仙人掌の花が咲いたなら

third time

 翌週も、サンジーノは再び面会室を訪れゾロシアと向かい合っていた。
(もしかしたらと思うと、ついまた持ってきちまった)
 手元には、前回ゾロシアが反応を示したサボテンの鉢が置かれている。
「さて、今日もまずは前回のおさらいからだ。おれの名前を覚えてるか?」
「……サンジーノ」
「上出来だ。ようやく覚えたな」
 にっこりと、サンジーノが笑みを浮かべる。
「ところで、あれから調子はどうだ?」
「頭痛のことを言っているのなら、もう治った」
「それは何よりだ」
 ゾロシアは相変わらず死んだ魚のような濁った目をしていたが、前よりも幾分かしっかりとした口調で答えた。その濁った目は、サンジーノの手元にあるサボテンを真っ直ぐに見つめている。
 その視線に気がついたサンジーノは、サボテンの鉢をゾロシアの真正面、アクリル板に触れそうな距離まで移動させた。
「このサボテンが気になるのか?」
 返事はなかった。
 サンジーノの声など聞こえていないかのように、ゾロシアは何の反応も示さずただひたすらにサボテンを見つめ続けている。
 そんなゾロシアを、サンジーノは答えを促すでもなく静かに眺めた。
 何となく、邪魔をしない方がいいような気がしたのだ。
 そのまま五分ほど過ぎたところで、ようやくゾロシアはのろのろと顔を上げた。
「……気になるのとは、少し違う」
「というと?」
「このサボテンを見ていると、何か大切なことを思い出しそうな気がする」
「……ふうん。大切なことってのは、一体何なんだろうな」
 そこだけあえて感情を押し隠すような、平坦な口調だった。サングラスのせいで表情を窺い知る事はできない。
 問われて考え込んだゾロシアの眉間に徐々に皺が寄る。それから、左のこめかみを押さえると低く呻いた。
「わからない……思い出そうとすると、頭が痛くなる……」
「オーケー、分かった。今の質問はなしだ」
 両手を上げ大袈裟に肩を竦めて見せると、ゾロシアの体から力が抜けた。
 考えるのをやめたことで頭痛が引いたのだろう。後ろで立ち上がりかけていた刑務官が、その様子を見て再び腰を下ろした。
「悪かったな」
「いや、いいんだ。——なあ、このサボテンはおまえの物なのか?」
「ああそうだ。おれの可愛いトゲマリモちゃん」
 サンジーノは、甘い声でそう呼ぶとサボテンの鉢を愛おしそうに撫でた。
「トゲマリモ……?」
「この子のニックネームだ。気にするな」
「名前までつけるなんてえらく大事にしてるんだな。でも、そんな大事なものを何でわざわざここに持ってきたんだ?」
「さあ、何でだと思う?」
「……おれに関係するものなのか」
「正解」
 ゾロシアは訳がわからないという顔をした。
「おまえのサボテンとおれに、いったい何の関係が……?」
「そうだなあ」
 サンジーノはまたサボテンの鉢を撫でた。
「教えてやるのは簡単さ。けどおれはおまえに自分で思い出して欲しいから、答えは教えてやらない」
 きっぱりと言い切ったサンジーノにこれ以上聞いても無駄だと悟ったのか、再びゾロシアは考え込み始めた。
「このサボテンを、どこかで見たことがあるような……いや、誰かと一緒に見た?あれは、誰だ…………?」
 サンジーノが思わず身を乗り出したのと同時に、ゾロシアの顔が苦痛に歪み呻きが漏れた。
「おい、大丈夫か」
「うあ、あ!頭が、痛い……」
 ひどく痛むのか頭を抱え込んでしまったゾロシアに、立ち上がった刑務官が慌てて近寄ってきた。椅子からずり落ちそうになったゾロシアを支えつつ、顔を上げてサンジーノを見る。
「今日はこの辺にしておいた方がよさそうだな」
 刑務官が言わんとすることを察して声をかけたサンジーノは、返事を待たずにサボテンの鉢を抱えて立ち上がった。
「……また来週来る」
 苦しみ続けるゾロシアに小さく告げると、踵を返す。
 
「もし、サボテンの花が咲いたなら——」
 
 面会室のドアが閉まる直前、サンジーノの口から漏れたかすかな呟きは誰の耳にも届くことなく空気に溶けて消えた。
 後に残ったゾロシアもすぐに面会室から連れ出され、色の消えた白い部屋は、何事もなかったかのように再び静寂に包まれた。

タイトルとURLをコピーしました