嘘つきと臆病

 それは真夜中で、きれいに焼けたパンケーキみたいにまん丸で黄色い月が空のてっぺんに昇る頃のことだった。
 ナミが寝た後も読書に耽っていたロビンは、寝る前に何か飲み物をもらおうとキッチンの扉を開こうとして、中から聞こえてきた話し声に動きを止めた。
 低く胸に響くような声と、柔らかく耳触りの良い声。
 中にいるのはおそらくゾロとサンジだ。
「邪魔してはいけないわね」
 コックさんの淹れてくれる美味しいお茶を飲めないのは残念だけれど。そう心の中で付け加える。この船の料理人が淹れてくれるお茶は、これまでに飲んだ中で一番美味しい。もちろんそれは彼が腕のいい料理人だからでもあるけれど、彼の自分への愛情がたっぷり込められているからだとロビンは思っていた。
 彼の愛情は、自分だけに特別に向けられたものではない。聡明で可愛らしい航海士にも、普段はぞんざいな態度をとりがちな男性クルーにも、彼の愛情は仲間全員に等しく惜しみなく注がれていた。そしてそれは、寄れば触れば喧嘩ばかりしている剣士に対しても例外なく平等らしい。
 それが、この船に乗り込んでから今日までの間に導き出した結論だった。
 中から漏れてくる声の様子を聞くに、どうやら自分の考えは間違っていないようだ。
 にっこりと微笑むと、ロビンは静かにその場から立ち去った。

 ロビンの推測通り、キッチンにはゾロとサンジの二人がいた。
 特別仲がいいというわけではないが、夜遅くまでキッチンで仕事をするサンジと、基本夜は起きていて酒を飲んでいることが多いゾロは必然的にこうして二人きりになることが多い。
 いつの頃からか、そんな時は時々一緒に酒を飲むようになった。
 今日もゾロはいつものようにテーブルに座り、サンジの作るつまみを肴に酒を飲んでいた。
 片付けを終えたサンジが、グラスを持ってゾロの一つ空けた隣に腰を下ろす。
「おれもちょっともらおうかな」
 サンジが差し出したグラスに、ゾロが酒を注いでやった。
 ちびちびとグラスの酒を飲みながら、サンジが他愛のないことを話し、ゾロは「あー」だとか「そうだな」とか短い相槌をうつ。
 昼間の喧嘩してばかりの二人とは違う、静かで穏やかな時間が流れていた。
 その時までは。

「なあなあ、おれおまえのこと好きかも……って言ったらどうする?」
 ほろ酔いの様相を呈しはじめたサンジが、ゾロに顔を近付けて上目遣いで言った。
 普段は透き通っている青い目は、酔いのせいかわずかに潤んでいる。
 動きを止めたゾロは、突然何事かと訝しげな視線をサンジに向けた。
 そのままゾロが黙っていると、サンジは上目遣いはそのままに可愛らしく小首を傾げてみせた。
「嫌じゃねェ?」
「それは、どういう意味でだ。仲間としてなら、別におれはテメェのことは嫌いじゃねェ」
「そうじゃないって言ったら?」
ゾロの片眉がピクリと上がる。
「だからそれは——」
 どういう意味だと問う声に、サンジの声が重なった。
「おまえが欲しいって意味だったら?」
 小首を傾げたまま、潤んだ瞳に情欲の色が混ざる。
 その瞳の奥を探るようにたっぷり三十秒はゾロはサンジを眺め、それから吐き捨てるように言った。
「つまらねェ嘘をつくな」
 ゾッとするほど冷たい声だった。
「なんだ、つまんない野郎だな」
 一瞬で酔いもしなも消し去ったサンジが、いつものような小憎らしい表情を浮かべてスッと身体を引く。それからタバコを一本取り出すと火をつけ、ゾロに向かってわざと煙を吹きかけた。
「冗談に決まってるだろ。ちょっと揶揄ってやろうと思っただけなのに、それを本気でキレやがって。これだから冗談の通じない朴念仁は困るんだ」
 ガンッとゾロが持っていた酒瓶を机に叩きつけた。その衝撃でサンジのグラスが倒れ、まだ残っていた酒が机の上に水溜りを作る。机の上を転がったグラスはそのまま床に落ち、ガシャンと音を立てて割れた。
「人をバカにして楽しいか?」
 慌ててガラスの破片を拾うサンジの上から、ゾロの声が降ってくる。
 静かな声が、逆に怒りの大きさを表していた。
「二度とそんな嘘つくんじゃねェ。胸糞悪ィ」
 荒々しく立ち上がり、ブーツを鳴らしてゾロがキッチンを出ていく。キッチンのドアが叩きつけるように閉められ、サンジだけが取り残された。
「ハハハ……嘘、か」
 乾いた笑いを浮かべ、がくりと項垂れる。
 その時、キッチンの隅で花びらがふわりと散った。

「コックさんは嘘つきなのね」
 真っ暗な女部屋で、ロビンが小さく呟く。
 タバコに火をつける手元が、冗談だと言った料理人の声が、わずかに震えていたことに剣士は気づいただろうか。どうやら、料理人の愛情はみんなに対して平等だという考えを改める必要がありそうだ。
「それに、剣士さんは意外に臆病なのね」
 嘘だと言い切った理由も、怒りを湛えた剣士の目に傷ついた色が浮かんでいたことも。可哀想に料理人は知らないのだろう。
 このままボタンを掛け違えたままなのか、それとも——。
「ふふふ、興味深いわ」
 ロビンはまた、にっこりと笑った。