仙人掌の花が咲いたなら

4th time

 約束通り、翌週もサンジーノはサボテンの鉢を持って面会室を訪れた。
「あれから大丈夫だったか?」
「無理に思い出そうとすると相変わらず頭が痛むが、それさえしなければ平気だ」
 サンジーノが机に置いたサボテンを見ながらそう答えた後、ゾロシアはその横に置かれた紙袋に目を移した。
「その紙袋の中身は何だ?」
「これか?今開けてみせるからちょっと待ってろ」
 サンジーノが紙袋からなにやらケースを取り出すと、ふわりと食欲をくすぐる匂いが漂った。
「……食い物か?」
 答える代わりにケースの蓋を開ける。そこには、色とりどりの食べ物が見目美しく詰められていた。きつね色に揚がったライスコロッケ。ミニトマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。野菜とベーコンのフリッタータ。ローズマリーレモンチキン。ブロッコリーのアーリオ・オーリオ。それからケースに入ったものとは別に、ワックスペーパーに包まれたパニーニ。
 見るからに美味しそうなそれに、ゾロシアの喉がゴクリと鳴る。
「今日は弁当を作ってきたんだ。食わせてやりたかったんだが、食べ物は差し入れできない決まりなのをすっかり忘れてた。見せてやることしかできなくて悪いな」
「これ、全部おまえが作ったのか?」
「そうだ。料理が趣味でね」
「趣味?コックをしてる訳じゃないのか」
「そうだったらよかったが、残念ながら違うな」
「そうなのか……しかしすごいな。美味そうだし、酒にも合いそうだ」
「酒?」
 サンジーノの眉がピクリと上がる。
「ああ、それ見てたら無性に酒が飲みたくなった」
「ふうん。記憶がなくなっても、嗜好は保持されるのか」
「どういうことだ?」
「記憶がなくなる前のおまえは無類の酒好きだったんだ。そりゃもう、浴びるくらいに飲んでたぜ」
「へえ、そうなのか」
「ちなみに、これは全部おまえの好物だ」
「おれの好物?」
 ゾロシアは再び弁当の中身をまじまじと見つめた。
「そう言われてもピンとこないな……なあ、おれの好物を知ってるってことは、おれとおまえはそれだけ近い関係だったのか?」
「まあ、遠い関係ではなかったな。こうやっておまえの記憶を取り戻すために呼ばれたくらいだし」
 ぎしりと音を立て、サンジーノがパイプ椅子に背を預けた。長い足を持て余すようにして組み、両腕を胸の前で組む。
 静かに座っているだけなのにどこか凄みのあるその姿をどこかで見たような気もしたが、思い出そうとした途端に頭の奥が鈍く痛み出したのでゾロシアはそれ以上考えることを放棄した。
「かといって、近い関係かと言われるとまた少し違う。まあ要するに、おれとおまえの関係は複雑なんだ」
「遠くもないが、近くもない、複雑な関係……?さっぱりわからない」
「記憶を取り戻したらわかるさ」
「もし、記憶が戻らなければ?」
「え?」
「記憶がこのまま戻らなかったら、わからないままだ」
「その時はその時だろう」
 淡々と、一切の感情を排してサンジーノは言った。
「思い出さなければ、所詮おれとおまえの関係はそこまでだったってことだ」
「そうかもしれないが……おまえはそれでいいのか?」
「何でそれを聞く?今のおまえにとっておれは赤の他人だ。おれがどう思うかを気にする必要はないだろう」
「……まあ、そうだが」
 それきり、ゾロシアは考え込んでしまった。
 沈黙が二人の間に降りる。
 サンジーノは目の前の弁当に視線を落とした。
 食べさせてやることのできない料理達。
 好物を見せることで記憶が戻るきっかけになるかもしれないと思ったが、残念ながら効果はなかったようだ。用無しとなった弁当をしまおうと手を伸ばした時、パイプ椅子がぎしりと音を立てた。
 その音に気づいたゾロシアが、俯いていた顔を上げる。
「仕舞うのか、それ」
「ああ。差し入れできないなら持って帰るしかないしな」
 答えながらも、片付ける手は休めない。
「ちょっと待ってくれ」
 弁当の蓋を閉める直前、ゾロシアに請われサンジーノは動きを止めた。
「なんだ?」
「それ、おまえが今ここで食べることってできるのか?」
「おれが?どうなんだろうな——おい、おれが食べるのは構わないか?」
 サンジーノがゾロシアの背後に控えている刑務官に尋ねると、刑務官は無線でどこかに連絡を取った後、「あなたが食べるのは構いません」と伝えてきた。
「問題はないみたいだな」
「じゃあ食べてくれないか。今、ここで」
「別に構わないが……人が食べるところ見て楽しいか?」
「いいから」
 じゃあ遠慮なく、と仕舞いかけた料理を再び広げまずはカプレーゼに手を伸ばした。
 プチリと口の中でミニトマトが弾けて程よい酸味が広がり、ゆっくりと咀嚼してチーズの甘さと混ざり合うのを堪能する。
 その様子を、ゾロシアは食い入るようにして見つめていた。
 それから他の料理を順に食べる間も、ゾロシアは食事をするサンジーノの姿を見つめ続けた。
 そんなゾロシアの様子をサングラスの下から盗み見たサンジーノの動きが一瞬止まる。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
 何気ない風を装いながら、サンジーノは胸の鼓動が早まるのを自覚していた。

