ピリキナータ

 上陸した島で、偵察を兼ねた街の散策でウソップが買ってきた『不思議透明ジェル』、言い換えると、一見すると瓶に入った透明なジェルなのに、塗りつけるだけで簡単に瓶の蓋に書かれた色に髪や体毛を染めることができ、さらには水で流すだけですぐに色を落とすことができるジェル。
 サニー号では、新たに上陸した島の情報共有と今後の予定確認を兼ねた昼食の後に、この『不思議透明ジェル』を使った一味全員による大髪染め大会が開催されていた。

「見て、フランキー。あなたとお揃いよ」
 鮮やかな水色の髪をしたロビンがフランキーに笑いかける。
「アーウ! ロビンおまえ、最高じゃねえか。それじゃあおれは黒にするぜ」
「ふふ、私とお揃いね」
「仲睦まじくて羨ましい限りです。あ、私ムラサキに染めてみたんですがいかがでしょう?」
「素敵よ。ブルック」
「ファンキーでいいじゃねェか」
「ああ、よく似合っておるのう」
「ジンベエさんも、その髪の色よく似合っておられます」
 ジンベエは、髪を黄色に染めていた。
「子どもの頃は金髪だったからのう、懐かしくてついな」
「あら、昔は金髪だったのね。成長と共に髪が黒くなったのかしら、興味深いわ」
 そんな風にアダルト組が落ち着いた様子で髪色の変化を楽しんでいる一方で、残りのメンバーは少し離れたところで賑やかに騒ぎ立てていた。

「くっそー、フランキーのやつ、ロビンちゃんと仲良くしやがって……!」
 やけに親密そうなロビンとフランキーを見て歯噛みするサンジの髪は、ナミのようなオレンジ色に染められていた。
「いいんだ、おれはナミさんとお揃いだから」
 ねーナミさん、と擦り寄るサンジをナミが適当にあしらう。その横では、
「なーなーなー、ほら!」
 と髪を真っ白に染めてオールバックにし、じいちゃんみたいだろ、と腕を組みふんぞり返ったルフィを見てチョッパーとウソップが笑い転げていた。ちなみに、ウソップの髪は七色のレインボーカラーだ。
「ケムリンにもなれるぞ」
 ルフィが今度は口をへの字に曲げた変顔で煙草を吸う真似をするものだから、チョッパーとウソップは笑いすぎて体が変な方向に捩れている。
「じゃあ次はおれだ!」
 ようやく笑いが落ち着くと、「毛皮強化ガードポイント」と全身を緑色に染めたチョッパーがモフモフの球形になった。今度はルフィとウソップ、それからサンジが盛大に吹き出す。
「ギャハハ、チョッパーそれ巨大マリモじゃねェか」
 おまえそっくりじゃん、とサンジに揶揄われたゾロがピキリと額に青筋を立てたところで、「見て見て〜」というナミの声がした。一瞬でゾロから興味をなくしたサンジが声の方をくるりと振り返る。それがなんとなく面白くなくて、ゾロの額の青筋がまた一つ増えた。
「ほら、ピンク! 一度してみたかったのよね」
 ナミの髪は、ふんわりと可愛らしいパステルピンクに染められていた。
「ああっ、んナミすわんっ! なんて可愛いんだ! おれはもう君の恋の奴隷さ〜〜〜!」
 ああぁぁぁ、と叫びながら鼻血を噴かんばかりの勢いで(実際ちょっと噴いていた)ナミの周りを目をハートにしてクネクネと動き回るサンジを見て、ゾロが
「アホか」
 と吐き捨てる。その髪はいつも通り緑のままだ。
「アァン!?」
「ちょっとゾロ、一人だけ何澄ました顔して突っ立ってんのよ。あんたも染めるの!」
 チンピラよろしく至近距離で睨みつけているサンジを押し退けると、ナミはすぐ側にあった瓶からジェルを取り、ゾロの頭に塗りたくった。
「おいナミ!」
「ちょ、やだ……あはは!」
 ナミの笑い声にみんなの視線が一斉に集まり、一拍おいて笑いの渦が巻き起こった。
「ブフォッ、似合わね……いやある意味斬新で…………ヒー、やっぱムリ!」
 息も絶え絶えに笑うサンジの横でナミも身を捩って笑い、ルフィ、ウソップ、チョッパーはひっくり返ってゲラゲラと笑っている。アダルト組さえもニコニコ、ニヤニヤと笑みを浮かべて見てくるものだから、ゾロは羞恥と怒りで頬を引き攣らせた。
「ナミ、てめェいったい何色に染めやがった!?」
「自分で見るのが一番よ、ほら」
 クスクス笑いながらナミが差し出した手鏡に映るのは、髪をパステルピンクに染めた凶悪面のゾロ。
「ナミ、てめェ……!」
「おい、ファンシーピンクマリモ、ナミさんに八つ当たりすんじゃねェよ。——ブフッ、でもその面にピンクは、たしかに絶望的に似合わね——ギャハハハハ!」
「こンのくそコック!」
 ブチブチブチィと音を立てて血管やら堪忍袋の緒やら、他にもあれやこれやが切れまくったゾロが刀を抜いてサンジに飛びかかる。すかさずサンジが蹴りで応戦し、二人がいつものように派手な喧嘩を繰り広げる横で髪染め大会はさらに盛り上がり、最終的に大お風呂大会で染めた髪の色を落として幕を閉じたのだった。

