食って食われて満たされて

 音楽の島エレジアを出港したサニー号を、一隻の海軍の軍艦が執拗に追ってきていた。
 風来クード・バーストを使ったにもかかわらず振り切ることができず、相手の船の方が速度が速いのかじりじりと距離を詰められつつある。射程圏内に入ったようで、先ほどから飛んでくるようになった砲弾を風船のように膨らんだ船長が弾き飛ばし、剣士が真っ二つに斬り裂き、料理人が蹴り返していたが、このままでは埒が明きそうになかった。
「アーウ!あいつら一体どんな推進力使ってやがるんだ!?」
「いや〜、あいつらほんとしつけえなァ」
「ほんとに何なのよもう!いい加減諦めなさいっての!」
「今や四皇の一角となった私達を捕らえて、一気に手柄を上げようという魂胆かしら。強欲なのね」
「捕まえることができれば、の話だがなァ」
「でもよ、実際問題どうやって逃げ切る?何か策を考えねェと」
「わしがちょっくら海に潜って海流一本背負いをお見舞いしてこようかのう」
「ヨホホ、それ名案ですね」
「よーし、頼んだぞジンベエ!」
「頼んだぞー!!」
「いいや!」
 話が決まりかけたところで、ルフィから待ったがかかった。
 こんな状況だというのに、「ししし」と楽しそうに笑っている。
 こういう時のルフィは、たいていロクなことを考えていない。それを嫌というほど知っているナミが、
「ちょっと待ちなさいよ、ルフィ。勝手に飛び出したりしたら——」
 と言いかけたのを遮り、ルフィが大声で叫んだ。
「乗り込むぞ!!」
 言うが早いか、ゴムの腕を伸ばして海軍の船へと飛び移って行く。
 その後ろ姿を追うように、ナミとサンジが船縁へと走り寄った。
「ちょっとルフィ!……んもう、いっつもこうなるんだから」
「ほんと仕方ねェな、あいつは。ナミさん、おれもちょっと行ってくるよ」
 その時だった。
「おいコック、肩借りるぞ」
「アァ!?」
 後ろからかかった呼び声に料理人が即座に眉を吊り上げて振り向いたと同時、ゾロがその肩を蹴って跳躍した。
 わざわざご丁寧に振り向いてニヤリと笑ったその顔に、先の島での戦闘時の記憶が蘇ってサンジの短い導火線が一瞬で燃え上がる。
「はあぁぁぁぁ!?あンのクソまりも……!!」
 待ちやがれ、と叫びながら欄干に足をかけて飛び上がると、あっという間に空を蹴って行ってしまった。
「ああもう……」
 がっくりと頭を垂れたナミが、盛大にため息をつく。
「ふふふ、あの三人が行ってしまったのなら私達きっと出番なしね」
 向こうの様子を窺っているのか、両腕を体の前でクロスさせながらロビンが楽しそうに笑った。ということはつまり、あまり問題ない状況なのだろう。
 まあ確かに、あの三人ならどんな敵でも蹴散らしちゃうんだろうけど、とナミは心の中で独りごちる。
 だって、いずれ海賊王になる船長とその両翼は、その名に恥じぬくらいとんでもなく強いのだ。

 

 *

 

 少し遅れて海軍の船の真っ只中に降り立ったサンジは、降り立つなり三刀を構えるゾロに怒鳴った。
「おいクソまりも!てめェは一度ならず二度までも、このおれの肩を踏み台にしやがったな!!」
 すでに近くにルフィの姿はない。向こうのほうでドカンドカンと派手な音が聞こえているので、この船の指揮官を目指して突き進んでいるところなのだろう。
「あ?てめェがギャアギャアうるさいから今回はちゃんと断り入れただろ」
 周囲に群がる海兵を剣技で一掃しながらゾロが怒鳴り返す。
「おれはいいなんて一言も言ってないんだよ!」
 今度はサンジが地面に両手をつき足技で海兵達を薙ぎ払うと、バク転の要領で体を起こした。
 着地した先には示し合わせたようにゾロが居て、二人は背中合わせに立つことになった。
「そんなに悔しいならてめェもおれの肩を踏み台にすればいいじゃねェか」
「おまえやっぱりバカだな」
 ハン、とサンジが鼻で笑う。
「てめェに言われたくねェよアホ眉毛!」
「おれはアホじゃねェ!——いいか、おれ、空、飛べる。踏み台、いらない」
「なんでカタコトなんだよ!!」
「バカなまりもでも分かるように言ってやったんじゃねェか。もう一回言ってやろうか?」
「ふざけんなクソコック!」
 戦闘の最中に背中合わせにレベルの低い言い合いをしている二人を見て、最初は戸惑っていた海兵達がこれはチャンスだと我に返る。
「い、今がチャンスだ!全員でかかれーっ!」
「「邪魔すんじゃねェ!!」」
 息ぴったりに叫ぶと、飛びかかってきた海兵達を一瞬にして蹴散らした。
 向こうの方で、一際大きな爆発音が鳴り響く。
「チッ。おい、いったん休戦だ」
「仕方ねェ。この辺の敵はこれで全部みてェだな」
「ルフィの援護に行くぞ。あいつが負けることはないだろうが、海楼石を使われたら厄介だ」
「ああ」
 音のする方に向かい、二人は同時に走り出した。

