もう戻れない

 長い船上生活、しかも船内に相手がいないとなると溜まるもんは溜まる。
 若くて健康な男なら尚更だ。
 鉄団子を一心不乱に振っていれば解消されるというものでもないので、風呂ででも抜くかとおれは皆が寝静まった夜に風呂場へと向かった。

 脱衣所にたどり着くと浴室の電気がついていた。どうやら残念なことに先客がいるようだ。
 すっかりその気になっていたが、風呂場が使えないなら仕方ない。場所を変えるかと踵を返した時、ふと脱ぎ捨てられた洋服が目についた。黒いスラックスに、ライトブルーのシャツ。タバコとライターも服のそばに置いてある。ということは、今風呂に入っているのはコックか。
 まさに今オカズにせんとしていた相手が裸で風呂に入っているというのは大変魅力的な状況だが、実はこれまでに何度もコックをオカズに自慰をしたなんてことは誰にも言えない秘密である。当然、コックはおれが自分をそういう対象で見ていることなんて知らないし、女しか目にないコックからしたら迷惑以外の何者でもないだろう。
 だから、絶対にこのことはバレてはいけない。かなり後ろ髪は引かれるけれど、二人きりで、裸のコックを目の前に手を出さない自信がなかったので、仕方なく風呂場から退散しようとした、その時。

「……ぁ、んっ」

 なんとも艶かしい喘ぎが浴室から漏れ聞こえてきた。
 思わず勢いよく振り返る。
 今の声はもしかしなくとも、アレか。
 聞き間違いではないかと耳を澄ませてみると、荒い息遣いに混じってかすかにクチュクチュと水っぽい、何かが擦れ合うような音が聞こえてきた。
 そのあからさまな音に、芯を持ちかけていた中心が一気に張り詰める。
 ——ヤバイ、これはヤバすぎる。
 若干前屈みになりながらも急いで、でも音を立てないように脱衣所から出て行こうとすると、また浴室から声が聞こえてきた。

「あ、…ぁ……ぞ、ろっ……ぅあ」

 プツンと、頭の中で何かが切れた。
 コックは今おれの名前を呼んだ?
 声と音から推察するに、浴室ではコックがオナニーの真っ最中だ。
 てっきり、お気に入りのエロ本に載っている女の裸でも想像しながらやってるもんだと思っていたが……。
 おれの名前を呼ぶってことは、つまりはそういうことだろ?
 なんだ、おまえもおれと同じじゃねェか。

 脱衣所から出ていくのはやめにして、おれはコックのシャツを掴み取ると壁に背を預けて座り込んだ。
 浴室からは荒い息遣いにかすかな喘ぎ声、卑猥な水音が断続的に響いてくる。
 その音を聞きながら、前をくつろげて性器を露出すると右手で握り込み、左手でコックのシャツを掴み口元に押し当てた。
 鼻腔いっぱいにコックの匂いが広がる。タバコと、あの男独特の甘さと、ほんの少し汗の混じった匂い。それだけで、握り込んだ性器がグンとまた一回り体積を増す。まだ擦ってもいないのに、張り詰めすぎて痛いその先端からはじわりと先走りが滲み出てきた。

(はっ、声と匂いだけでこれかよ……たまんね、)

 このまま進めば、おそらくもう止まれない。
 頑なに守り続けてきた一線を越えてしまうだろう。
 でも、あの男もおれと同じなら、越えた先を見てみたいと思う。

 目を閉じると、視界が闇に包まれた。
 真っ暗な世界がコックの匂いと、コックの立てるエロい音で満たされ、思わず自分のではなくコックのものを握り込んでいるのだと錯覚する。
 そう、手の中にあるのはコックが雄であるという紛れのない証。
 どう触れば、あいつは気持ちよくなる?
 まずはゆるゆると、力を入れずに握り込んだ手を上下する。
 途中からほんの少し握る手に力を入れ、カリを引っ掛けるようにすると先走りがとぷんと溢れてきた。
 それを塗りつけるように親指でクルリと亀頭を撫でた時、

「ん、ああっ」

 浴室からコックの嬌声が響いた。
 そうか、こうされるのが好きなのか。それならこれも気持ちいいよなァ?
 一旦竿から手を離し、人差し指と中指でカリと亀頭を擦り刺激を加える。

「ひっ、んんっ……あ、ん」

 はぁはぁと荒い息遣いが耳にうるさい。
 乱れる呼吸も、気持ちがいいのも、自分なのかコックなのか。
 背筋を這い上がる快感に思考がグズグズに溶けて境界が曖昧になる。
 ああ、チンポだけじゃなくて、胸を飾る愛らしい頂も、過ぎる快感にダラリと開かれた口からのぞく真っ赤な舌も、引き締まった下肢も、その奥に隠された窄まりも、コックの体の隅から隅までいじり倒して、存外気に入っている宝石のような青い瞳が溶けて滲んで海のようになる様を見ていたい。
 そんなことを考えていたらズクリと下腹が疼く。
 浴室からは切羽詰まった喘ぎが途切れなく聞こえてくる。
 そろそろ限界が近い。
 再び右手で竿全体を握り込むと追い上げるように性急に扱き上げる。

「あ、あ、あ、あ」

 気持ちいいんだろう?我慢せずにイッちまえ、ほら。
 グリッと、親指の腹で鈴口を抉る、その瞬間。

「あああああっ!」
「クッ……」

 達する寸前で根元をグッと握り込み、気が狂いそうな射精感にわずかに声が漏れる。
 すると、ようやく誰かがいるということに気付いたらしいコックが動揺する気配が伝わってきて、おれはペロリと舌舐めずりをした。
 もう覚悟は決めたのだ。
 左手に握りしめていたコックのシャツを放り投げると、身につけていた服を全て脱ぎ去る。
 躊躇うことなく開け放ったドアの向こうに、羞恥と驚愕の入り混じったコックの顔が見えた。

「随分気持ちよさそうだったな」
「な、おまえ、いつから」
「最初からだ。……なぁ、悪いようにはしねェ、ホンモノを試してみる気はねェか?」

 一線は越えた。もう戻れない。
 でも問題ない。
 きっともうすぐ、コックも一線を越えるのだから。