星を葬送る

噛み合う歯車

 うっすらと目を開ける。途端に入り込んできた白っぽい光に目が眩んで、持ち上げた腕を顔の前に翳して光を遮った。
「ん……」
「ヤマギ? 目ェ覚めたのか!?」
 ガタンと音がして光を遮るようにぬっと現れたのは、ぴょこぴょことあちこちに跳ねた少しくすんだ金の髪。
「——……ゆー、じん?」
 ったく心配させやがってよぉ、とただでさえ垂れ目の目尻をいつもに増して下げたユージンは、大袈裟にため息をつくとベッド脇に置かれたパイプ椅子にどかりと座り込んだ。
「おれ……? っていうか、ここ、どこ?」
 全く状況がわからず覚醒したての混乱する頭のままに問えば、ユージンが宥めるようにポンポンと頭を叩いてきた。
「ここはサーキットの救護室だ」
「救護室?」
「倒れたんだよ、お前」
「倒れた……?」
「なんだよ覚えてねえのか? そういや今日のヤマギなんか変だったもんなあ……パドックに着いたと思ったら突然コースの方に走って行っちまうし、そうかと思ったら突然ぶっ倒れるしよ。しかもなんでか泣いてるみてえだし呼んでも起きねえしでもうめちゃくちゃ心配したんだからな!」
「ご、ごめん……」
 今度はキッと眦をあげたユージンに小さくなって謝りながら、段々と倒れる前のことを思い出していた。
 走り去るマゼンタのバイクがやたらと気になったこと。それから『彼』が誰かを呼ぶ声が聞こえて、その時ちょうど戻ってきたマゼンタのバイクのレーサーがヘルメットを脱いでこっちを向いて——。

 (そうだ、シノ。やっとシノを見つけたんだ)
 
 間違えるはずがない。あれはシノだ。たとえ見た目が全然違っていてもシノを見つける自信はあったけれど、生まれ変わったシノは俺が好きになったシノと何一つ変わっていなかった。顔も、体格も、纏う雰囲気まで、全部。
 そして、あの頃のままのシノを見つけたことで俺自身にも変化があった。
 空っぽだった容れ物を満たすかのように『彼』の記憶が俺の中に溢れてきて、俺と『彼』は一つになった。それはつまり、俺が前世の記憶を持ったヤマギ・ギルマトンになったということ。
 シノのことが好きで何よりも大切だったことも、シノを失った絶望も、再び前を向いてシノのいない日々を生き抜いたことも、何度生まれ変わっても一向に見つからないシノを探し続けていたことも、全部全部ちゃんと思い出した。
 ちなみに、取り戻した記憶は何もシノに関することだけではなかった。例えば、再び心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでくる目の前の男。
 
(ユージン)
 
 癖のあるくすんだ金髪も、エメラルドグリーンの瞳も、垂れた目尻も、ヘタレっぷりも、それでいていつもさりげなく気にかけてくれる優しさも、驚くほどにユージンはあの頃のユージンのままで、その変わらなさに目の奥が熱くなる。
 それに、団長、三日月、昭弘、チャド、ザック、デイン。おやっさんにメリビットさん。
 全員じゃないけれど、あの頃俺の家族だった人達がこんなに近くにいたなんて。しかも、みんな驚くくらい変わっていない。
 ただ一つだけ大きく変わったのは、俺たちはもう命をかけて戦わなくていいってことだ。あの頃に求めてやまなかった平穏な日常。それが今みんなの手の中にあると知って、たまらなく胸が詰まった。
「どうした、どこか痛いのか?」
 込み上げてくるものを堪えようとギュッと眉間に力を込めると、慌てたようにユージンが聞いてきた。
「大丈夫、どこも痛くないよ。……ユージンのそういうところ、変わらないね」
「んあ? 変わらない?」
「ううん、なんでもない」
 ああ、ユージンには前世の記憶はないんだな。
 なんとなく察してはいたけれど、今のユージンの反応を見てそう確信した。それなら不用意なことは口にしないほうがいい。
「いつも変わらず優しいねってことだよ」
「な、なんだよ、珍しく素直じゃねーか」
 誤魔化すようにそう言うと、照れたらしいユージンが目を泳がせつつ乱暴に頭を撫でてきた。こういうところも、本当に変わらない。優しくて、不器用で。シノがいなくなってから、その不器用な優しさに何度救われたかしれない。
「ちょっとやめてよ、髪がボサボサになる」
「んだよ、やっぱり素直じゃね〜!」
 コノヤロ、とさらに頭をぐしゃぐしゃにされる。こんなじゃれあいも懐かしくてクスクス笑っていると、ここに来た本来の目的をはたと思い出してがばりと起き上がった。
「もうユージンってば……あ! そういえばレースは!?」
「そんなもん、もうとっくに終わっちまったよ」
「えぇ? どうしよう、おやっさんの整備の手伝いするんだったのに」
「倒れちまったんだからしょうがねえだろ。ちなみに、三日月は今日もぶっちぎりの一位だったぜ」
「それはよかった。でも俺、おやっさんに謝りに行かなくちゃ」
「そうだな、おやっさん心配してたし、とりあえず顔見せに行くか。けどその前に医者呼んでくるからちょっと待ってろ」
 ユージンが行ってしまうと、俺は再びベッドにぽすんと倒れ込んだ。
 一気にいろんなことがありすぎて、頭の中がグルグルする。取り戻した前世の記憶。生まれ変わった家族達。そして——シノ。
 
