New World

 拝啓
 クソジジイ、元気にしていますか。
 クソ野郎どもも変わりはないですか。
 おれは今、地獄にいます。
 あ、でも死んだわけじゃないからな。
 これまで数々の地獄を経験してきたおれだけど、ここはその中でも一番最低最悪な地獄かもしれねェ。
 しかも、その地獄でおれは新たな扉を開こうとしています。
 おれ、いったいどうなっちまうのかな……。

 

 

 *

 

 

 鏡に映った自分を眺める。
 綺麗にくるりとカールしたつけまつ毛に、アイシャドウは淡い紫。頬にはチークをちょこんとのっけて、唇は真っ赤なルージュでぽってりと。桜みたいに可憐で清楚なピンク色のふんわりとしたドレスに濃いピンクのハイヒール、頭には亜麻色の縦ロールのウィッグ。
「うん、今日も完璧ね♡」
 みんなが「あなたの雪のように白い肌にはこの色がお似合いよ」って選んでくれたドレスとアイシャドウ、本当に私にピッタリ!
 うふふ、と満足そうに鏡の中の自分に向かって微笑むと、乙女、もといオカマとなったサンジは完璧なる女の子走りで外へと駆け出した。

 

「あ、サンジちゅわん来た来た!もう、遅いわよっ!」
 プンプン、と頬を膨らませて怒ってみせる同じくドレス姿の乙女(?)に、サンジはテヘッと舌を出しながら大袈裟に謝ってみせた。
「ごめんねぇ、エリザベスちゅわん。念入りにお化粧してたら遅くなっちゃったわ〜」
「もう、いっつもそうなんだから。でも可愛いから許しちゃうっ♡」
「ありがとう!エリザベスちゅわんって本当に心が広いのね〜」
「あら、今頃気付いたの?さ、早くみんなのところに行きましょう」
 そうしましょう、と二人が向かったのは、夕暮れ時の浜辺。
 そこには既に、たくさんの乙女、もといオカマ達が集まって来ていた。
「さあみんな、夕陽に向かって走りましょう!」
 誰かの呼び声を合図に、うふふ、あはは、と裸足になって水飛沫をあげながら乙女、もといオカマ達が女の子走りで駆け回る。
 時折、「きゃあ!」と野太いはしゃぎ声も聞こえてくる。
 そんな側から見れば地獄のような光景の中に、サンジは何の疑問も持たずにすっかり溶け込んでいた。

 

