仙人掌の花が咲いたなら

6th time

 翌週、時間ぴったりにサンジーノは面会室にやってきた。
 前回とは違い、頭からつま先まで完璧に身なりが整えられている。
「今日は『取り込み中』じゃなかったんだな」
「そういつもあってたまるか。それよりどうだ、また何か思い出したか?」
「残念ながら」
「しょうがねえなあ」
 パイプ椅子に腰を下ろしながら、サンジーノが机の上にサボテンの鉢と紙袋を置いた。
「約束通り、弁当作ってきたぞ」
「そのサボテンもまた持ってきたのか」
「ああ。これ見ておまえが何か思い出すかもしれないしな」
 ゾロシアはサボテンをしげしげと眺めた。
「どこかで見た気はするんだが……それ以上はサッパリだ」
「まあいいさ。そのうち思い出すかもしれないし。それよりさ、見てくれよコレ」
 サボテンの鉢を少し脇によけると、サンジーノは紙袋から取り出した包みをいそいそと開けた。
「今日はペスカトーレを作ってきたんだ」
 蓋を開けると、そこには大ぶりのムール貝やプリッと引き締まったエビ、それにアサリやイカがゴロゴロ入ったパスタが詰められていた。漂ってきたトマトとニンニクの香りに食欲を刺激され、ゾロシアは急激に空腹感を覚えた。
「美味そうだな……これもおれの好物なのか?」
「いや、違う。これはおれの好物だ」
「おまえの?」
「そう。ちなみに、これ見て何か思い出すか?」
 目の前のペスカトーレを見つめてみても、頭の中には何一つ浮かんではこなかった。
「美味そうだとしか思わないな」
「何だよそれ」
 呆れながらも、サンジーノはどこか嬉しそうだ。
「それで?今日もおれが食べればいいのか?」
 上機嫌に尋ねる顔を見て、ゾロシアはふと疑問に思ったことを口にした。
「そういえばおまえ、飯食う時もサングラスかけてたよな」
「あ?ああ……」
「外すとマズい事情でもあるのか」
「いや、特にはないが」
「じゃあ外してみろよ、今ここで」
「今?」
「別にマズい事情がないなら構わないだろ」
 特に事情がないと言いながらも、なぜかサンジーノはサングラスを外したくないようだった。
 しかし、隠されると余計に気になるのが人の性というものだ。
「それに、サングラスを外したところを見たら何か思い出すかもしれない」
 この男はきっとこう言えば動く、ゾロシアがそう睨んだ通り、サンジーノは少しの逡巡の後諦めたようにわかったよ、と言った。
「サングラスを外せばいいんだな」
「ああ」
 ため息をついてから、サングラスの蔓に手をかける。
 ゆっくりと、焦らすように外されたサングラスの下から現れた目を見た瞬間、ゾロシアは思わず立ち上がっていた。
 突然立ち上がったゾロシアに驚いたサンジーノが、大きく目を見開く。
「どうしたんだよ急に」
 問いかけるサンジーノの声が耳に入らないのか、ゾロシアは呆然としたまま震える手をサンジーノに向かって伸ばしてきた。
 しかし、その手がサンジーノに届く前に二人を隔てる壁が行手を阻む。
 それでも手を伸ばそうとしたゾロシアの手首で、手錠の鎖が擦れて鈍い音を立てた。
「青……海、みたいな」
 うわ言のようにゾロシアが呟く。
「おれは…………おれは、これを知っている」
 それを聞いて、サンジーノも思わず立ち上がっていた。
 突き動かされるままに、ゾロシアに向かって手を伸ばす。
 けれど伸ばした手が触れたのは、温度のない、無機質な感触だった。
 
 ——遠い。
 
 歯痒さがサンジーノを襲う。
 せっかく思い出しかけているのに。
 もしあの手に触れることができれば、全部思い出すかもしれないのに。
 なのにどんなに手を伸ばしても、目の前の手に触れることができない。
 この邪魔な壁さえ壊してしまえば。そんな考えが頭をよぎる。
 
 
 その時、耳に飛び込んできた咳払いでサンジーノはハッと我に返った。
 音のした方に目を向けると、二人の様子を訝しんだ刑務官が立ち上がろうとするところだった。
 慌ててアクリル板から手を離すと、サングラスをかけ直す。
 海のような青が隠れても、ゾロシアはまだ呆然としたまま動かなかった。
「悪い、用事を思い出したから帰らせてもらう」
 カラカラの喉から掠れた声を絞り出すと、逃げるようにして立ち去って行く。
 後には、立ち尽くしたままのゾロシアと突然の成り行きに呆気に取られる刑務官だけが残された。

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