 あの日。真っ暗な宇宙で、俺を置いてシノが一人逝ってしまってから。
 シノのいない日々を精一杯生きて、生まれ変わってもシノはいなくて、それでも生きて。
 そうして、何度となく命が巡り巡ったその先で、ようやくシノを見つけた。
 血生臭い仕事とは無縁の世界で、シノはMWでもMSでもなく、バイクに乗って笑っていた。
 夢なんかじゃない。これは現実だ。シノが生きて笑ってる。
 
「シノ…………」
 魂が揺さぶられるような喜びに思わず目を閉じると、目の端からころりとこぼれ落ちるものがあった。こめかみを伝って枕へと吸い込まれていくそれは、涙だ。
 シノを想って数え切れないほど流した悲しみの涙とは違う。またシノに会えて嬉しい、シノが笑っていてくれて嬉しい。そんな、喜びの涙。
「シノ」
 愛しくてたまらないその名前を、宝物を愛でるようにそっと口にする。その時、耳がこちらにやってくる二人分の足音を拾った。ユージンと、たぶん医者だろう。
 泣いていると知られたら、ユージンにまた余計な心配をかけてしまう。だから、ツナギの袖で涙を拭うと体を起こし、深呼吸を一つして気持ちを切り替えた。泣くのは、後でいくらでもできる。
「ヤマギ、入るぞ」
 声と同時にベッドの周りを覆うカーテンが開かれて、ユージンが入ってきた。その後ろから顔を出した、医者であろう人物の顔を見て思わず目を見開く。
「え」
 それ以上口にしなかった自分を褒めてやりたい。驚いた俺を見てユージンが物問いたげな視線を向けてきたけれど、それには気づかないふりをした。
 やってきた医者は、縦に巻いた亜麻色の長い髪をツインテールにした女の人だった。ユージンと同じエメラルドグリーンの勝気そうな瞳。背は低めで、白衣の胸元から柔らかそうな谷間がのぞいている。この人は——。
「どうも。医者のエーコよ」
 やっぱりエーコさんだ。エーコさんも全然変わらない。思わず名前を呼んでしまいそうになったくらいだ。
「あ……どうも」
「あなた、名前は?」
「ヤマギ・ギルマトンです」
「ここがどこかわかる?」
「えっと……サーキットの救護室ですよね」
「うん、オッケー。意識は大丈夫そうね。一応からだの診察もさせてもらいたいから横になってくれる?」
 特別親しみも見せずに事務的にテキパキと診察をこなすエーコさんを見ながら、たぶんエーコさんにも前世の記憶はないんだろうなと思った。それでも、会えたことは純粋に嬉しい。シノだけじゃなく、鉄華団のみんなも、エーコさんも、これまでの生まれ変わりの人生では会うことができなかったから。
「よし、からだも問題なさそうね。もう帰っても大丈夫よ」
「ありがとうございます。よかったな、ヤマギ」
 うん、とユージンに答えつつ体を起こし、エーコさんの方に向き直った。
「ありがとうございました」
「いいのよ。もし気になる症状があれば病院に行って診てもらってね」
「わかりました」
 ベッドから降りて靴を履き、カーテンの向こうへと歩み出ると「よかった、元気になったんですね」と声をかけられた。
 誰だろうと声の方を振り向いて、俺は本日何度目かの驚きに見舞われた。
(ラフタさん……!)
 目のやり場に困るようなミニスカートのナース服に身を包んだ看護師は、間違いなくラフタさんだ。ラフタさんもやっぱり全然変わってない。
「おかげさまで。ありがとうございました」
 ニコリと笑って挨拶をする。救護室を出てすぐにユージンが「なんだよお前、珍しく愛想よかったじゃん」とニヤニヤしながら小突いてきたけれど、めんどくさいから無視をした。
 まったく、下心だらけのユージンと一緒にしないでほしい。俺はまたラフタさんに会えたのが嬉しくて思わず笑顔になっただけなのに。
 この世界でまたみんなに会えたことがすごく嬉しい。まだ会えてない人達もたくさんいるけれど、その人達にももしかするとこれから会えたりするのかもしれない。なんとなくだけど、今回の人生では会いたい人達に会える、そんな星まわりのような気がする。
 そんな期待を胸に抱きながら、俺はユージンとパドックへと向かった。
 