 

 *

 

 夜。
 昼間の騒動での疲れか、いつもより早く皆が寝静まったサニー号は静寂に包まれていた。
 そんな中、一人起きて片付けや明日の仕込みをしていたサンジは、仕事を終えると身につけていたエプロンを外した。シンクにもたれかかり、煙草に火をつける。一日を終えた自分へのご褒美だ。
 そのまましばらくぼんやりと紫煙を燻らせていたが、煙草が半分くらいになったところで咥え煙草のまま冷蔵庫から冷やしておいた米の酒を取り出し、キッチンを出た。
 向かうのは、展望室。
 梯子を登り、トレーを器用に頭に乗せてひょっこりと顔を出すと、この部屋の主であるゾロがベンチに片膝を立てて腰掛けていた。
「珍しいな、てっきり鍛錬してるかと思ったが」
「さっきまでやってたが、てめェが来る気配がしたからな」
 そう言って顎で示した先には、巨大なダンベルが立て掛けられている。
 再びゾロに視線を戻すと、確かに少し汗ばんでいるようだった。
「そっちこそ珍しいじゃねェか。米の酒だろ、それ」
 夜食とともにトレーに乗せられた米の酒を目敏く見つけ、ゾロが子どもみたいに笑う。
「たまにはな」
 いただきます、と手を合わせて夜食と酒に手をつけたゾロの横にサンジも腰を下ろした。時折ゾロが食べる様子を横目で見ながら、ぼんやりと煙草を吸う。
「昼間の続きはもういいのかよ」
 夜食を食べ終え、瓶から直接酒を呷りながらゾロが不意に言った。
「昼間の?……ああ、あれはもういいんだよ」
 一瞬何のことかと目を瞬かせたが、ゾロが自分の肩を踏み台にしてからの一連の流れだろうと思い至る。
「へェ?」
「あのなぁ、いつまでも引きずる程おれもガキじゃないっての」
 短くなった煙草を携帯灰皿で揉み消しながら、サンジが苦笑を浮かべた。
「でもギャアギャア喚いてたじゃねェか」
「あれは、おまえが勝手におれを踏み台にしたからだ。——だがいいか、おれは別に手を貸すのが嫌なわけじゃねェし、仲間を必要な場所に飛ばすのは自分の役割だと思ってる。だから、飛ばしてほしい時は一言言え。そうすりゃおれがどこまでだって完璧に飛ばしてやるから」
「へェ、そうかよ」
 サンジは愉快そうに片方だけ口角を上げるゾロの手から酒瓶を取り上げると、左肩を靴の裏でぐいと押した。そう強い力ではなかったが、ゾロは押されるままに硬く冷たい鉄の絨毯に仰向けに倒れ込んだ。
「それに、」
 酒瓶をトレーに置き、邪魔にならないようベンチに上げてから、横たわるゾロの顔をサンジが覗き込む。
 ゾロを見下ろすサンジの顔は、舌舐めずりするような、こちらを食らい尽くさんとするような、獰猛な雄の顔だった。

 これだからこいつは手放せない、とゾロは思う。
 互いに骨になるまで食って、食われて。
 こいつの存在すべてがおれを満たす。

「おまえの肩を踏み台にしたい時は、こうすりゃいいからな」
 グリグリと肩を踏みつける足をゾロが掴めば、仕返しとばかりに噛み付くような口付けを寄越してきた。
 サンジの歯がゾロの唇の薄い皮をぷつりと破り、鉄の味が唾液に混ざる。
 その味と匂いが興奮を煽り、口付けはどんどん荒く激しくなっていく。
「っとにてめェはじゃじゃ馬だな」
「せいぜい乗りこなしてみろよ」
「ハッ、上等じゃねェか」
 掴んでいた足を思い切り引っ張ると、バランスを崩したサンジが後ろにひっくり返る。ゾロはすぐさまその上に馬乗りになると、小憎らしく笑う口元に嬉々として食らいついた。