(目が、変わった)
 
 ゾロシアの死んだ魚のようだった目に、わずかだが光が戻っている。
 食べ物への反応は薄かった。ということは、自分が食べる姿に反応しているのだろうか。ゾロシアの目の前で食べる、という行為を続けていれば、もしかすると記憶が戻るかもしれない。
 期待が膨らむと同時に、サンジーノはふと我に返った。
 ゾロシアの記憶を戻すというのは、果たして正しいことなのだろうか。
 このまま記憶が戻らない方が幸せかもしれない。
(いや、今さら何を躊躇してるんだおれは)
 正しいとか正しくないとか。望まれているとかいないとか。
 そんな迷いはとうの昔に振り切ったはずだ。
 そもそも、この依頼を引き受けた時点で自分の心は決まっている。
 その気持ちに正直に、今できる最善を尽くせばいい。
 
 
 
 全て食べ終えると、サンジーノは弁当を片付けて立ち上がった。
「帰るのか?」
「ああ、もうそろそろ時間だ」
 なあ、と何かを言いかけて、ゾロシアが口籠る。
「なんだ?」
「いや……来週も来るなら、また弁当を作ってきてくれないか」
「食べられないのに?」
「おまえが食べてるのを見ると、何かを思い出しそうな気がするんだ」
「なるほど……いいぜ、また作ってきてやる」
 頼まれなくても作ってくるつもりだったがな、と心の中でつけ加える。
 どうやら自分の推察は正しかったらしい。
 それはつまり、自分が食事をする姿がゾロシアの脳裏に焼き付いているということではないだろうか。
 そんなことを考えていると、自然に頬が緩んでいたようだ。
「おまえ、そんな柔らかい表情《かお》もするんだな」
 驚いたようなゾロシアの声に、慌てて表情を引き締めた。
「そんなに意外か?」
「いつもは、笑ってても目が笑ってない」
 内心ヒヤリとしながらも「何だよそれ」と笑い飛ばすと、ゾロシアの顔にほんのわずか笑みが浮かんだ。
「おまえこそ、ちゃんと笑えるじゃないか」
「え?」
「何だよ、気づいてなかったのか?おまえ笑ってたぞ、今」
 無自覚だったのか、ゾロシアは不思議そうな顔をした。
 それがおかしくてまた少し笑ってから、サンジーノは「じゃあな」と声をかけて面会室を出ていく。
 その足取りは、心なしかいつもより軽かった。

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