 

 *

 

「今日は楽しかったな」
 大お風呂大会を終えて皆それぞれに街に散った後、船に残ったゾロとサンジは二人きりの船でひとしきり裸の取っ組み合いに耽り、どろどろになった体を流すべく本日二度目の風呂に入りにきていた。
「おまえのあのピンクの頭、傑作だったなあ」
「笑うんじゃねェ」
 くふふふ、と笑いを漏らすサンジを、不機嫌そうな声を出したゾロが睨みつける。
「まあまあそう怒るなって。髪洗ってやっから機嫌直せよ」
 ケッと言いつつも、ゾロは大人しくシャワーの前に座った。
「目瞑っとけよ」
 言われるがままに目を閉じると、サンジの指がゾロの髪を優しく梳いた。すぐに手を洗う音がして、後ろで動く気配がするが、一向に洗髪の続きが再開されない。そういえばいつものシャンプーの匂いがしないと疑問に思ったゾロが目を開けて確認しようとした時、サンジの手がゾロの股間にさわりと触れた。
「っ、おい」
 さてはさっきのじゃ足りなくてリベンジマッチをご所望か、いいぜ望むところだ、風呂場でヤると明るくてよく見えるし、声が響いていいんだよな、なんて煩悩で脳内を埋め尽くしたゾロが後ろを振り向いてサンジの姿を認めた瞬間、ぴたりと動きを止めた。
「……は?」
 二、三度瞬きをして、それから目を擦ってもう一度サンジを見たが、金色のはずの髪はなぜか自分と同じ緑色に染まっていた。——さらには、陰毛まで。
 ポカンと口を開けたマヌケ面のままサンジの股間から再び顔へと視線を上げると、笑いを堪えるように引き結んだ唇が歪み、肩が小刻みに震えたと思ったら、次の瞬間豪快に笑い出した。
「フフッ、神々しい、マリモ……あはははは!」
「さてはてめェ、何かしやがったな」
「ククク、鏡で見てみろよ」
 素っ裸のまま脱衣所まで駆け戻り、洗面台の鏡を覗き込んだゾロが叫んだ。
「なんじゃこりゃあああ!」
 鏡の中のゾロは、昼間のジンベエと同じく黄色い髪をしていた。もしや、とサンジの緑色に染まった陰毛を思い出してそろりと下を向くと、予想通りというか、緑色のはずだった自分の陰毛は髪と同じく黄色に変わっていた。
「くそコックてめェ、何のつもりだ!」
 肩を怒らせてのしのしと大股で浴室まで戻ると、てっきり小馬鹿にしたような顔をしているのだろうと思ったサンジが、いたずらに成功した子どものような無邪気な笑顔を浮かべているものだから、ゾロは何だか怒る気が削がれてしまった。
「へへ、お揃い、だな」
「はぁ?」
「いやさ、昼間ロビンちゃんとフランキーがお揃いだってお互いの髪の色に染めてただろ? あれちょっといいなって思って」
 照れているのか、口を尖らせて、ちょっぴり早口でサンジが続ける。
「彼色に染まる、なんてガラじゃねえけど、一回くらいおまえとお揃いにしてみるのも悪くないかなって」
