンジのメシは美味いし、みんなで食べるともっと美味くなるからな!」
「まあそうだけどよ」
 ルフィの邪気のない笑顔と素直な褒め言葉に毒気を抜かれたサンジがもごもごと口ごもる。
「ありがとよ、ルフィ。コイツ飯だけは確かに美味いし、おまえの兄貴にも久しぶりに会いたいから近いうちにこの券使わせてもらう」
「おう!任せとけ!」
「だから何でおまえがそう言うんだよ……だいたいくそマリモ、、メシだけは美味いって何事だ?あァん!?おれみたいなナイスガイ、褒めるところ他にもたくさんあんだろ」
「誰がナイスガイだって?ナンパ野郎の間違いだろ」
「何を!?」
 顔を近づけ睨み合ったところで、二人の頭にナミのゲンコツが炸裂した。
「もう!二人とも誕生日くらい仲良くしなさい!」
「いってェ、何でおれまで……」
 文句を言うゾロをぎろりとひと睨みすると、ナミはサンジの方を向き直った。
「さあサンジくん、あとプレゼント渡してないのサンジくんだけよ。さっさと渡してこの美味しそうな水炊き早く食べましょ」
「そうだねナミさん♡……ほらよ、おまえいつも何も食わずに酒飲むから簡単に食べられるつまみだ。ありがたく受け取れ」
 そう言ってややそっぽを向きながらゾロに渡したのは、缶やレトルトのおつまみ詰め合わせだ。ゾロの好みドンピシャの、よく見ると栄養バランスの取れた組み合わせはさすが料理人志望なだけあってよく考えられている。きっと、自分でもまず試食して美味しいと思ったものだけを選んでくれているのだろう。
 普段ケンカばかりするものの、長い付き合いでゾロはサンジのそういう所はよく分かっているので「ありがとう」と素直に口にした。
「なっ……まあ、どういたしまして」
 俯いて耳をわずかに赤くしたサンジが小さく呟いたところで、ナミがパンと手を叩いた。
「みんなプレゼント渡し終わったことだし、めいっぱい食べて飲んでゾロの誕生日を祝いましょ!」
 それからは水炊きだけでなく、サンジの作ったたくさんのつまみを肴にビールや日本酒、白ワインなんかを飲みながらみんなで大いに騒いだ。
 〆のたまご雑炊もあらかた食べ終わり、ようやくひと段落ついた頃。

 ——ドーン、ドドーン

 閉め切った窓の外から何かが爆発するような音が聞こえてきた。
「なんだなんだ?」
 ウソップが窓辺まで歩いて行ってカーテンを捲って外を見る。
「花火だ!打ち上げ花火が上がってる!!」
「どれどれ?この時期の花火って珍しいわね」
「花火か!?やっほーーーい!」
 ナミとルフィも興味津々に窓辺へと近寄る。ウソップがみんなに見えるようにとカーテンを全開にしたところで、ちょうど夜空に大輪の花火が咲いた。
「わあ、きれい!」
「なあ、せっかくだからちょっと外で見ようぜ」
 早速ベランダに出て行こうとする三人に
「おれちょっと片付けしてから行くわ」
 と声をかけて、サンジは机の上を簡単に片付けた。そして飲みかけだったビールを手に取ると、一人座ってビールを煽っていたゾロに声をかけた。
「おまえは?見に行かないのか?」
 ゾロはほんの少し考える素振りを見せてから「行く」と答え、残っていたビールを一気に飲み干すとぐしゃりと缶を潰して立ち上がった。

 

 

