天国だろうと、地獄だろうと

『——もしおれが“正気”じゃなかったら。おまえがおれを殺せ』
 
 ワの国、鬼ヶ島。
 百獣海賊団の大看板との熾烈な戦いの最中、唐突に鳴り響いた電伝虫の向こうで、コックはそう言った。
 
 聞いた瞬間、息を呑んだ。
 聞きたいことはたくさんあった。
 だいたい、同じ船に乗る仲間に自分を殺せと頼むなど、それこそ正気の沙汰じゃない。
 でも、それでも。

『——よしわかった。お前はおれがキッチリ殺してやる!!」
 
 たとえ仲間殺しという業を背負うことになろうとも。
 コックが他でもない、このおれに託したのならば。
 その言葉の裏に隠された覚悟と信頼に、応えないという選択肢など、おれにはない。
 
 
 1.
 
 
 ワの国での戦いで、地獄に片足を突っ込んでいたおれを引き戻したのは、他でもないコックとの約束だった。そんな、生死を左右するほどの約束だったというのに、コックは「あれはもういいんだ」の一言でなかったことにしやがった。
 なかったことにするだけあって、一見してコックはいつも通り、特に変わりがないように見えた。ただ、なんとなく違和感を感じてコックの頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺めたところで、その正体に気がついた。
 体が、やたらと硬そうなのだ。今しがたモモを見て同じようなことを感じたばかりだが、モモとはまた硬さの質が少し違うような——。
 気になれば確かめるまで、といつもの喧嘩の要領で刀を抜いて斬りかかれば、瞬時に反応して蹴り出したコックの足が刀を弾いて金属音を鳴らした。——金属音?
 武装色かとも思ったが、着物の裾から剥き出しになった生っ白なまっちろいままの足を見てすぐに違うと知れた。能力者ではない生身の人間が、武装色もなくここまで硬くなるものだろうか。人間というよりは、まるでフランキーのようなサイボーグを相手にしているかのようだ。
「おいてめェ、この硬さはなんだ?」
「あァ? おまえの刀が鈍っただけだろ」
「ちげェよ!」
 つい挑発に乗って思いきり振り下ろした刀は、コックの靴底で止められた。
「ほらな」
「こンの野郎……!!」
 しかし、挑発するわりにコックはひらりひらりと蝶のように身を躱すばかりで、自分からは攻撃を仕掛けようとしてこない。
「おい」
 防戦一方のコックに焦れてどういうつもりだと詰ろうとしたところで、びよんとゴムの手を伸ばしてルフィが飛び込んできた。
「ゾロー! サンジー! みんなで風呂行くぞ!」
「風呂か。そりゃいいな」
 これ幸いと思ったのかどうかは知らないが、わずかに表情を緩めたコックは即座に構えを解くと、喧嘩は終いだとばかりに背を向けて歩き出した。その背を追いかけるルフィに「ゾロも早く来いよ」と言われればそれ以上仕掛けることもできず、おれは舌打ちを一つしてから仕方なく刀を鞘に納めた。
 まあいい、と先を歩く少し猫背気味のコックの背中を見ながら思う。
 違和感の正体を確かめる機会は、まだいくらでもあるはずだ。
 
 
 