 沈黙の後、ハァと深くため息をついたゾロが、やにわにシャワーを手に取ると思い切りハンドルを捻り、サンジに向かって勢いよくお湯をぶっかけた。
「ぶわっ」
 水で簡単に落ちるという宣伝文句の通りに、あっという間にサンジの髪から緑の色素が抜けていく。あらかた元の金色の髪に戻ると、ゾロはようやくシャワーを止めた。
 ぽたり、ぽたり、と染料が溶けて薄い緑となった水滴が金色の髪の先から滴り落ちる。シャワーで乱れた長い前髪の隙間から、呆然と見開いた青い瞳がのぞいていた。
「アホか」
「え?」
「似合わねェ。勝手におれの色に染まってんじゃねェよ」
 途端、見開いた瞳が痛みに耐えるように僅かに歪んだ。
「……不快な気持ちにさせて悪かったな」
「あのなあ……。だいたいてめェ、普段はちっともこっちの思い通りになんかなりゃしないじゃねェか」
「当たり前だ、誰がてめェの思い通りになんか——」
「だから! 染めたくても染まらねェ、そんなてめェがいいんじゃねェか!!」
 見開いた目をさらに大きく見開いたサンジが、じわじわと全身を真っ赤に染めていく。まるでその色が移ったかのようにわずかに顔を赤くしたゾロは、ふいと横を向くとぶっきらぼうに呟いた。
「てめェは、ヒヨコみたいな黄色い頭してりゃいいんだよ……下の毛もな」
「ふうん」
 少しの間があって、サンジが口を開いた。
「そうか、おまえ、おれの髪の色好きなの」
「バッ……誰もそこまで言ってねェ!」
 勢いよく振り向いた顔に、全開になったシャワーが直撃した。
「ぶへっ」
 ゾロの頭から黄色に染まった水が流れ落ち、晴れた日の芝生のような、鮮やかな緑の髪が現れる。シャワーを止めたサンジが、満足そうな息をついて浴槽の淵に腰掛けた。
「たしかに、おれも神々しいマリモよりもいつものノーマルマリモがいいな」
「誰がマリモだコラ」
「……なあ、おれは好きだよ。おまえの髪の色も、目の色も、他にもおまえをおまえたらしめる全部が」
 おまえは? と答えを確信したような顔で問いかけるサンジをゾロは低く唸りながら押し倒し、二人揃って湯船の中に沈んだ。
「いきなり何しやがる!」
 ザバリと顔を出し、人がせっかく愛の告白したってのになんなんだよ、と喚くサンジの耳元に、同じくザバリと顔を出したゾロが口を寄せた。

「答えは、てめェの体に教え込んでやるよ」

 一瞬体を固まらせたサンジだったが、すぐさまニイと色めいた笑みを浮かべて誘うように舌で唇を舐める。
「へえ、そりゃ楽しみだ」
 ゾロがその舌にかぶりついたのを合図に、肌を重ね、情を交わし合う。
 決して互いの色に染まらずとも、重なり合って溶け合う二人のように、わずかに髪に残っていた緑と黄色が溶け出した湯の中で混ざり合い、黄緑色へと姿を変えた。