 散々走り回って疲れると、みんなで岩場に腰掛けて、沈みゆく夕陽を眺めながら他愛のないおしゃべりに耽る。お肌の手入れ方法だとか、オススメの化粧品についてだとか、ムダ毛の処理ってどうしてる?だとか、恋バナだとか。話題はその時によって様々だ。
 今日は、一人の恋愛相談をきっかけに話題は恋バナとなった。
 ひとしきりみんなであーだこーだと意見を出し合うと、誰かが不意に
「ねーえ、サンジちゅわんは好きな人とかいないの?」
 と水を向けてきた。
「そうそう、私もそれ気になってた!」
「白状しちゃいなさいよ」
「私達が相談に乗ってあげるから♡」
 などとそれぞれが好き勝手に騒ぎ立てる。
「え〜、私、レディはみんな大好きだけど……」
「違うわ!そういうことを聞いてるんじゃないの!」
「その好きじゃなくて、LOVEよLOVE!!」
「誰か一人だけ特別な人、いるんでしょ〜!」
 またもやピーチクパーチクと騒ぐのを聞きながら、サンジは頬に人差し指を当ててうーんと考え込んだ。
「ナミすわんもロビンちゅわんも大好きだけど、どっちか一人なんて選べないわ。一人だけ特別な人…………ああ、一人だけ気に食わないヤツはいるけど、あれは好きとかじゃなくてムカつくだけだし」
「ちょっと待って!その一人だけ気に食わないヤツのこともっと教えなさい!!」
「具体的にはどんなところが気に食わないの?」
「え? どこって存在そのもの?」
「それじゃあダメよ、もっと詳しく!」
「うーん……まず臭いし、むさいし、筋肉ダルマだし」
「きゃあ!その人、逞しいのね」
「まあ、確かにゴツくはあるわね。でも寝腐れてばっかだし、酒飲んでばっかだし、壊滅的なまでに迷子だし、マリモだし、腹巻だし」
「あら、だらしないのね」
「でもそうやって手のかかるところがほっとけないっていうか、可愛かったりするじゃない?」
「全然可愛くないわよ!だいたい、何かにつけて私のことを目の敵にして突っかかってくるようなヤツよ!?」
「ちょっとぉ、それってめちゃくちゃサンジちゅわんのこと意識してない?」
「そうよぉ、ほら、好きな子をいじめちゃうタイプの人っているじゃない。きっとそれよ」
「絶対違うわ、あり得ない!」
「とか言いながら、実はサンジちゅわんもその人のこと気になってたりするんじゃない?」
 あり得るー!とオカマ達が囃し立てる。
「気持ち悪いこと言わないで!だいたい、あいつは男なのよ」
「あーら、そんなの関係ないわよ。だってあなたは乙女の心を持ってるんだから。逞しい殿方に心を奪われたって、なーんにもおかしくなんかないわ」
「違う、違うわ……」
 頑なに否定し続けるサンジの肩に、エリザベスがそっと手を置いた。
「ダメよ、サンジちゅわん。自分の心に正直にならないと。本当は惹かれてる部分もあるんでしょ」
 ハッとして、サンジはエリザベスの青い瞳を見つめた。黒々としたM字型の眉毛は見なかったことにする。
「自分の心に、正直に……」
「そうよ、それは何も恥ずかしいことじゃないわ。さあ、あなたが心の奥底に隠している本当の気持ちを解き放つのよ!」
「本当の、気持ち」
 そう言って胸に手を当てたサンジを、オカマ達の期待に満ちた目が見つめる。
「まあ、少しくらいはカッコイイ所もあるっちゃあるかしら」
「どんなところがカッコイイの?」
「……顔、とか、戦う姿とか…………」
「あっら〜ん♡イケメンなのね〜」
「でも、」
「「「「でも??」」」」
「やっぱり一番はあいつの生き様、だと思う」
 胸に当てた手の下で、トクン、と心臓が切なく鳴いた。
「生き様?」
「馬鹿みたいに真っ直ぐで、迷いがなくて。野望だけを見据えて突き進む背中は、悔しいけど……カッコイイの。初めて会った時から、ずっと眩しかった」
 そう語るサンジの顔が、ひどく綺麗で。夕陽を受けて黄金色に潤む瞳は、ここではないどこか遠くをひたと見つめていた。
 シーン、と水を打ったような静けさを破ったのは、エリザベス。
「サンジちゅわん……あなた、初めて会った時に心を奪われてしまったのね……」
「え?」
「だって今のあなたの顔、恋する乙女そのものよ」
「私が……あいつに、恋?」
「そうよ。あまりに突然で、きっと恋に落ちたことすら気づかなかったんだわ」
「そんなことって……」
 あるのかしら、と縋るように見上げた空はすっかり陽が落ちていて、ウインクをして肯定するかの如くキラリと星が瞬いた。

 

 ニュース・クーの運んできた新聞を読んでサンジが我を取り戻し、程なくして女王であるイワンコフが帰還してから、カマバッカ王国はとある噂話でもちきりだった。
「ねえねえ、サンジキュンの好きな人って……」
「うん、絶対あの人よね!」
「ゴツくてイケメンでマリモといえば、」
「「「ロロノア・ゾロ!!」」」
 キャーキャー!と悲鳴をあげて騒ぎ立てるオカマの集団に、怒り狂ったサンジが
「だから違うって言ってんだろうがーーー!!」
 と叫びながら突っ込んでいく。
 繰り出した全ての蹴り技を止められ躱され、サンジは肩で息をしながらオカマ達をギッと睨み上げた。
「いいか、あん時のおれは正気じゃなかった。だからあの話はもう忘れろ。そして二度と口にするな。いいか、わかったな!!」
「いやあねぇ、サンジキュン。あれは嘘偽りないあなたの本当のコ・コ・ロ♡だから忘れるなんてできないわ〜」
「ふざけるな!!!」

(なんだってんだよ、チクショウ)

 ああ、あの時の自分を殺してやりたい。
 ここに飛ばされたのがおれ一人で本当に良かった。
 あんな姿、仲間にはもちろんのこと、ジジイにも絶対に知られるわけにはいかねェ。 ゾロなんかに知られた日にゃあ、一生ネタにされてバカにされること間違いなしだ。そんな屈辱、耐えられねェ……!!
 だいたい、乙女の心ってなんだよ。
 ダンディなジェントルコックであるおれに、そんなモンあるわけねェだろ!
 ましてや、ゾロに惹かれてるだァ!?
 おれはレディをこよなく愛する男。そんなことあるわけ——