「あー、いい湯だ。酒も美味ェ」
 温泉に浸かりつつ持ち込んだ米の酒に舌鼓を打っていると、チャプチャプと音を立ててチョッパーが近寄ってきた。
「ゾロ! 体はどうだ?」
「ああ、お陰様でな。もうなんともねぇよ」
「よかった、薬で無理をさせたから心配してたんだ。サンジも……あの調子なら大丈夫そうかな。貧血にならないかは心配だけど」
 鼻血を噴き上げてぶっ飛んでいるコックを見ながらチョッパーが言う。
「コックがどうかしたのか」
「そっか、ゾロは別の場所で戦ってたから知らないよな。サンジ、クイーンと戦ってる時すごかったんだよ!」
「すごかった?」
「全身あちこち骨折してゾンビみたいになったのに、自分で叩いて治しちゃったんだ。それに、クイーンのおっきな刀を首で真っ二つに折ったんだよ」
「刀を? 首で?」
「うん、本当だよ」
 その時の様子を詳しく説明してくれるチョッパーの声を聞きながら、ふむ、とおれは考え込んだ。
 やはり体が硬くなったのは間違いなさそうだ。しかも、どうやらそれだけじゃない。骨折がすぐ治ったということは、治癒力が異常に高くなったということだろうか。元々頑丈で怪我の治りも早い男だったが、ここまでではなかったはずだ。
 一体いつから、と考えてふと思い出した。そういえば、おれが復活してすぐの時に『体が変』だと言っていたような気がする。だとすれば、その時からか。
「なあゾロ。おれ、サンジすごいなって思ってたんだけど、よく考えたらおかしいよね。サンジは普通の人間のはずなのに……。もしかして、サンジ変になっちゃったのかな」
 考え込むおれを見て何を思ったか、声のトーンを落としたチョッパーが不安そうな顔で見上げてきた。
「大丈夫だ。コックが変なのは前からだろ」
 安心させるようにチョッパーの頭を撫でてやる。
「そうだけど……でも、そっか、ゾロがそう言うならきっと大丈夫かな」
「ああ、大丈夫だ。ただ、もしまたコックに変なことがあれば教えてくれるか?」
「うん、任せてくれよ!」
「頼りにしてるぞ」
 誇らしげに胸を張ったチョッパーの頭をもう一度撫でてやりながら、コックに目を向ける。
 鼻血を垂らし、締まりのない顔をしてヤマトに話しかけている様子からはいつもと何ら変わりがないように見えた。「正気じゃなかったら」と言うからには人格に異常をきたすのかもしれないと危惧したが、違うのだろうか。コックの身に生じているらしい体の変化は、ただそれだけのものなのか、正気じゃなくなる前触れなのか。何一つわからない。
 とにかく今はコックの体の変化について詳しく知るのが先決だと結論づけ、残っていた米の酒を一気に呷った。
 
 
 
 体を重ねれば、コックの体をくまなく調べることができる。
 思いついたその考えに、我ながら妙案だと思った。
 胸に秘めた感情も、この関係を何と呼ぶかも互いに口にしたことは一度もなかったが、コックとはこれまでに何度も体を重ねていたので行為に及ぶこと自体に問題はない。あとは、二人きりになれる時間と場所を確保するだけだ。
 虎視眈々と機会を窺い、飲んで騒いだ宴の後にようやくコックと二人きりになることができた。
 半ば引き摺るようにして空いている部屋へとコックを放り込み、何事かを喚こうとしていた口をキスで塞いだ。開いたままの口に舌を差し入れ、上顎をくすぐるようになぞる。コックはここが弱いのだ。
 ぴくりと反応を示しわずかに抵抗が緩んだのを認めると、さらに舌の動きを大胆なものへと変え、上顎への愛撫を続ける。すると、コックの表情がとろりと蕩けるようなものに変わった。
 ここまで来ればこっちのものだ。
 表情と同じくくたりと力の抜けた体を畳に押し倒す。押し倒した拍子に唇が離れると、コックの口から切なげな吐息が零れた。
「っは、ぁ……なに、盛ってんの?」
「まあな」
 答えながら、コックの着物をはだけさせて素肌を晒す。
 抱くことよりも全身をくまなく検分することが一番の目的であったのに、わずかに上気して薄桃に染まった肌を見たらもう駄目だった。
 死にかけると性欲が増すと言うが、地獄に片足を突っ込んだせいで常になく燻っていた欲が一瞬にして燃え上がる。
 目の前のこの男を抱きたいと、ただそれだけしか考えられなくなった。
 獣のような低い唸り声をあげ、無防備に晒された鎖骨にかぶりつく。ガチリと鈍い音がして痛んだ歯に我に返るが、止まることはできなかった。
 ゆるりと首を擡げたコックのモノを扱きながら、何か慣らすものを、と考えたところで懐に忍ばせた物の存在を思い出した。コックとの関係を知ってか知らずか、あの日和とかいう名前の女に「きっとこれが必要でしょうから」と持たされた物だ。
 いわゆるぬめり薬と呼ばれるそれを懐から取り出して口に含む。唾液でふやかしたそれを手に取るとコックの尻に塗りつけ、押し込むようにつぷりと指を差し込んだ。
 途端、温かく柔らかな粘膜が指を包む。
 その温かな場所にすぐさま自身を突き挿れたい衝動を必死に堪えつつ、丁寧に、しかし性急に快感を高めるような動きで中を解していく。
 程なくして緩んだそこに、あともう少しと指を増やしたところでコックがその手を強く掴んだ。
「も、いい、から……はやくっ」
 泣きそうな顔をして、既にガチガチに勃ち上がっていたモノをねだるように撫でられれば、必死に保っていた理性の糸がプツリと音を立てて切れた。
 解していた指を一気に引き抜き、手に残ったぬめりを雑に性器に塗りつけると、物欲しそうにひくつく窄まりへと押しつけた。
「いくぞ」
 ゴクリとコックの喉が上下する。
 それを了承の合図と捉えて一気に根元まで押し込むと、後はもう、夢中で腰を振った。
 腰を振りながら、その首に、胸に、足に、吸い付いては噛みつく。けれどもその白い肌はどこもかしこも硬くて、吸い跡だけでなく歯型すら残らなかった。まるで機械のように、どこかひんやりとして硬く無機質な肌。
 それなのに、突き挿れた中は変わらず温かで柔らかくて、それがひどく切なかった。
 
