ドライヤー

 ドライヤー。
 男二人の生活におおよそ必要ないであろう代物をこの家に持ち込んだのは、同居人であり、さらには恋人でもあるシノだ。
 
「おかえりシノ……って何、それ」
 帰宅したシノはスーパーの袋とは違う、見慣れない紙袋を持っていた。
「これか? これはなぁ」
 ジャジャーンと満面の笑みで紙袋からシノが取り出したのは、筒形をした小型の電化製品だった。機械を扱う職に就いているので、家電は専門外とはいえそれの名前と用途くらいは知っている。ドライヤーと呼ばれる、濡れた髪を乾かすための機械だ。
 ちなみに、鉄華団時代から現在に至るまで男でドライヤーを使っている人間は俺の周りにはいない(ああでも、ユージンは最近使い始めたって言ってたっけ。あれは例外)。使っていたのはエーコさんをはじめとしたタービンズの人達やクーデリア、つまりは女の人ばかり。ということは、だ。
 思い当たった一つの可能性。もしそれが事実ならサイアク以外の何ものでもない。でもたぶん事実である可能性は限りなく高いはずで、俺の機嫌は一気に急降下した。
「ドライヤーだ!」
「そんなの見ればわかる」
「待って待って、なんでヤマギ怒ってんの?」
「自分でわかんない?」
「わかんない。ぜんっぜんわかんないから教えて?」
「あのさぁ。かわい子ぶったって全然かわいくないから」
「ちょっとヤマギさん!?」
 慌てるシノを睨みつければ、情けなく眉を下げてソファに座る俺の足元に擦り寄ってきた。
「なんかわかんねえけど、とりあえずごめん」
 大きな体をしゅんと縮ませてシノが謝ってくる。なんで俺が怒ってるかわからないくせにとりあえず謝ってくるのがムカつく。ムカつくのに、まるで叱られた大型犬みたいでかわいいなんて思ってしまう俺も大概だけど。
「とりあえずごめんって何」
「いや、たぶん俺が悪いから謝っといた方がいいかなーって」
「そういうのムカつくからやめて」
「はい……」
 すっかりしょぼくれてしまったシノに、八つ当たりが過ぎたかなとちょっと反省する。でも、大事そうにドライヤーを手に持ったままなのを見たら、そんな殊勝な気持ちは一瞬でどこかに吹き飛んでいった。 
「……女」
「へ?」
「どこの誰だか知らないけどさ、それ、女の人から貰ってきたんだろ。悪いけど捨ててくれない? 俺もシノもそんなもの使わないし」
 わからないみたいだから丁寧に言い直してやれば、シノはきょとりと目を見開いた。まさかそんな理由だとは思いもしませんでしたって? ほんっと、デリカシーないんだから。ああムカつく。
 怒りに任せてもう一言くらい何か言ってやろうと思ったところで、なぜかシノが嬉しそうに目を細めた。目だけじゃなく、顔中がだらしなく緩んでいく。
「ちょっと、人が怒ってるっていうのに何その顔」
「いやこれは仕方ないっていうか、あー……」
 両手で顔を覆ったシノが、指の隙間からチラリと視線を寄越してきた。
「もしかして、ヤキモチ?」
「——っ!」
 いやわかってた。自分でもしょうもないヤキモチだってわかってたけど。残念ながら「そうだけど?」なんて返せるような余裕は俺にはなくて、思わず言葉に詰まる。そうしたら、手のひら越しでもシノの顔がますますだらしなくにやけていくのがわかった。
「ああもうっ……悪かったな、くだらないヤキモチ妬いて!」
「違うって、そうじゃねえよヤマギ」
 喚いていたら突然巨体がのしかかってきて、シノの腕の中に閉じ込められた。馬鹿力のくせに思いきり抱きしめてくるから痛い。しかも満足そうに頬ずりまでしてくるもんだから、髭が擦れて顔も痛い。
「はあ、たまんねぇ」
「ちょっとシノ、くるし……っ」
「おっとごめんな」
 腕の力を緩めたシノが、顔を覗き込むようにして額をくっつけてきた。
「ヤキモチ妬くヤマギ、すげーかわいい」
「……どうだか」
「嘘じゃねえって」
 それにさ、とシノが言った。
「これ、貰いもんじゃないんだ」
「え?」
「俺が、自分で買ってきたの」
「……なんで」
「この髪」
 おろしたままの髪にシノが優しくシノが触れてくる。
「今でも十分きれいで好きだけど、ドライヤー使えばもっときれいになると思ったんだ。孤児院でもさ、チビたちの髪をドライヤーで乾かしてやると、すっげえサラサラになるんだぜ? ただタオルで拭いて自然乾燥させた時と大違い。だから、ヤマギの髪もこんなふうに乾かしてやりてえなって」
 胸が詰まった。シノはこんなに俺のことを考えてくれてたのに、俺は勘違いで八つ当たりなんかして。
「とはいえ、勘違いさせて嫌な気持ちにさせたのは悪かった。ごめんな」
 たまらなくなって、目の前のシノに飛びついた。感情のままに力加減も忘れてぎゅうぎゅうと抱きしめてしまって、さっきのシノもこんな気持ちだったのかな、なんて思う。
「俺こそごめん。勘違いで酷いこと言った」
「気にしてねえよ」
「ほんと?」
「ほんと!」
 腕を緩めてそろりと顔を上げれば、悪戯っぽいウインクが返ってきた。
「だからさ、仲直りのチューしようぜ」
「もう。何それ」
 笑いながら、ほっぺにキスをする。
「違う、そこじゃない」
「じゃあここ?」
 今度は鼻の頭に。
「違う」
「じゃあここ?」
 わざと唇を避けて、おでこ、まぶた、耳と順番にキスをしていく。
「ちーがーう」
「んー、じゃあここ?」
 最後に触れるだけのキスを唇にすれば、正解、とシノが喉の奥で笑った。
 
 
 *
 
 
 ブオォ、と騒々しい音を立ててドライヤーから熱風が吹き出てくる。
 俺は胡座をかいたシノの足の間に座って、おとなしく身を任せている。
 孤児院で子どもたちの髪を乾かしていると言うだけあって、シノの手つきは慣れたものだった。指先で柔らかく地肌をこすり、髪の根元があらかた乾くと今度は手ぐしで梳きながら毛先の方まで乾かしていく。大事な物に触れるような、慈しむような指の動きが癖になりそうだ。愛されてるって感じがする。
「ねえシノ」
「なんだ?」
 ドライヤーの音に負けないように声を張り上げれば、同じく大きな声が返ってきた。
「髪の毛、たまにはこうやって乾かしてよ」
「任せろ! っつーか、たまにじゃなくて毎日でいいじゃん」
「じゃあお願いしちゃおっかな」
「喜んで乾かさせていただきます」
「……たまにはシノの髪も乾かしてあげる」
「マジ!?」
 大袈裟に驚いたあと、シノが破顔する。こんなに喜んでくれるなら、たまによりはちょっと多く乾かしてあげてもいいかもしれない。
 
 ドライヤー。
 男二人の生活におおよそ必要ないであろう代物だったそれが、なくてはならない物になる日はたぶん近い。

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