ジジイに引き取られてすぐ、「おいチビナス、テメェの誕生日はいつだ」と聞かれたことがあった。
その時のおれは、そんなこと聞いてどうするんだろうと不思議に思いながらも「三月二日」と答えたのだった。
それからバラティエがオープンしてあっという間に忙しくなり、目まぐるしい日々を送るうちにそんなやり取りのことはすっかり忘れてしまっていた。
*
その日もたくさんのお客さんがやってきてとても忙しかった。ようやく片付けまで終わった夜遅く、ヘトヘトになって厨房の椅子に座り込んでいたら、突然電気が消えて真っ暗になった。
「なんだ!?」
びっくりして慌てて立ち上がったら、厨房の入り口がわずかに明るくなった。ろうそくの灯り? 小さな光がいくつか揺れている。
「ハッピーバースデートゥーユー」
同時に聞こえてきたのは野郎どもの歌声。よく見ると、ろうそくに照らされてパティやカルネ達の顔がぼんやりと浮かび上がっている。
「え?」
全く状況が読めなくてぽかんと突っ立ってるうちに、ろうそくの灯りはどんどんこっちに近づいてきて、やがてそれは目の前にコトリと置かれた。
「……ケーキ?」
目の前に置かれたのは、どう見てもケーキだった。生クリームできれいにデコレーションされて、大粒のイチゴがたくさん乗った、ショートケーキ。
「今日ってなにか特別な日?」
困惑したままパティとカルネを見上げると、二人は一瞬目を見開いた後、突然笑い出した。後ろのコック達もみんな笑ってる。
「おいおいサンジ。おまえそれ本気で言ってんのか?」
「特別も特別よォ。なんたって今日は、おまえの誕生日だからな!」
「たん、じょうび……?」
誕生日をケーキで祝うのは知っていた。だって、いつも兄弟達が祝われるのを見てたから。でも、いつも見てるだけだった。母さんが死んで以降、自分のために誕生日ケーキが用意されたことも、誕生日を祝われることすらなかったから。
それは寂しいことだったけど、仕方ないし当然だと思ってた。
だっておれは、出来損ないで、生まれてこない方がよかった人間だ。祝う価値なんてない。
だから今、どうして自分のために誕生日ケーキが用意されているのか、本気でわからなかった。
「なんでお祝いするの? ちっともめでたくなんてないのに」
おれがそう言うと、みんなはピタリと笑うのをやめた。そして、可哀想な子でも見るような、戸惑ったような顔をしておれを見た。
「なんでって、そりゃ……」
その時、カツンと床を叩く音がして、ジジイが厨房に入ってきた。
「しのごの言わずに、ガキは黙って祝われとけ」
「でも、」
「しつけェぞチビナス。——いいか、この世に生まれるってなァ、それだけで奇跡なんだ。そんで誕生日ってのは、その奇跡を祝うんだ。奇跡を祝って、その奇跡みたいな命をまた一つ未来に繋ぐ。だから極悪人だろうが善人だろうが、誕生日ってのは誰にも等しくめでたいモンだって恐竜の時代から決まってんだよ。わかったか!」
「恐竜の時代から……?」
「ああそうだ」
「そっか、そうなのか」
「そ、そうだぞサンジ! だからおまえの誕生日もクソめでてェんだよ、大人しく祝われやがれ!」
「よし、野郎ども歌うぞ! 早くしねェと蝋がケーキに垂れちまう」
にわかに元気を取り戻したパティ達が大声で歌い出す。
ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデートゥーユー
ハッピーバースデーディアサンジ〜
ハッピーバースデートゥーユー
続いて、拍手と指笛、おめでとうの言葉が洪水みたいに耳に流れ込んできた。その中に混じった「オラァ早くろうそく吹き消せ!」の怒号に、慌ててろうそくに息を吹きかけた。
