アコルダール

 たぶん、一目惚れだったのだろうと思う。

 あの魚の形をしたレストランで初めて出会った時からずっと。
 目に眩しいきんきらの髪、海と同じ色をした目、なぜか巻いた眉毛、男のくせにやたらと細い腰なんかが目について仕方がなかった。
 あまりに目につくものだから、あのアホがおれの視界に入り込んでくるせいだ、と苛立っては理不尽なケンカを吹っ掛けた。
 でも、今ならばわかる。
 他人の外見なんてものにとんと興味がないおれが、なぜコックに関してだけはその見た目がやたらと気になったのか。
 わかってみれば簡単なことだった。コックという人間そのものが気になっていただけのこと。
 もっとわかりやすく言えば、惹かれていた、惚れていたということになるのだろう。
つまりは何のことはない、コックがおれの視界に入り込んでいたのではなく、おれ自身がコックを目で追っていただけのことだったのだ。
 そんなこと、今頃になって気づいても遅いのだけれど。

 

 *

 

『野郎共へ
 女に会って来る
 必ず戻る』

 ドレスローザでの戦いを終えて辿り着いたゾウで、たった一枚の書き置きだけ残してコックは消えていた。
 それでも最初は、必ず戻ると言っているのだし問題ないだろうと軽く考えていた。
 消えるに至った経緯を聞いた時は内心心配したし、それをルフィに指摘されて思わず『ケるぞ』なんて言っちまったが、それでも最終的には戻ってくるのだろうと信じて疑わなかった。
 それが、こんなことになるなんて。
 あの時呑気に構えていた自分をぶん殴ってやりたい。

 コックを迎えに行ったルフィ達が、コックの代わりに一通の手紙を携えて帰ってきた。
『サンジ、結婚すんだってさ』
 あっけらかんと言い放つルフィの言葉の通り、持ち帰った手紙はコックの結婚式への招待状だった。
 今は式の準備があるから戻ってこれないけれど、結婚式が終わればまた一緒に旅ができる(しかも結婚相手の女も一緒に)、だからみんなでコックの結婚を祝いに行こう、そんなルフィの言葉は、遠い潮騒のようにザワザワと意味をなさず耳を通り過ぎていった。

(コックが結婚?)

 頭の中ではそればかりがぐるぐると渦巻いていた。
 無性に腹が立って、たしかおれは
『結婚? 海賊が、しかもまだ夢半ばで何呑気なこと言ってやがる』
『ルフィはなんでそんな勝手を許したんだ』
『だいたいこんな手紙一枚じゃなくて、結婚式に参加してくださいと直接頭を下げにくるのが筋だろうが』
 なんてことを言い放った。
『おれは行かねェ』
 とも。
 けれど、『ダメだ。みんなで一緒にサンジの結婚式に参加するんだ』という船長命令は絶対であり、行かないという選択は許されなかった。
 おれ達は一路トットランドへと向かい、コックの結婚相手であるプリンとかいう女に引き合わされ、父親として参列しにやって来ていたバラティエのじいさんとその従業員達と再会し、そして今。結婚式が執り行われる会場で、新郎であるコックの入場を待っている。

『新郎の入場です』
 その言葉を聞いた瞬間、なぜか唐突に、おれはコックに惚れていたんだと理解した。
 たぶん、一目惚れだった。
 自覚のないままにコックの姿を目で追いかけていた。
 どうしようもなく惹かれていた。
 なんで今、と思う。自覚した瞬間終わりじゃねえか、と。
 ただ、もっと早くにこの気持ちを自覚していたとして、病的なまでの女好きであるコックが相手ではどの道辿る結果は同じだっただろう。
(バカだな、おれは)
 自嘲の笑みを浮かべようとして、上手くできなかった。
 バタン、と大きな音を立てて式場のドアが開く。
 おそらくはコックの、カツン、と澄んだ靴音が響く。
 せめて惚れた相手の幸せくらい祝ってやろうと思うのに、どうしても後ろを振り向くことができなかった。
 荘厳な音楽が鳴り響く中、一歩一歩こちらへと歩いてくる足音を耳が拾う。
 どんどん近づいてくるそれに、頼むからもうそれ以上来てくれるなと心の中で懇願する。
 永遠の愛を誓う背中も、幸せに満ち溢れているであろう顔も、見たくない。
 そんな女々しいことを思う自分に吐き気がして、それでも見たくないものは見たくなくて、なのに足音はもうすぐ後ろにまで迫っていて。

(——いやだ)

 目の端にきんきらの髪を捉えたところで、思わずギュッと目を閉じた。

 

 *

 

「——ロ、ゾロ!」
 自分の名を呼ぶ声に目を開けると、視界いっぱいに透き通る青が広がった。
「……?」
「起きたか」
 目の前の青がスゥッと離れていく。
「コック?」
 見上げた先にはいつもの黒いスーツを身に纏ったコックがいた。ぼんやりとした頭のまま辺りをぐるりと見回すと、ここはサニー号の甲板で、船縁の向こうには海が広がっている。
 先ほどまで、自分はコックの結婚式に参列していたのではなかったか。
 噛み合わない光景に戸惑いを隠せず再びコックを見上げると、心配そうにこちらを見つめる瞳と視線がぶつかった。
「イヤな夢でも見てたのか?」
「夢?」
 そこで、自分は夢を見ていたのかと思い至った。
「なんだか魘されてるみたいだったからよ」
「……ああ」
 そうだ、あれは夢だ。
「そうだな、最悪な夢だった」
「そっか」
 そう言うとコックは膝をつき、おれの首にそっと腕を回して頬を寄せてきた。
「てめェが、結婚する夢だった」
 ポツリと漏れた言葉に、コックが体を離して大きく目を見開いた。
「おれが? 誰と?」
「女と」
「それが、イヤな夢?」
「たりめェだ」
 しばらくキョトンとした後、コックは弾けるように笑い出した。
「そうかそうか。おまえ、可愛いとこあんじゃん」
 うるせえ、とおれはコックを軽く睨んだ。
「だっててめェはおれのモンだろうが」
 笑いを引っ込めたコックが、優しく目を細めておれを見つめる。
「まあな、違ェねえ」
 そう、あれは夢だ。
 今目の前にいるこの男は、病的なまでの女好きのくせに、気持ちを自覚したおれが伸ばした手を拒まずに受け入れた。
 もう、おれのものだ。
 たとえ夢だろうと、他のヤツにくれてやるつもりはない。

 おれは、風になびくきんきらの髪に手を差し込んで抱き寄せると、緩く弧を描くその唇にキスをした。