 ——本当に、ないと言い切れるのだろうか。

 不意に浮かんできた心の声に、サンジはぎくりと立ち止まった。
 たしかに、ソリが合わないし何かと癪に触ることばっかりだ。
 でも、よくよく考えてみれば案外好ましく思うところも多いんじゃないか?
 酒を見つけた時の嬉しそうな顔だとか。
 案外甘いところとか。
 背中を預けられる安心感とか。
 そして、眩しいほどにまっさらな背中。
 あいつの生き様そのものであるあの背中に、どうしようもなく惹かれている。
 これまで数多のレディ達に恋してきたけれど、ゾロの背中に惹かれる気持ちはそのどれとも全く違う、初めて経験するものだ。
 レディに恋をすると胸が高鳴るのに、ゾロの背中に惹かれるおれの胸はギュッと掴まれたように痛くて苦しい。
 ゾロにだけ感じる、特別。
 こんなのはきっと「恋」じゃない。けれど、じゃあゾロに惹かれていないのかと言われると、絶対に違うとは言い切れないような気がする。
 この気持ちを、なんと呼べばいいのか。

 

 突然自覚した感情に混乱し、呆然と立ちすくむサンジの背後から、今がチャンスとスイーツドレスを手にしたオカマ達が忍び寄る。
 あわや着せられる、というところで不穏な空気を察知して我に返り、
「くっそー、訳わかんねェ!それもこれも全部おまえ達のせいだ!!」
 と八つ当たりよろしく蹴りたくると、脱兎の如く逃げ出した。

 

 

 

 

粗砕コンカッセ!!」
 踵落としが見事に脳天に決まり、ずぅぅぅぅんと音を立てて巨体が倒れ伏す。
 その手から99個目のバイタルレシピを奪い取ると、サンジは静かに拳を天に突き上げた。
「ついにキャロラインまで倒すなんて……キャンディボーイ、ヴァナータ、強くなったのね」
「あたりめーだ。この二年間、おれがどんな、どんな思いでこの地獄を耐え抜いたか……っ!」
 おぞましい二年間の記憶が蘇り、吐きそうになるのを懸命に堪えながらサンジは声を震わせた。
 そんなサンジの元へイワンコフはコツコツとヒールを鳴らして歩み寄ると、真正面で立ち止まる。
「おめでとう、これで99個のバイタルレシピは全てヴァナタのものよ」
「これであいつらの体を作ってやれる……そうだ、早速作ってみてもいいか?」
「もちろんよ。城のキッチンを使っていいわ、食材は後で運んであげチャブル」
「ありがとう、感謝する」
 頭を下げると、逸る気持ちを抑えきれずにサンジはキッチンへと走った。

 

 じゅうじゅう、ぐつぐつぐつ。
 キッチンに、食欲をそそる匂いが広がる。
 料理をするサンジの後ろでは、オカマ達がお行儀よくテーブルについて料理が出来上がるのを待っている。
「サンジキュンの料理する姿って素敵ねえ」
「あーんな大きい鍋も軽々持って、細いのに力持ちよね」
「でも、この二年間でだいぶガッシリしたと思わない?」
「たしかに〜!けど、相変わらず腰は細くてお尻もちっちゃいわね。食べちゃいたくなる♡」
「「「わかる〜〜〜!!」」」
 ゾワワワワ、とサンジの全身に鳥肌が立つ。
「気色悪いこと言ってんじゃねえ!黙って待ちやがれ!!」
「もう、照れ屋さんなんだからァ」
「照れてなんかねー!」
「そんなこと言っても、私達にはお見通しよ♡」
 ダメだ、こいつら話が通じねェ。
 がっくりと肩を落としつつも、料理を作る手は止まらない。
 バイタルレシピからは学ぶことがたくさんあった。知らなかった調理法、思いもつかなかった味付け、意外な食材の組み合わせ。
 こと料理に関しては学び足りるということがない。世界にはまだ自分の知らない料理や食材がたくさんあって、それはきっと一生かかっても学びきれないだろう。でもだからこそ、自分はこんなにも料理に惹かれてやまないのだ。
 現に今だって楽しくてたまらない。
(早くあいつらに食わせてやりてえなァ)
 離れ離れになった仲間を想う。
 ナミさん、ロビンちゃん、ルフィ、ウソップ、チョッパー、フランキー、ブルック。そして、ゾロ。
 仲間みんなに分け隔てなく食わせてやりたい気持ちに嘘偽りはないが、どうしてだか、ゾロに一番に食わせてやりたかった。
 なんで、ナミさんやロビンちゃんじゃないんだろう。
 その答えは二年経った今でもよく分からない。
 ただ、自分にとってゾロが他の誰とも違う特別な存在であるらしいということだけは、二年かけてようやく分かったことだった。
 再会を果たして。あいつの顔を、その背中を見れば、それ以上のことが何かわかるのだろうか。
 知りたいような、知るのが怖いような。
 自分の気持ちがどうであろうと、再会の時はもうすぐだ。
(なるようにしかならない、か)
 そう腹を括ると、サンジは目の前の料理に意識を集中させた。

