冷たい腕(かいな)

「ほらよ、サンジ。おれ特製のスーパーな義手だ!」

 そう言って差し出されたのは、鋼でできた義手。〈黒足〉の名にちなんだのか、黒く染められたそれは冷たい光を放っている。
「ウソップも一緒に、極力生身の腕に動きを近付けるように開発した世界最高の義手だ。とりあえずつけてみるから、使ってみて不具合があれば言ってくれ」
 なるべく料理に支障がないように筋電義手にしただの、耐水仕様にしただの、靭性と強度がどうのこうのとサンジにはよくわからない話をあれこれと説明しながら、フランキーはサンジの左右の肩に鋼の義手を取り付けてくれた。
 取り付けたところで自分の体の一部としてすぐに受け入れられる訳はなく、まるでロボットの部品でも見ているかのようだ。
「ありがとう。フランキーとお揃いだな」
 そう言って腕を動かそうとしたのに、付けたばかりの義鋼の腕は一ミリだって動きはしなかった。
 戸惑いを隠さずにフランキーを見上げると、深い眼差しがこちらを見下ろしていた。
「あー、おれも似たようなもんだから経験あるが、最初は全然動かせなかった。でも心配するな、訓練すりゃすぐ自在に動かせるようになる」
「……そっか」
「ああ、サイボーグのおれが言うんだから間違いねェ!明日からおれとチョッパーがリハビリに付き合うからな、すぐに料理が作れるようになるぜ」

 ――まだ料理が作れねえのか。

 ドンと胸を張るフランキーの手前サンジは軽く笑ってみせたが、心の中は暗澹たる気持ちでいっぱいだった。
 もう何日料理を作ってない?
 腕を失ってから、傷が癒えて義手ができるまでにもう3週間は経っている。
 その間、全く料理をしていない。なのにそのうえまだ料理ができない日々が続くなんて、役立たずもいいところだ。

 ――一刻も早く料理を作れるようにならねェと。

 それから、サンジはまるで取り憑かれたかのようにひたすらリハビリに励んだ。
 腕は失ったけれどまた料理ができる、それだけが心の支えだった。
 リハビリの甲斐あって、最初はジャガイモを掴むことすらできなかったのが包丁を掴めるようになり、みじん切りをしたり、捏ねたり混ぜたり、最終的には飾り切りなんかの繊細な動きができるまでに義手を使いこなせるようになった。
 そんな必死なサンジの姿を、ゾロはただひたすらに見ていた。
 何も言わずに、ただずっと。

 両の腕を失って以降、初めて料理の準備から後片付けまでをサンジが一人でこなした日。
 誰もいなくなったキッチンで、酒を呷りながらソファに座るゾロの視線の先には洗い物をするサンジがいる。
 その、纏わりつくほどではないけれど無視もできない強さの視線に敢えて気付かないフリをしながらサンジは皿を洗い、片付けが全て終わるとようやくゾロのところへやってきて隣に腰を下ろした。
 ポケットからタバコを取り出し火をつける、その一連の動作をなんの違和感もなく滑らかにこなすと、深く味わうように煙を吸い込んだ。
「不自由はなさそうだな」
「まあ、動きは。これでようやくコックとしての役割が果たせる」
「よかったじゃねえか」
 その時、ようやくサンジがゾロの顔を見た。
 ゾロを見る、感情の読めない、海の底のような静かな瞳。
「……よくねェよ」
 ふいにサンジの瞳が揺れた。
 サンジが好んで着るスーツと同じ、黒い鋼の腕がスッとゾロへと差し伸べられる。
 その指先が触れた時、金属特有のヒヤリとした感触がゾロの頬を包んだ。
「だって、こうやって触れても、もう何も感じねェ」
 肌のぬくもりも、しなやかな筋肉も、皮膚一枚隔てた向こうに感じる力強い拍動も。
「おまえに触れてるのかどうかも、目を瞑れば分からないんだ」
 さざなみ程度だった瞳の揺れが、次第に大きくなっていく。
 涙はなかった。
 でもゾロは、まるで見えない涙を拭うかのように左の親指でサンジの下まぶたを優しくなぞり、右の手で頬に触れる無機質で冷たい手をギュッと握った。
 強く握り込んでも、指先が埋まる柔らかさはもうない。
 内から仄かに光るような、白雪のような白さも、もう。
 だけど、とゾロは思う。
 そんなのは、全部ちゃんと覚えている。
 その記憶は損なわれることなく自分の中に刻まれていて、いつだって取り出して五感全てでなぞることができるのだ。
 それはきっと、目の前のこの男だっておんなじ。

「感じなくても、おまえは知ってるだろう」
 問いたげな視線が先を促す。
「おれに触れてどうだったか、そういうの全部おまえの中にちゃんとあるはずだ。それに、感じるのは手だけじゃねェ。その足や舌は飾りか?おれだったら、おまえを感じるために使えるものはなんだって使う」
 ああ、とため息みたいな声がサンジの口から漏れた。
 瞳の揺れが止まり、水平線から日が昇るように青の瞳に光が満ちていく。
 (やっぱ、これがいいな)
 満足気に口の端を吊り上げると、ゾロはついでのように付け加えた。
「それに、フランキーとウソップだぞ?すぐに触覚を感じられる義手を開発すんだろ」
「ハハッ、違いねェ」
 くしゃりと、ようやく心の底からサンジは笑った。