一回じゃ全部消えなくて、もう一回フーッと息を吹きかける。それでやっと全部のろうそくが消えると、パッと厨房の明かりがついた。さっきは暗くてよく見えなかったけど、ジジイにパティにカルネ、それに他のみんなもいる。こんなにたくさんの人に祝ってもらったのなんか初めてで、胸も目もなんだかじーんと熱くなって、危なく涙がこぼれそうになって、おれは慌てて俯くとギュッと目を瞑った。
「ほら、おまえのケーキだ」
俯いた視線の先に、きれいにカットされたケーキが差し出される。みんなが見守る中、フォークで一口掬う。口に入れると、とろけるように甘いクリームとやわらかなスポンジ、そしてイチゴの酸味が絶妙に混ざり合っておれは思わず目を見開いた。
「うまい!」
ほっぺが落ちてしまいそうなくらい美味しくて、思わずフォークを持ったままの右手で頬を押さえた。
「当たり前だ、おれが作ったんだからな」
「ジジイが?」
本当は食べた瞬間にジジイが作ったってわかったけど、ジジイがおれのために誕生日ケーキを作ってくれたなんて、という意味でそう言った。だってジジイって絶対そんなことしないタイプだろ。
そんなことを思ってるのを知ってか知らずか、ジジイはおれを見るとニヤリと笑った。
「ふん、一回でろうそく全部消せないようなガキでも多少は味がわかるようだな」
「なんだとクソジジイ! おれはわざと二回に分けたんだよ!」
そっからはギャーギャーいつもの悪口の応酬で、本当はちゃんと「ありがとう」ってみんなに言いたかったのに、言うタイミングを逃してしまった。
だって、おれ知ってるんだ。
ハッピーバースデーの「ハッピー」って、誕生日おめでとうって、生まれてきてくれて嬉しいよって意味なんだ。出来損ないで、ジジイの足も夢も奪ってしまったおれに、それでもみんなが「ハッピー」バースデーって言ってくれたこと、ジジイがおれのためにケーキを作ってくれたこと、すごくすごく嬉しかった。
この時も、それからバラティエを出るまでの毎年の誕生日も、素直じゃない性格のせいもあって結局一度も「ありがとう」はいえなかったけれど。
おれは、この日のみんなの歌声と、ジジイが作ったケーキの味を、一生忘れない。
*
「それじゃあサンジの誕生日を祝って、乾杯!」
カンパーイ、とサニー号の甲板に賑やかな声が響く。
今日はおれの誕生日だ。
誕生日だからこそいつもよりさらに張り切ってみんなに給仕をして回るおれに、次々と仲間からの声がかかる。
「おめでとう、サンジ。肉くれ!」
「おめでと、サンジくん」
「コック、酒」
「サンジ〜、主役なんだからちょっとは座れよ。せっかくのめでたい日なんだからさあ」
「そうだぞ、サンジ。おれ達にもっと祝わせてくれよ〜」
「サンジ、お誕生日おめでとう」
「アーウ! スーパーめでてェなあ、サンジ」
「サンジさんのお誕生日! 今日はなんと素晴らしい日なのでしょう」
「おまえさんのめでたい席だ、さあさあもっと飲まんか」
その一つ一つにありがとな、とかうるせえクソマリモ、とかこれ配り終えたらな、とか言葉を返し、一人になったところで懐から絵葉書を一枚取り出した。毎年欠かさずバラティエのみんなが送ってくれるそれには、今年も仏頂面のジジイを真ん中に、笑顔のみんなが写っている。
「……たまには笑えよな」
小さく呟いて再び絵葉書を仕舞うと、おれは抜けるように青い空を見上げた。
(母さん)
天国にいるであろう母に心の中で呼びかける。
(ジジイやバラティエのみんな、それにおれの仲間。今のおれにはさ、母さん以外にも、こんなにたくさん誕生日を祝ってくれる人がいるんだ)
ずっと苦しかった。
自分なんか生まれてこない方がいいのだと思ったことも何度もあった。
でも今は。
(母さん、おれを産んでくれてありがとう。おれ今、すげェ幸せだ)
風になびいたすじ雲がスッと弧を描く。
なんとなく、空の向こうで母が笑ったような気がした。