「ただいま〜」
「おかえり、シノ」
リビングのドアをガチャリと開けて顔を出したシノに、ソファに寝転んだまま声をかける。
と、シノの眉毛が片方だけひょいと持ち上げられた。いつも思うけれど、シノは器用というか、表情筋を自在に動かせるのがすごいと思う。俺はあんな風にはできない。
「ん? ヤマギなんか声おかしくないか?」
「なんか風邪ひいちゃったみたいで。喉が痛いし、鼻も詰まってうまくしゃべれないんだ」
「風邪!? 大丈夫……じゃなさそうだな」
慌てて近寄ってきたシノが、しゃがみ込んで顔を覗き込んでくる。
心配してくれているのか、今度はへにゃんと下がった眉を手を伸ばしてそっと撫でた。
「ん……熱はないけど、なんかだるいし熱っぽいからちょっとしんどい、かな」
実際、動くのも億劫なくらいにはしんどい。鼻が詰まっているせいか頭も鈍く痛んで、たまらずハァと熱っぽい息を吐いた。
腕を上げているのもつらくて、シノの眉を撫でていた手が重力に引かれるままに落下していく。そのままソファに衝突すると思われた手は、あと一歩のところでシノの大きくてあたたかな手に捕まった。
「ごめん。ありがとう」
「……」
返事がないのでどうしたのかと小首を傾げてシノを見上げると、こちらをぼーっと見たまま動きを止めている。どうしたんだろう。もしかしてシノも調子が悪いんだろうか。
「シノ?」
「……っ、わりい」
「もしかしてシノも風邪ひいた?」
「いや、俺は大丈夫だ。ところでヤマギ、メシ食ったか?」
「食べてない」
「そうか。なんか食えそうか?」
「ううん、食欲ない……ああでも、なんか飲みたいかも」
「わかった、ちょっと待ってろ」
そう言ってシノは握っていた俺の手をそっとソファにおろすと、立ち上がってキッチンへと消えていった。
カチャカチャとグラスのぶつかり合う音と、冷蔵庫のドアが開け閉めされる音。それからトポトポと液体を注ぐ音。軽く目を閉じて、シノが立てる物音をぼんやりと聞く。程なくして、シノがリビングに戻ってきた。
「ほら、飲むか」
「うん」
痛む頭を押さえながら緩慢な動作で起きあがろうとすると、軽く肩を押されて再びソファに沈んだ。
「なに、シノ」
「いいから。そのまま横になっとけ」
「でも……」
寝たままじゃ飲めないのに。どうするつもりなのかと問いかけるようにシノを見上げる。すると、右手を伸ばしてグラスを取ったシノが、なぜか自ら中身を口に含んだ。次いで、伸びてきた左手が頭の下に差し入れられ、軽く持ち上げられる。
「え、ちょっとシノ…………んぅっ」
シノの顔が近づいてきて、唇に温かいものが押しつけられた。キスをされたのだと気づいて慌てて抗議の声を上げた隙間から、すかさず分厚い舌が押し入ってくる。その舌を伝うようにして、ほんのりと甘く冷たいものが口内へと流れ込んできた。
——ああこれは、シノお気に入りのスポーツドリンクだ。
ろくに食べていなかったせいで乾き気味の粘膜を、程よく塩分と糖分が含まれた液体が潤していく。
「……っ、ふ」
飲めと促すように、シノの舌がぬるりと動いて舌の付け根のあたりをくすぐる。
反射的に喉が動き、口の中のものを飲み下した。それが刺激となり、喉にピリリと痛みが走る。思わず顔をしかめると、飲みきれなかった一部が口の端からつ、とこぼれ出た。
べろり。頬を濡らしたそれを、シノの熱い舌が舐め取っていく。
「しの、やめっ」
腹の奥にズクリと覚えのある感覚が芽生えかけ、慌てて覆い被さるシノの胸を押した。けれど、うまく力の入らない腕ではびくともしない。そんな弱々しい抵抗など意に介さず、シノは耳を食んだり、唇に触れるだけのキスを落としたりとやりたい放題だ。
「ダメだって……風邪、うつっちゃうだろ!」