 外に出た瞬間、キンと冷えた冷気が室内で温もっていた体を刺す。
「さぶっ」
 寒さに体を縮こませながら、ゾロと二人、先に外に出ていた三人の後ろに立つ。冬の冷たく澄んだ空気のせいで、夏の花火よりもくっきりと色鮮やかに夜空を彩る花火に思わず歓声が漏れた。
 菊に牡丹、かむろに型物、柳。
 まさかこんな時期に見れると思わなかった、季節外れの花火の美しさに目を奪われてしばし寒さも忘れる。
「寒いから先に中戻っとくね」
 花火に見惚れていたサンジは、ナミの声でふと我にかえった。
「何か温かいものでも淹れようか?」
「ううん、大丈夫。それよりサンジくん、せっかくだからもう少し花火見ときなよ」
 アンタは一緒に来なさいとナミに半ば無理矢理引き摺られるようにしてルフィも部屋に戻り、ウソップもトイレに行きたいからと部屋に戻ってしまい、ベランダにはゾロとサンジの二人だけになった。
「おまえは中入らねェの?」
 あまり熱心に花火を見ている様子のないゾロにそう尋ねると、
「あー、もう少しだけ見とく」
 と返事が返ってきた。
「あ、そう」
 そこで会話が途切れる。
 ゾロは後ろ向きに、サンジは前向きにベランダの手すりに寄りかかり、時折ビールを口にしながら断続的に上がる花火を眺める。色とりどりの花火によって赤や緑に色を変えては浮かび上がる隣の涼しげな横顔を、サンジは時折ひっそりと盗み見た。
 ああ、やっぱり好きだな、と思う。
 いつの間にか芽生えて、ひっそりと育ったこの気持ち。誰にも知られることなくいつか消えていくとしても、こうやって隣にいられればそれでいいと思っていた。
 でも、こんなふうに一緒に過ごせる時間は、もうあまり残されていないのかもしれない。
「なあゾロ」
 ゾロの方は見ずに声をかける。
「なんだ」
 ゾロがこちらを向く気配がしたが、サンジは前を向いたまま続けた。
「おれさ、卒業したら留学するんだ。本気で料理人になるつもりなら修行してこいって、ジジイの伝手でフランスに。たぶん行ったら数年間は帰ってこない」
「……そうなのか」
「ああ」
 ビール缶を握る指先に力を込める。ペコリと、ほんの少しだけ缶が凹んだ。それから一呼吸おくと、笑顔を貼り付けてゾロの方を振り向いた。
「これでようやくマリモの世話役から解放されるぜ。ったく、迷子癖にしろ生活能力のなさにしろ、おれが居なきゃおまえとっくに野垂れ死んでたぞ」
 普段なら悪口の応酬になるところなのに、なぜかゾロは一言も言い返してこない。ただじっとサンジを見つめてくる、その真っすぐな瞳に貼り付けた笑顔の裏を見透かされそうで、サンジはより一層へらりと笑って言葉を続けた。
「おまえそんなんで春から社会人やってけるのか?なんだかんだモテるんだしさ、早いとこカノジョでも作って支えてもらえよ」
 後半は、ゾロの顔を直視できなくてさりげなく目をそらした。
 だって本当は、カノジョなんて作ってほしくない。嘘ばっかりだ。
 少し前から花火が複数、連続で夜空に打ち上がっている。スターマイン。そろそろ花火が終わる。
 始まることすらなく終わっていくおれ達の関係。どうせ終わるなら、せめてこの花火みたいに派手に打ち上げて終わりたかった。
 行動に移す勇気もないくせにそんなことを思って、心臓のあたりがツキンと痛んだ。その痛みを誤魔化すかのように、冷たいビールを喉に流し込む。缶を掴む指先から、ビールが流れ込む内臓から、冷えて麻痺して痛みなんか感じなくなればいい。

