天国だろうと、地獄だろうと

 2.

 ワノ国を出航した後、成り行きで上陸した「未来島エッグヘッド」。
 世界政府が所有する島であり、海軍の天才科学者であるベガパンクの研究所があるこの島で、おれ達はベガパンクと六人のステラたちと出会い、この島からベガパンクを海へと連れ出すことになった。
 しかし——。

 

「まったく、どこにいるのかしら」
「無事だといいがのう」
 連れ出すはずのベガパンクの”本体ステラ“が突如として失踪した。
 みんなで手分けして探すことになり、CP0の一員でありながら実はベガパンクの協力者だった美しきステューシー様、ステューシー様について来たおれ、そしてジンベエの三人で、現在ここB棟二階を捜索中だ。
 しかし、おれの意識は失踪したベガパンクよりも、もっと別のことに向けられていた。ステューシー様だ。
「おれのこと”犬”って呼んでくれる?」
「ちゃんと”本体ステラ“を捜しておばかさん♡」
 その美しい横顔に思わずメロリンとハートを飛ばすと、ステューシー様がいなすようにおれの鼻を軽くつついた。指と鼻。普通ならつついたくらいで音がすることのない組み合わせのはずなのに、なぜか、コツンと硬い音がした。
「あら」
「ステューシー様〜、何か気になることでもあった?」
「そっか、あなたジャッジの息子だものね」
「え?」
「その体、あなたもしかして——」
「っ、何か、何か知ってるのか!?」
「そうねえ」
 思わず前のめりになったおれをスルリと躱すと、ステューシー様は人差し指を唇に当て妖艶に微笑んだ。
「知っていたとしても、教えてあげないわ。だってそれじゃつまらないもの」
「つまらないって、そんな」
 その時、おれの耳が微かな音を拾った。
「……ナミさん?」
「なあに、突然」
「ナミがどうかしたか?」
 二人には聞こえなかったのだろうか。でも、気のせいじゃないはずだ。そう確信して耳を澄ますと、再び遠くで悲鳴が上がった。
 間違いない。やっぱりこれはナミさんの声だ。
「ナミさんの悲鳴が聞こえた」
「そう? 何も聞こえなかったけれど」
「いや、間違いない。あれはナミさんの声だった。きっと彼女に危険が……!」
「なんと、それは大変じゃ」
「ジンベエ、あとは頼む。おれはナミさんを助けに行く。——そういう訳でごめんね、ステューシー様。この話はまた後で!」
 ステューシー様がこの体について何を知っているのか気になるところではあるが、今はナミさんの安全確保が最優先だ。おれは二人に後を託すと、声が聞こえた方へと走った。

 

 *

 