 
 *
 
 
 パドックに戻ると、ちょうど撤収作業を始めたらしいところだった。その中から目当ての人物を見つけて駆け寄る。
「おやっさん!」
「おーヤマギ、もう大丈夫なのか」
「はい。迷惑かけてすみませんでした」
「いいってことよ。気にすんな」
 な、三日月、とおやっさんが隣に立つ三日月に声をかけた。
「ヤマギ倒れたんでしょ。大丈夫? もう何ともないの?」
「うん、医者にも問題ないって言われた」
「そう。ならよかった」
 デーツを齧る口元がわずかにゆるんだのを見て、つられて微笑む。
 前世の記憶が戻ってから改めて見ると、三日月もあの頃とほとんど変わらない。身に纏う雰囲気も、全てを見透かすような目も、実は仲間思いなところも、相変わらずデーツ——今は火星ヤシじゃなくてナツメヤシだけど——を常に食べているところも。ああでも、あの頃より背はちょっと高くなったかな。そしてやっぱり、この世界でも三日月は誰よりも強い。
「そうだ、三日月優勝したんだってね。おめでとう」
「ありがとう。おやっさんがいいマシンにしてくれるからね」
「よせやい、照れるぜ」
 おやっさんにバシンと背中を叩かれて、三日月がちょっとムッとした顔をしてる。でも、その目にはおやっさんへの揺るぎない信頼がたしかに宿っていて、いいなあと思う。俺の憧れる関係性が、この二人の間にはある。
 鉄華団の一員だったあの頃。MSのパイロットであるシノと流星号の専属整備士であった俺との間には、今の俺が憧れる揺るぎない信頼関係というものがたしかに存在していた。
 そして偶然か必然か、生まれ変わったシノはバイクのレーサーで、俺はまだ一人前ではないけれどレースメカニックだ。もし願うことが許されるなら、俺はシノの専属メカニックになりたい。あの頃たしかに自分たちの間にあったような信頼関係を、今のシノと築きたい。
 シノには今専属のメカニックはいるんだろうか。もしいないのならば俺にもチャンスがあるかもしれない。とにかくまずは情報を集めないと。俺はまだ、シノのことを何も知らない。
「そういやよ、ヤマギ」
 考え込んでいると、おやっさんに呼ばれてふと我に返った。
「なんですか?」
「今度から——」
「すんませーん!」
 おやっさんの声をかき消すようにして、突然背後から大声が響いた。
 その声に、心が一瞬にして攫われる。だってこの声は——。
「今度からこのチームでお世話になることになりました、ノルバ・シノでっす! よろしくお願いしまーす!」
 呆然と振り向いたその先には、昔と変わらない、光が弾けたような笑顔で笑うシノがいた。
(シノ……シノ、シノ)
 真っ白になってしまった頭の中で、シノの名前だけを繰り返し呼ぶ。制御を失った体はシノという星の引力に引かれるようにして、シノの方へとふらりと一歩を踏み出した。
「…………ノ」
 小さく呟いてわずかに右手を持ち上げる。全ての感覚が遠のいていく中、そこだけは妙にクリアな視界の中で、シノが不思議そうに首を傾げた。
「おう来たか、ちょうどよかった」
 ふいに耳に飛び込んできたおやっさんの声に、びくりと反応して体の動きが止まる。
 俺は今、何をしようとしていた?
「あ、おやっさん!」
 シノの意識がおやっさんにそれたのをいいことに、中途半端に宙に浮いた右手を左手でぎゅっと握り込んだ。
 危なかった。シノには前世の記憶がないかもしれないから、迂闊なことはしたらダメだ。俺がシノのことを知っているとバレちゃいけない。
 周りに気づかれないようにそろりと息を吐き出すと、真っ白になっていた頭が少し冷静さを取り戻す。
