仙人掌の花が咲いたなら

5th time

 その日、面会予定時刻になってもサンジーノは現れなかった。
 アクリル板の向こう、誰もいない空間と外の世界とを繋ぐ面会室のドアは閉ざされたままだ。
(あの男が時間通りに来ないなんて珍しいな)
 無意識にそう考えて、ゾロシアはそんなことを思った自分に困惑した。
 確かに、これまでの面会であの男は必ず時間通りにやって来ていた。けれど、あの男が時間通りに来るという確信はそれとはまた別の記憶からやってきているような気がしてならなかった。
 
(おれはあいつを知っている……?)
 
 いまだに靄がかかったままの頭の奥を探ろうとした途端、鈍い痛みが生まれる。
 サンジーノに関することを思い出そうとする度に生じる頭痛は、まるで思い出すことを頭が拒否しているかのようだ。
 思い出したくないほどの何かが、サンジーノとの間にあったのだろうか。
 それとも、ただ単に頭に負ったという傷による生理的な痛みなのか。
 そんなことを考えつつ、強さを増してきた痛みを持て余し気味になっていたところで突然閉ざされていたドアが勢いよく開いた。
 
 
「悪ィ、遅くなった」
 目に飛び込んでくる眩いばかりの金。それに、サングラスの黒とシャツの青。
 白一色だった世界が、目の前の男によって鮮やかに色づいていく。
 その途端、不思議なことに強くなりつつあった頭痛が一瞬にして消え失せた。
 走ってきたのだろうか、サンジーノは息を切らしながら面会室の中に入ってきた。
「悪い、ちょっと色々あって、約束したのに弁当持ってこれなかった」
 どかりと椅子に腰を下ろし弾んだ息を整える様を眺めるゾロシアの鼻先が、覚えのある匂いを嗅ぎ取った。
「……硝煙?」
 ゾロシアの呟きを聞いて、サンジーノがハッとして顔を上げる。
 サングラスをかけているせいで分かりにくいが、驚いているらしいその顔と上半身にゾロシアは素早く視線を走らせた。
 いつもは身なりが完璧に整えられているのに、右半分をオールバックにした髪は乱れ、白いスーツも所々に汚れが付着している。それに加えて硝煙の匂い——想像できる状況は限られる。
「銃撃戦でもしてきたか?」
「……どうしてそう思う?」
「生憎、そんなのは日常茶飯事なんでね」
「おまえ、記憶が……!?」
 サンジーノに動揺が走る。
「戻ったといっても一部だけだ。記憶を失う前のおれはドン・ゾロシア、ゾロシアファミリーのボス。抗争中に頭を撃たれ、それが原因で記憶喪失になった……こないだ医者がそう教えてくれた。それをきっかけに自分に関することは少し思い出した。嫌ってほど嗅ぎ慣れた、その硝煙の匂いもな」
「そうだったのか……」
 少し落ち着きを取り戻し、脱力して椅子に背を預けたサンジーノをゾロシアは改めて眺めた。
 オールバックにサングラス、一目見て仕立てがいいとわかる白いスーツ。
 そして、黙っていても滲み出る他者を圧倒するような静かな迫力。
「おまえのことはまだ思い出せないが、その見た目、おまえもおれと同じ側の人間だろう?それも下っ端じゃなく、それなりの地位にいる人間」
 ゾロシアは身を乗り出し、顔の前で手を組むと顎を乗せた。
 ガチャリと手錠が耳障りな音を立てる。
「問題なのは、おまえが敵か、味方かだ」
 ニヤリと笑った、その壮絶な笑みにサンジーノの全身の毛が逆立つ。
 しかしそれはすぐに歓喜へと変わり、サンジーノもまた壮絶な笑みを浮かべた。
「さあ、どっちだろうなァ」
 正面から、真っ直ぐにゾロシアの目を見つめ返す。
 記憶を一部取り戻したからだろうか、その瞳はまだ濁りがあるものの、修羅をくぐり抜けてきた者特有の鋭さと強さを取り戻しつつあった。
「質問に質問で返すんじゃねえよ」
「知りたきゃさっさと残りの記憶も取り戻すんだな」
 サンジーノが鼻で笑うと、ゾロシアは面白くなさそうに顔を顰めた。
「おまえが答えれば済む話だろ」
「そんなつまらないこと誰がするかよ。記憶を取り戻す手伝いをしてるだけでも感謝してほしいもんだ」
 そのことだが、とゾロシアは不思議そうな声を出した。
「なんでおまえはおれの記憶を取り戻すために手を貸してるんだ?」
「最初に言っただろう、警察に頼まれたからだって」
「頼まれたからってマフィアが警察の頼みを聞くか?」
「そこは色々あるんだよ。まあでも、それだけって訳じゃないが」
「おれの記憶が戻ればおまえにメリットがあるってことか」
「メリット?むしろデメリットの方が大きいんじゃないか」
「じゃあなんで」
「そうだなあ」
 サンジーノの薄い唇がゆっくりと弧を描く。
「おれがやりたいから、それだけだ」
「訳がわからねェ……だが嫌いじゃないぜ、そういうの」
 呆れたように言いつつも、ゾロシアは楽しそうに笑った。
 その顔を見て、サンジーノの目が柔らかく細められる。
 しかし、サングラスに隠されたそれにゾロシアが気づくことはなかった。
「じゃあそういう訳だから、今日のところは失礼するぜ」
「もう時間か」
「いや。まだ少しあるが、見ての通り取り込み中だったんでそろそろ戻らなきゃだ」
「忙しい奴だな」
「人気者なんだよ、おれは」
 じゃあな、と立ち上がりドアへ向かって歩いて行く。
「次は持ってこいよ、弁当」
 ドアを開いた瞬間、後ろからかけられた声にひらりと手だけ振って答えると、サンジーノは振り向くことなくドアの向こうに姿を消した。

タイトルとURLをコピーしました