「きゃあ」
 まただ。またナミさんの悲鳴が聞こえる。
 何処のどいつだか知らないが、ナミさんに危害を加える奴は許さない。

 そんな奴には——「死」アルノミ。

 悲鳴が近くなる。
 いた。ナミさんだ。そしてナミさんに襲いかかろうとしているのは——あいつか。あのジンベエみたいな奴。そういえばあいつ、さっきもナミさんに襲いかかってやがったな。
 尚更、許すわけにはいかない。
「おれ国憲法第一条、ナミさんを怖がらせた者死刑!! おれ国憲法第九条、ナミさんに悲鳴を上げさせた者に、温度レアァストライク!!」
「サンジ君!!」
「ナミさん、ケガは!?」
 ジンベエみたいな奴を蹴り飛ばし、急いでナミさんに駆け寄る。
「ありがとう、私は大丈夫」
「よかった。おれが来たからにはもうナミさんに怖い思いはさせないよ。あいつは今始末するからね。だから、少し離れてて。ブルック! ナミさんを頼む」
「もちろんです、お任せください」
 ナミさんとブルックが少し離れた場所へと移動したのを確認すると、立ち上がって後ろに向き直る。
 土煙の中でゆらりと立ち上がる影が見えた。
「一度警告したぞ、クソガキ!!」
 その影に向かって叫ぶ。眉毛のあたりがもぞりと蠢いた気がした。
「ガキだろうが、ジンベエだろうが、死刑執行だ。コジンベエ!!」
 動いたのはコジンベエが先だった。いや、先に攻撃させてやったと言う方が正しい。
 ドスン、と重い音を立ててコジンベエのパンチが顔面に炸裂する。
 まあ痛いのは痛い。でも、それだけだ。
「おまえにわかるか? ”愛の力”!!」
 殴った時の感触か、それともほとんどダメージを負った様子のないおれに驚いたのか、コジンベエの顔に動揺が浮かぶ。少し離れたところでブルックが、「サンジさん!?」と頓狂な声をあげたのが聞こえた。
 それも無理のないことだ。
 外骨格が発現したらしいおれの体には、これくらいのパンチでは傷ひとつついていないのだから。
「ほらどうした? この程度じゃおれは倒せないぞ」
 軽く挑発してやると、キッと眦を上げたコジンベエが続けざまに殴りかかってきた。
 仁王立ちしたまま、それを敢えて全部受けてやる。
「おいおい、これで終わりかよ」
 ひとしきり殴ってようやく手を止めたコジンベエが、先程と全く同じ姿で平然と立つおれを見て驚愕に目を見開いた。
「案外たいしたことねェな。——さあ、次はおれの番だ。”愛の力”を見せてやるから、覚悟しろよ」
 言うなり、足を振り上げてコジンベエを蹴り飛ばした。そのまま空中歩行スカイウォークで空中に飛び上がる。
魔神風脚イフリートジャンブ!」
 足に青い炎を纏う。
粗砕コンカッセ!!」
 勢いをつけて回転しながら振り下ろした踵には、たしかに手応えがあった。なのに——。
「なんだ? おまえもおれと一緒か?」
 バラバラと瓦礫を散らしながら立ち上がったコジンベエには、全く効いた様子がなかった。
肩ロースバース・コート腰肉ロンジュ後バラタンドロン肉、腹肉フランシェ上部もカジも肉、尾肉クーももキュイソー肉、すねジャレ肉」
 それでも、高温の炎を纏った足で攻撃を重ねればダメージを与えられるだろうと間を置かずに連続で蹴りを繰り出す。
仔牛肉ヴォーショット!!」
 仕上げに横蹴りを喰らわすと、再びコジンベエが吹っ飛んだ。
「流石にこれは効いただろ」
 タバコに火をつけ、肺いっぱいに煙を吸い込んでから勢いよく吐き出す。もう一度吸い込もうとしたところで、吹っ飛んでいたコジンベエが何事もなかったかのように立ち上がった。
「マジかよ」
 ぽろりと咥えていたタバコが落ちる。
 蹴りは全部完璧に入ったはずだった。なのに、コジンベエには一切ダメージを負った様子がない。
「おれも大概だが、あいつも頑丈すぎんだろ」
 すぐに飛び寄って何度も蹴りを入れるも、ゾンビのように立ち上がってくる。しかも、ちっともダメージを負った様子がない。
「どんなカラクリだ、ありゃ」
 ただの勘だが、どうも自分の外骨格とはまた違うような気がする。
 じゃあなぜこんなに頑丈なのか。
 ——頭を使え。何か打開策がないか考えろ。これまでの戦いでヒントはなかったか?
 どう攻めたものかと頭をフル回転させていると、突然、コジンベエが跳んだ。
 まるで水に飛び込むかのような姿勢で地面へと向かっていくその体が、ドボンと音を立ててそのまま地面へと吸い込まれて消える。
「……は?」
 今のは何だ?
 試しにつま先を地面で蹴ってみたが、固いばかりで吸い込まれなどしない。
「なんかの能力か?」
「サンジさん、下です! 彼は地面に潜れるんです!」
 ブルックが叫ぶと同時に、背後からザパンと水音がした。即座に振り向くと、目の前にコジンベエの手のひらがあった。
 ヤバイ、と本能的に察して体を捻る。次の瞬間、コジンベエの手のひらから放たれたレーザーが髪の先をチリリと焼いた。
「っぶねーな……チッ、また潜りやがった」
 地面から飛び出したコジンベエは、再び地面の中へと潜ってしまい姿が見えない。
「隠れんぼ勝負ってわけか。まあいい、隠れんぼならおれも得意だしな——いくぞ」
 地面を蹴って飛び上がり、そのまま姿を消す。

