夜明け

 今日はエースの誕生日なんだ、というルフィの一言をきっかけに、サニー号では宴が開かれることになった。
 船長を筆頭に宴好きの面々である。普段は何かと理由をつけて、何なら理由などなしに宴が開催されることはよくあるが、今回の宴は船長の、今は亡き兄弟であるエースの誕生日祝いであり、新年を祝う日でもあり、少し特別だった。
 いつもの宴のメニューに加え、エースの好物だというブートジョロキアペペロンチーノ、ゾロの故郷で新年を祝う時に作るのだというお節料理も並べられている。それに、少し前に立ち寄った島で買ったワインやビール、米の酒も加わり、一味全員で朝から晩まで大いに騒ぎ、楽しんだ。
 夜になって腹がくち、酒も回ってそろそろお開きとなった頃、珍しく酔い潰れていない船長が口を開いた。

「みんな今日はありがとな。最高の宴だった!もうエースには会えないけど、おれにはお前ら仲間がいるから大丈夫だ!!」

 にしし、と笑いながらみんなを見回し、麦わら帽子を目深にかぶり空を見上げる。
 その姿を、一味全員が優しい笑みを浮かべ、それぞれの想い人を胸に描きながら眺めていた。

 みんなが部屋に引き上げてから、サンジは宴の後片付けをし、朝食の下ごしらえに取り掛かった。その全てを終えて一服した後、とっておきの米の酒を取り出して熱燗をつけ、おつまみに数の子、田作り、海老のうま煮を少しずつ皿に盛り付けた。それらをバスケットに入れ、キッチンから甲板に出て、展望台に向かう。

 用意したお猪口は二つ。
 展望台で見張りを務めるゾロに差し入れがてら、二人で飲みたい気分だった。

 梯子を登りひょっこりと顔を出すと、てっきり鍛錬に励んでいると思っていたこの部屋の主は窓辺に座り、静かに外を眺めていた。
 一瞬その精悍な横顔に見惚れる。
 誰を、何を想っているのだろう。
 そんなことを考えながら、おそらくこちらに気付いているであろう男に声をかけた。

「ゾロ。差し入れだ。ついでに一緒に飲まねぇか?」
 バスケットを掲げて見せる。
「おう、いいな」
 口元をほんの僅か綻ばせてゾロが応える。

 サンジはゾロの横まで移動すると、バスケットから酒とつまみを取り出して並べた。
「お、熱燗じゃねぇか」
 普段は老成して見える奴だが、こうして嬉しそうにニカリと笑う様は年相応だ。
「おれ様のとっておきの酒だ。ありがたく飲みやがれ」
「へーへー、どうも」
「全然感謝してねぇだろ、それ」
 やいのやいの言いながらどちらからともなく乾杯、とお猪口を打ち鳴らし、一息にぐいっと煽った。
「美味ェな」
「とっておきだからな。買う時に試飲もしたから味はお墨付きだ」
「このつまみ、お節だろ。おれのうろ覚えの記憶からよく作れたな」
「海の一流コック舐めんなよ。まあ、持ってる本にオセチリョウリについて少し載ってるやつがあったからそれも参考にしたが。それに書いてあったが、オセチリョウリってそれぞれに意味があるんだろ?」
「そうだな、例えばこの数の子は子孫繁栄、田作りは五穀豊穣、海老は長寿を願うものだ。他には黒豆は勤勉に働けるようにとか、まあそれぞれだ」
 この男は、故郷の話をする時どこか懐かしむような、柔らかな色を纏った目をする。
 おれの知らない頃の、あいつ。
 この目が好きだ、と思うと同時にあいつを少し遠くに感じて、胸に切ない痛みが走る。
 この目の中に、おれは居ない。
 どちらかが死ぬまでに、一体いくつのおれの知らないあいつを知ることができるのだろうか。

「長寿か……明日をも知れぬ海賊稼業のおれらには縁のない話だな」
「そうだな」

 二人の間に沈黙が降りる。
 そのまま黙って杯を傾ける。
 ふと窓の外に目を遣ると、それまで藍一色だった空の水平線が東雲色に染まり始めていた。
 夜と朝の境目の空。その美しさに胸を打たれる。
 あまりの美しさ故か、今この瞬間にこいつと共に在れることが嬉しいと、素直に思うことができた。

「綺麗だな……初日の出、って言うのか?」
「いや、初日の出は元旦の日の出だから、これは初日の出じゃねえ」
「ま、似たようなもんだろ」
「いや、違うだろ」
 まあいいじゃねぇか、と言いながら身を寄せ、するりとゾロの頬に指を滑らせる。
「明日の命の保証のねぇおれ達だがよ。ゾロ、お前は一秒でも長く生きろ」
 剣士として最強を目指すと決めた時から命なんてとうに捨ててる、と言い切った奴だ。
 「死ぬな」と言うことは、こいつの野望を、進む道を否定することになる。だから言えない。
 でも、死ぬなとは言えなくても、生きてほしいと願うことくらいは許されるだろうか。
 一秒でも長く、こいつの隣に立っていたいと願うことは。

「当たり前だ。野望のために命を捨てる覚悟はあるが、無駄に命を捨てるつもりはねェ」
「そうかよ」
「てめぇこそ、死に急ぐんじゃねェぞアホ眉毛。自分のこと盾にすんのはいい加減やめろ」
「おれも別に死似たいわけじゃねぇよ。……なぁゾロ、勝負しねえか?少しでも長く生きた方が勝ちだ」
 朝焼けを受けて普段は海のような青い瞳が赤橙色に染まり、勝気さを宿して煌く。
「いいぜ、勝負だ」

 決まりだな、と触れるだけのキスをすると、ゾロから噛み付くようなキスが返ってきた。
 触れた唇から、強引に入り込んでくる舌から、火傷しそうなほどの熱が伝わる。
 生きている、証だ。
 口内を蹂躙する舌に自らの舌を絡め、おれも生きているのだと熱を伝える。

 快楽に溶けゆく思考の中、いつか勝負の決着がつくその日、二人で見たこの美しい夜明けを、互いの舌から伝わる熱を、まるで昨日のことのように思い出すのだろうとぼんやりと思った。