 
 
 嵐のような情交を終えた後。
 うつ伏せになって肘をつき、気怠げな様子で煙草を吸うコックの背にのし掛かると、その肩にがぶりと噛み付いた。
「痛ェよ」
「……硬いな」
 思い切り噛み付いたそこにはやはり歯型がつくことはなく、わずかに赤くなっただけだった。その赤みも、すぐに何事もなかったかのように消える。
「やっぱり治りも早いのか」
「やっぱり?」
 噛み付いても視線すら寄越さなかったコックが、ようやくこちらを向いた。
「チョッパーから、恐竜野郎との戦いのことを聞いた」
「……そうか」
「切れねえのか?」
「試してみるか?」
 ふざけたような調子でいて、思いのほか真剣で、どこか縋るような眼差しだった。
「いや、いい。——そうなったのは、恐竜野郎が言ってた『改造人間《サイボーグ》』ってのと関係あるのか?」
「……ああ、多分な」
「正気じゃなかったらってのは?」
 コックが再び視線を逸らす。
「言葉のまんまだよ。そうなっちまうのかどうか、おれにもまだわからねェ」
「まあいい」
 ため息のように紫煙を吐き出すコックの顎に手をかけ、その顔を無理矢理こちらに向けた。コツリと額を突き合わせ、わずかに揺れる青を至近距離で覗き込む。
「その時は、おれが約束通り殺してやるまでだ」
 改めてそう口にすると、肌がぞわりと粟だった。
 もちろん、そんな事態になどならないに越した方がいいに決まっている。
 けれど、万が一の場合、自分にだけがそれが出来るという自負があった。他の仲間じゃ駄目だ。あいつらは優しすぎる。ルフィにだって無理だ。あいつは、何がなんでもコックを生かすだろう。
 自分だけが、出来ること。
 自分にしか、出来ないこと。
 この肌の粟立ちは恐怖ではない。歓喜だ。図らずしてこの男の生死をこの手に握る権利を得たことによる、歓喜。
 約束した以上、コックの命はおれのものだ。
「だから、それまで勝手に死ぬんじゃねえぞ」
「……わかったよ」
 ふっと視線を落としたコックの、その薄い瞼に口付ける。
 まるで誓いみてェだなと、自分でしておきながらどこか他人事のように、そう思った。

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