 

「……え? サンジさんが消えた?」
「そっか、ブルックは見たことなかったんだっけ。サンジ君、おそばマスクとかいうのに変身すると、透明になれるのよ」
「ええっ、サンジさん透明になれるんですか? すごい! っていうか、おそばマスクって何ですか!?」
「私も詳しくは知らないんだけど……」

 

(違うんだ、ナミさん)
 耳に入ってきた会話に、心の中で呼びかける。
 レイドスーツはもう壊した。だからもう、おそばマスクにはらない。
 今だって、スーツの力で透過してるんじゃなく、高速移動によって消えたように見せているだけだ。高速移動——このやたらと硬い外骨格と一緒で、おれの中の”科学”が目覚めたことで得た力。
 あいつらと同じ力を忌々しいと思う気持ちは、今だって変わらない。
 力を使えば使うほど、「変化」が進むかもしれない。その可能性を思うと、正直、怖さもある。
 ——でも。
 必要ならば、おれはこの力を使うことを躊躇わない。それがナミさんを守るためなら、尚更のこと。

 

 高速で宙を駆けながら、見聞色でコジンベエの気配を探る。
 ——見つけた、あそこだ。だが待てよ、あの方向は……。
「クソッ! あの野郎……!!」
 あいつ、またナミさん達を襲うつもりだ。
 警告してやったのに、一度ならず二度までも。絶対に許せねェ。即死刑執行だ。。

 ——アイツノ息ノ根ヲ、止メテヤル。

 コジンベエが地面から飛び出して来たところを狙って蹴り飛ばした。
 しかし、やはりダメージは与えられない。
 高速移動を続けつつあらゆる角度からいろんな技を試したが、そのどれもが死刑どころか、傷を負わせることすらできなかった。
「ヤベェな。このままじゃこっちの体力が先に尽きちまう」
 どうしたものかと攻めあぐねていると、コジンベエがふいにこちらを見た。
 こっちの姿は見えていないはずなのに、正しく目で追うかのような動きを見せる。
 まさか見えてやがんのか、と思った次の瞬間。ずっと燃え盛っていたコジンベエの背中の炎がふっと消えた。
「ん? ……おわっ」
 突如、目の前に現れたコジンベエに驚く。明らかにこれまでとは桁違いのスピードだ。間髪入れずに繰り出された攻撃を反射的にいなすと、そのまま体を捻って首に蹴りを叩き込んだ。
 ガクリとコジンベエの頭が垂れる。
「もしかして、効いた……のか?」
 どうやらようやくダメージを与えることができたようだ。
 背中の炎が消えたことと関係があるのかもしれない。いずれにせよ、この機を逃す手はない。
 まだ項垂れたままのコジンベエに畳み掛けるように蹴りを繰り出すと、その度にコジンベエの力が削られていくのがわかった。
 効いている。確実に、効いている。
 チラリと視線を向けてまだ背中の炎が消えたままなのを確認してから、さらに上空へと駆け上がり右足を覆う青い炎をより一層燃え上がらせた。
「”愛の力”を思い知れ! 魔神風脚、アムールショット!!」
 高温の炎を纏う足を、高速移動のエネルギーに落下する勢いも乗せて叩き込む。
 グシャリ、と何かがひしゃげるような音がした。
「まだまだ足りねえぞオラァ! おまえの罪を死んで償え!」
 すぐに体勢を立て直し、執拗にさらに何度も蹴りつける。
 音も、感覚も、全てが研ぎ澄まされていく中で、目の前の光景はどこか遠く、他人事のような気がした。

 ——モット、モット。確実ニ、壊スノダ。

「サンジ君、もういいわ! それ以上はやめて!」
 後ろからナミさんに羽交締めにされて我に返った。
「もう……もう、十分だから……」
 どうしてナミさんは涙声なんだろうと不思議に思いながら下を見て、息を呑んだ。
 あちこちから血を流したコジンベエの体は炎のせいで所々焼け溶けて爛れ、特に顔は、原形をとどめない程に潰れており、思わず目を逸らしたくなるような有様だった。
 けれども、まるで縫い止められでもしたかのように、目を逸らすことは叶わなかった。
 視線の先にいるコジンベエはピクリとも動かない。背中の炎も完全に消えてしまっている。
 壊れて——いや、死んでしまった?