「んなもんいらねェ」

 いくぶん投げやりな気分に浸っていると、ぽっかりとできた一瞬の静寂にゾロの声が耳に飛び込んできた。
「え?」
「彼女なんていらねェって言ったんだ。自分のことくらい自分でなんとかする」
「いや、できてないから言ってんだろ。人がせっかく親切心で」
「だから!おれの世話焼くのはテメェだけで十分なんだよ」
言葉を遮って怒ったようにゾロが言う。言っていることの意味がわからない。
「はあ?だからおれは留学するって言ってんだろ」
「別に一生帰ってこないわけじゃないだろう。帰ってきたら、テメェがまたおれの世話を焼けばいい」
 さっきからこいつは何を言ってるんだ?
「あのなあ。戻ってきたっておれも今までみたいに暇じゃないんだ。だいたい、おれはようやく世話役から解放されて清々してるってのに、なにが悲しくてまたおまえなんかの面倒見なきゃならないんだよ」
「それが本心なら、なんでそんな泣きそうな顔してんだ」
「……え?」
「なあ、サンジ」
 滅多に呼ばれることのない名前を呼ばれてびくりと肩が跳ねる。

 ——ドドーン、ドーン、ドドドド、ドーン
「…………だ」

 ゾロが何かを口にしたその時、同時に花火の爆発音が鳴り響いた。
「なに、よく聞こえな……」
 不意に、ゾロがサンジの右手首をグッと掴んだ。驚いた拍子に缶が手から滑り落ち、カランという音とともに残っていたビールがしゅわりと地面に広がる。
 次の瞬間には、ゾロに抱き寄せられていた。
 さっき掴まれた右手首が熱い。
 そこだけじゃない、触れ合う肩や胸からゾロの熱が伝わって、鈍い疼きを伴いながら冷え切ったはずの全身を溶かしていく。
 と、左耳から吹き込まれた低音がサンジの鼓膜を揺らした。
「テメェが、好きだ」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった。
 身じろいでゾロの顔を見ようとしたら、抱き寄せる腕に力が入って阻まれる。
「だから、彼女作れなんて言うな。おれはテメェがいいんだ」
「ぞ、ろ」
「いい返事以外聞きたくねえ」
 まるで子供のような言い草に、サンジは思わずフッと笑った。
 あまりに都合のいい展開に、淡い夢を見ているのではないかと思う。
「なんだよそれ……なあゾロ、顔が見たい」
 そう言うと、ようやく抱き寄せる腕が緩んだ。
 自由になった体をほんの少し離すと、サンジは同じ高さにあるゾロの顔を真正面から見つめた。どこまでも真っすぐなその瞳と、ゾロから伝わる火傷しそうなほどの熱が、サンジにこれは夢ではないのだ教えてくれる。
「おれ、男だぞ」
「知ってる」
「レディみたいな可愛さも柔らかさもねェ」
「あのなぁ、そういう上っ面でテメェのこと好きになったわけじゃねえよ」
「……っ、フランス行ったら数年間帰って来ないし、行ってる間はろくに連絡もできねェ」
「ああ」
「それでもおまえ、おれのこと待てるのか?」
「だから言ったろ、おれが欲しいのはテメェだけだ。手に入るんなら、いくらだって待つ」
 一切の迷いなくゾロが言い切る。
 負けも負け、完敗だとサンジは思った。
 臆病な自分には越えられなかった壁を、ゾロは一気に飛び越えてきた。悔しいけれど、こんな負けなら悪くない。その気持ちのままに、サンジは夜空に咲く大輪の花火のように晴れやかに笑った。
「あーあ、そこまで言うなら仕方ねェ。これからもおれがマリモのお世話してやるしかねえなぁ」
「おい、それって——」
「……おれも好きだ、ゾロ」
 ゾロの服をつかんで軽く引く。
 最後の花火が空で花開く刹那、二人の唇がそっと重なった。

 

   *

 

「やっとくっついたわね、あの二人。ほーんと手がかかるんだから。ま、でもお膳立てした甲斐があるってもんね」
「二人とも素直じゃないからなあ」
「素直っていうか、側から見たらバレバレなのにあの二人が鈍すぎなのよ」
「おれはゾロとサンジが幸せならなんでもいいぞ!」
 ルフィの言葉に、それもそうかと三人顔を見合わせて笑った。
 きっともうすぐ顔を赤くした二人が戻ってくる。
 そうしたら、始まりを祝う乾杯をするのだ。