 改めて見てみると、シノとおやっさんは何やら親しげに言葉を交わしている。二人は知り合いなんだろうか。でもどうして? 今までおやっさんからシノの名前が出たことなんてなかったはずだ。
 訳がわからない、というのが顔に出ていたのだろう。「そういやまだ言ってなかったな」とおやっさんが説明してくれた。
「今聞いた通り、こいつが今度からレーサーとして鉄華団に入るノルバだ。俺も聞いたのがつい最近で、今日お前に言おうと思ってたらお前は倒れちまうしで言いそびれちまった。——おいノルバ、こいつがうちのメカニックのヤマギだ」
「お前がヤマギか! 俺ノルバ、よろしくな」
「よ、よろしく」
 人懐っこい笑顔で手を差し出してくるシノに平静を装っておずおずと手を差し出すと、強く手を握られた。大きくて温かな手。ああ、シノの手だ。
 ……ん? でもちょっと待った。『お前|が《﹅》』ってどういうことだ?
 内心の疑問に答えるかのように、俺の手を握ったままシノがとんでもない爆弾発言をかましてきた。
「お前が俺の専属メカニックになってくれるんだってな!」
 ポカンと口を開けて、目を大きく見開いて、俺はキラキラと目を輝かせるシノの顔を穴が開くほど見つめた。
「は? 今なんて……」
「だーかーら、俺の専属メカニックになってくれるんだろ?」
 小首を傾げてシノがウインクをする。ちょっと待って、今のシノめちゃくちゃ可愛い……じゃなくて! そうじゃなくて!!
「え、えええっ!?」
 どういうことですか、とシノの手を振り解いておやっさんの方を見る。
 いやたしかにさっきシノの専属メカニックになりたいと思ったけれど、それにしたってどうして急にこんな展開になるのか意味がわからない。頭も気持ちも全然追いつかない。そもそも、俺はまだメカニックとして一人前じゃないのに専属だなんて——。
「そう驚くことでもねえだろ。さすがに俺一人で三人のレーサーの専属メカニックやるわけにもいかねえしな。それに、そろそろお前にはひとり立ちしてもらおうと思ってたとこだ」
「でも俺、まだ……」
「なあヤマギ。俺はお前の腕をよく知ってる。その俺がお前に任せても大丈夫って言ってんだ。何かあれば俺がサポートするし、どうだ、ここは一つやってみねえか」
「おやっさん……」
 ——俺が、シノの専属メカニックになる。
 正直まだ自信はない。けど、思い返せばあの時だってそうだった。MSの整備なんてしたことない所からスタートして、それでもシノの、みんなの役に立ちたくて、必死に勉強して腕を磨いた。
 今は、あの頃に比べれば知識も技術もある所からのスタートだ。十分恵まれている。まだ足りない部分もあるけれど、そんなのは努力で補えばいい。
 何より、ここで俺が断って、俺以外の誰かがシノの専属メカニックになるのは嫌だった。シノの信頼に応えるのは自分でありたい。シノの隣に立っていたい。
 それならば、答えは一つだ。
「わかりました。俺、やってみます!」
「よく言った、ヤマギ」
 おやっさんは満足そうに笑うと、俺の頭をぐしゃぐしゃと雑に撫でた。
「てなわけで、こいつが正式にお前の専属メカニックになるヤマギだ。ノルバ、よろしく頼むな」
「んじゃ改めて、よろしく頼むぜ、ヤマギ」
 シノが真っ直ぐに手を伸ばしてくる。その手を、今度は躊躇わずに強く握った。
「こちらこそよろしく、シノ。必ずいいバイクにしてみせるよ」
 
 俺とシノという歯車が、再び噛み合った瞬間だった。

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