 

 

 

「さあ、シャボンディ諸島に着いたわよ」
「………………」
 ぐるりと視界を巡らせると、目に飛び込んでくる可憐なレディ達。
「女だ♡」
 感極まりすぎて、ぶわりと涙が溢れ出してくる。勢い余って鼻水まで出てきた。
 あああああああ〜〜〜〜〜!!!と半ば正気を失って駆け出していくサンジの後ろ姿を見送りながら、
「ねェ知ってる?男子って好きな子につい悪態ついちゃうのよ!」
 とマリアンネが放った核心をついた言葉は、レディに夢中になっているサンジの耳に届くことはなかった。

 

 シャッキーの店に顔を出し、ぶらぶらと買い出しをしながらサンジはゾロと顔を合わせなかったことにホッとしていた。
(どんな顔して会えばいいか分かんねェよ)
 妙に意識してしまうようになった今、以前と変わらず接することができるだろうか。先延ばしにしてもどうせ顔を合わせるのは時間の問題だが、少しでもその時を遅らせたい。
 そんなことを考えながら魚を買おうと漁師に声をかけると、あろうことかゾロが魚人島へ向かう見知らぬ海賊船に乗って行ってしまったと教えられた。
 断じて、ちょっぴり残念だなんて思ってない。むしろ顔を合わせるのがだいぶ先になりそうで都合がいい。
 それよりも、「片目」という言葉にざわりと胸が騒ぐ。

 ザバァァァァッ!!!

 その時、突然目の前で海が盛り上がり、真っ二つになった巨大ガレオン船が現れた。
 そんな目を疑うような光景よりも、サンジの視線は折れたマストの上のある一点に釘付けになっていた。

(——ゾロ、)

 一回り大きくなった体躯。
 少し伸びた髪。
 顔つきも、幾分大人びた。
 その、左目が。

 ぐわりと、大波に攫われるかのごとく心を鷲掴みにされた。
 抗えない。自分の意思なんて関係なく、持っていかれる。
 痛い。苦しい。息ができない。
 突然の奔流に飲み込まれて溺れそうになりながら、サンジは唐突に分かってしまった。
 こんなに胸が痛くて苦しいのも、ゾロだけが特別なのも、なぜなのか分からなくて当然だ。
 だってこんなの、これまでに経験したことなんてない。
 まだ見ぬ未知の世界。知らないことだらけの、新しい世界。
 新たな世界への扉を開いた先には、いったい何が待っているのだろう。
 楽しいこと、嬉しいことばかりじゃないかもしれない。苦しくて、悲しくて、扉を開いたことを後悔するようなことが待っているかもしれない。
 でも、それでも。突如目の前に広がった未知の世界に、飛び込んでみたい。

 ズダン、と目の前に飛び降りてきたゾロを真っ直ぐに見る。
「よう、クソマリモ。おれァおまえに話があるんだ」

 

 

 *

 

 

 拝啓
 クソジジイ、元気にしていますか。
 クソ野郎どもも、変わりはないですか。
 なあ、ジジイ。世界は広い。まだまだおれの知らないことがたくさんある。
 まるで料理みたいだ。果てがねェ。
 地獄での二年間を乗り越えて、おれはまた新たな扉を開こうとしています。
 この扉の先には、いったいどんな世界が広がってんのかな——。