 おれが、殺した?

「これ、おれが……?」
 わずかに震える声で、答えのわかりきった問いを投げかける。
 ナミさんからの返事はない。代わりに、ブルックの静かな声が返って来た。
「……ええ。でも一体どうしたんですか。確かにこの方は倒すべき敵ですが、これは——サンジさんらしくない」
 その瞬間、息が止まるかのような衝撃を受けた。
 あいつらを彷彿とさせるような、残虐な行為。
 ブルックの言った、『サンジさんらしくない』という言葉。
 この二つから導かれる事実。それは。

 ——おれは、心を失っていた?

「ちょっと……頭に、血が上りすぎちまったみてェで……」
 その事実をすぐには受け止めきれず、言い訳をするかのような言葉を口が勝手に紡ぐ。
 とその時、背中に触れるナミさんの体が小刻みに震えていることに気がついた。グスンと鼻をすする音も聞こえる。
(おれが、泣かせた。ナミさんを、怖がらせた。)
 これじゃあコジンベエと同じだ。自分の理屈を当てはめれば——おれだって、死刑にされるべき人間じゃないか。
 しがみつくナミさんの腕をそっと外すと、後ろに向き直った。
 いっぱいに涙を溜めた大きな瞳を、真っ直ぐに見る。
「怖がらせてごめんね、ナミさん。おれもこいつと同じことしちまった」
 口を引き結んだまま首を横に振ったナミさんの目から、ポロポロと透明な雫が零れ出る。
「サンジ君が、サンジ君じゃないみたいだった。……今は、いつものサンジ君?」
「もちろんだよ」
「本当の本当に?」
「本当の本当だ」
「なら、もう絶対こんなことはしないで。……次に私を怖がらせたら許さないんだから」
「……うん。ごめんね」
 ナミさんが何かを言いたそうな顔で見上げてきたが、そう答えるので精一杯だった。
 知らないうちに心を失っていた。
 今は心を取り戻したようだが、次にまた今回のようなことがあるのかも、その時に正気に戻ることができるのかどうかも、何一つわからなかった。
 だから、約束する、とは言えなかった。
「ブルックも悪かったな。いくら冷静じゃなかったとはいえ、流石にこれはやりすぎだった」
「いえ、私のことはいいのですが……」
 真っ黒な二つの眼窩が静かに見つめてくる。全てを見透かすようなその視線に耐えきれず、思わず目を逸らした。
 おれの中にはおそらく、恐ろしい怪物が巣食っている。
 それを暴かれてしまいそうで、怖かった。
「戦ってみてわかったが、こいつらは多分、背中の炎が燃えている間は攻撃が効かない」
 恐怖を断ち切るように、話題を変える。
「なるほど、そういうことだったんですね」
「ああ。炎が消えた時、異常にスピードが上がっていた。おおかた、移動速が上がれば炎が消える仕組みなんだろう。そこを狙って攻撃するしかない」
「皆さんは大丈夫でしょうか。それに気付いていなければ、苦戦しているかもしれない」
「ああ。ロビンちゃん達が心配だ。すぐに探しに行こう」
 自分のことで考えなければならないことはたくさんある。でも、それよりも——今は他にやらないといけないことがある。
「そうしましょう。でも、エジソンはどうしよう」
「ベガパンクも早く探さなければ。危険が迫っているかもしれません」
「ひとまずエジソンはここで待機だ。ベガパンクは、おれも気配を探ってみる。とにかくまずはロビンちゃんだが……下だ! この下にいる!」
「下に行くには、確かこっちよ! エジソン、少しの間ここで待っててね」
 おれ達はエジソンを目立ちにくい場所に移動させると、二階に降りるべく走り出した。