力でダメなら言葉でと、キッと睨みつけて声を張り上げた——つもりだった。なのに耳に届いたのは、少し鼻にかかったハスキーボイスで。
それでも言わないよりはマシかと、だめ、だめ、と精一杯の掠れ声で繰り返していたら、突然ウッと呻いたシノが倒れ込んできた。
「あー、やべー」
「は? やばいって何が」
「ヤマギぃ。その声、反則」
股間にクル、なんて情けない声で言うその顔は、すっかりオスの顔だ。
「バカ、何言ってるんだよ……ってアッ、ダメだってば! 押しつけてくるな!」
ソファに乗り上げてきたシノがグイグイと腰を押しつけてきた。足の付け根あたりに硬く張り詰めたモノの感触。触ってもいないのに、まさか俺の声だけでこんなになったと言うのか。
「なぁ。最後まではしねえから、抜きあいっこだけでも」
ダメだと突っぱねるつもりだったのに、「いいだろヤマギ」と切なげな声で呼ばれたら、断ることなんてできるわけがなかった。
シノのこんな声にも、シノからのおねだりにも、俺はとことん弱いのだ。
「もう。シノはずるい」
「知らなかったのか? 俺はずるい男だぜ」
余裕ぶった口調とは裏腹に、再び唇を重ねてきたシノは性急な動きでシャツをめくり、ズボンを下ろし、俺の肌を晒していく。肌の上をすべるシノの指が不埒な動きをするたびに、俺の口からは妙に甘ったるい掠れ声がこぼれ出た。まるで壊れかけたオルゴールみたいだ。
そうして最低限だけ俺を裸に剥いたシノが、よほど余裕がないのか焦れたように自分のズボンを雑に下げた。勢いよく飛び出してきたモノを、すでに立ち上がり先端から蜜をこぼす俺のモノに擦りつけてくる。
「あっ、しの、待って」
「わり……ヤマギ、おれ、今日待てそうにねえ……っ」
言うが早いか、シノが熱く大きな手のひらで自分のと俺のとを二本まとめて握り込む。そのままグチュグチュと上下に扱かれて、俺は弾けたように大きく仰け反った。過ぎる快感に目の前がチカチカと明滅し、ヒュッと喉が震える。かすかに響いた調子はずれの笛のような呼吸の音は、続く喘ぎにすぐにかき消された。
「あ、あ、あ、あ、しの、やっ……!」
「——だから、その声、やべえんだって……!」
ふいに手の動きを止めたシノが、グウッと低く唸る。直後、生あたたかいものが剥き出しの肌に散った。
たぶん、イッたのは同時だ。俺はともかく、シノにしてはあまりにも早すぎる絶頂。
どさりと倒れ込んできたシノを体全体でなんとか受け止めながら、荒い息の合間で切れ切れに言葉を紡いだ。
「シノ、おも……」
もはや囁くような声しか出ない。それでも、こんなに至近距離にいるのだ。俺の言葉はちゃんと伝わったはずなのに、シノは俺の上から退くどころか、ぎゅうぎゅうと平らな胸に顔を押し付けてきた。
「ちょ……シノ、くるし」
「頼む、ヤマギ。もうしゃべるな」
「な、んで」
「だってよー」
我慢できなくなる、と囁くシノの掠れた声に背筋が甘く痺れた。
欲に濡れた声。今はきっと、俺だけが聞くことのできる声。この声を聞くと、全身がぐずぐずに溶けて、なにも考えられなくなる。もう指一本すら動かせそうにないほどだるいのに、この先を求めてしまいそうになる。
「……いいよ。我慢、しなくても」
投げ出した腕をなんとか持ち上げて、シノの腰を撫でる。ぴくりと体を強張らせたものの、シノは俺の胸に顔を埋めたまま動かなかった。
「ダメだ」
「あんま、動けないかもだけど」
「あのなあ」
「……シノ。俺だって、我慢できない。……シノが、ほしい」
「——っ! あーもう、どうなっても知らねえぞ」
がばりと顔を上げたシノの顔があまりにも切羽詰まっていて、それが愛しくて、愛しくて。
でも、ろくに動かない体では抱きしめることもできなくて、甘ったるく掠れた声でもう一度「シノ」、と名を呼んだ。