♢血の掟
公園を出た二人を迎えに来たのは、黒塗りの高級車だった。
車の出立ちと、ただの運転手にしては隙がなく目つきの鋭い男に、どうやらロクなものじゃなさそうだと薄々感じていたゾロだったが、三十分ほどかけて辿り着いたサンジーノの自宅を見て自分の勘は正しかったと確信した。
敷地を囲む石造の背の高い塀にある鉄製の門には武装した男が数人待機している。車で門をくぐり、そこから延びる敷地内の道路をしばらく行くと、中央に噴水を配したロータリーへと辿り着いた。
ロータリーの正面には、赤煉瓦づくりのまるで城のような巨大な邸宅が建っている。窓は少なく、大きな玄関が正面に一つ。よく見ると、屋敷やロータリーのそこここにも武装した男達が配置されているようだ。
一個人の自宅にしては常識外れに敷地が広い。それだけなら大富豪の家だと言われれば納得がいくが、警備の物々しさというか、ピリピリと殺気立っている様子からは所謂そっちの筋であろうとゾロは当たりをつける。おそらくこのサンジーノという男はマフィアの幹部といったところか。
ロータリーに車が停まるとすぐに数人の男達が駆け寄ってきてサンジーノ達を出迎えた。
「お帰りなさい、首領」
(驚いた……幹部どころか、首領かよ!)
一番立場が上そうな男がサンジーノに近付いて声をかけつつ、ゾロには油断なく検分するような視線を送ってくる。
「こいつはおれの客だ。くれぐれも失礼のないようにしろ」
「はっ」
サンジーノの一声でそこにいる全員が頭を下げ、少し離れたところから向けられていた銃口が下ろされる気配がした。
「さあ、まずは傷の処置からだ。ついてこい」
屋敷の中へと入っていくサンジーノの後を追い、ゾロも軋む体を引きずりながら歩き出した。
ゾロが連れて行かれたのは、ほんのりと消毒薬の匂いが漂う部屋だった。
「おいチョッパー、いるか?」
「あ、おかえり、サンジーノ」
奥から顔を出したのは、毛むくじゃらの筋骨隆々の大男。
その顔に浮かべられた人懐っこい笑顔が、ゾロの顔を見た瞬間に固まった。
「サ、サンジーノ、この人は?」
「こいつはゾロ。行き倒れてたところを拾ってきた。悪いが、怪我してるから手当してやってくれないか?」
チョッパーと呼ばれた大男はそこで初めてゾロが怪我をしていることに気づいたようで、
「本当だ、急いで手当てしないと!ちょっと診せてもらうよ」
とゾロをベッドに座らせると傷を検分し始めた。
「ゾロ、こいつはチョパリーニ。うちの専属のお医者様だ。おれは着替えを取ってくるからしっかり診てもらえ」
「はじめまして、ゾロ。おれのことはチョッパーって呼んでくれ」
「じゃあ頼む……チョッパー」
ゾロがそう言うと、チョパリーニの顔に満面の笑みが浮かんだ。
傷を消毒して絆創膏や湿布を貼ったり、包帯を巻いたりしながら、チョパリーニが興味津々といった様子を隠さずに話しかけてくる。
「ビックリした、サンジーノが自分から誰かをここに連れてくるのは初めてなんだ」
「ああ、それでさっきあんなに驚いた顔してたのか」
「え?あ、うん……ねえ、ゾロはどうしてここに来たの?」
「メシ……あいつが、メシ食わせてやるっていうから来た。普段からおれみたいなのにメシ食わせてやってるんだと思ったら違うんだな」
「うん、サンジーノが首領になってからは誰にも食べさせたりしてないよ。その前は——」
「チョッパー」
不意に割り込んできたサンジーノの声に、チョパリーニがハッと口を噤んだ。
「……ごめんなさい、首領」
「いや、いいんだ。ところで、こいつの傷の具合はどうだ?」
真新しい着替えをゾロの横に置きながら、サンジーノが尋ねる。
「全身打撲に擦り傷、切り傷。骨は折れてないけど、ヒビが入ってるところはありそうだからとりあえず包帯で固定してる。内臓のダメージはないと思う」
一瞬で医者の顔に切り替わったチョパリーニが淀みなく答える。
「そうか、じゃあメシは食えるな」
「うん、食べても問題ないよ」
サンジーノが、今度はゾロの方を振り返った。
「ゾロ。おまえいつからメシ食ってない?」
「あー、二日前に食べたのが最後、だと思う」
「それなら消化にいいものにするか……チョッパー、こいつ風呂に入れちゃダメだよな?」
「傷の処置したばっかりだし、風呂はまだダメだ。体拭くだけならいいぞ」
「よし、おれはメシ作っとくからおまえはその汚い体をきれいにしろ。そんで着替えたらチョッパーと一緒に食堂に来い」
「えっ、おれも一緒に食っていいのか!?」
チョパリーニが目を輝かせると、ポケットからタバコを取り出して口に咥えたサンジーノがニカッと笑った。
「ああ、勿論だ」
ゾロとチョパリーニが食堂に着くと、そこには既に食欲をそそる匂いが漂っていた。
カウンターの向こうでくるくると立ち働いていたサンジーノが二人に気付いて顔を上げ、
「悪ィがそこに座っといてくれ」
と言ってまた作業に戻る。
言われた通りに席につき、サンジーノが料理を作る様子をしげしげと眺めていたゾロが思い出したように口を開いた。
「あんた、まさかマフィアの首領だったとはな」
「そんなに意外だったか」
鍋の中身をかき混ぜながら表情を緩めてゾロを見る。
「いや、まあマトモな仕事じゃないだろうとは思ったが……せいぜい幹部クラスかと」
ハハハッとサンジーノが声を上げて笑った。
「正直でいいな。おれはマフィアの首領にしては若い方だから、そう思われるのも仕方ねェ。でも、サンジーノファミリーのドン・サンジーノといえばちょっとした有名人だぜ」
そう言われ、記憶の箱を漁るようにして考え込んだゾロが何かを思い出したらしく軽く目を見開いた。
「サンジーノファミリーって、この辺の三大マフィアの一つじゃねェか!」
「そうさ……ほら、メシできたぞ」
ウェイターのように両腕に器用に皿を乗せてやって来たサンジーノが、ゾロとチョパリーニの前に優雅な手つきで皿を置く。
「トマトリゾットだ。後でコンソメスープも持ってくるからな」
ホカホカと湯気を立てる色鮮やかなリゾットを前にして、ゾロの喉がゴクリと音を立てる。
「いただきます」
きちんと手を合わせて挨拶をすると、まずは一口。
口にした瞬間目を見開き思わず「うめェ」と呟くと、あとはすごい勢いで食べ始めた。
「サンジーノ、これめちゃくちゃ美味いぞ!」
隣でチョパリーニも目を輝かせながらバクバクと食べている。
「そんながっつくな、ちゃんと噛んで食え」
頬袋をパンパンにして一心不乱に食べるゾロを、懐かしいものでも見るようなどこか遠い目をして眺めるサンジーノを、チョパリーニが気遣わしげな表情で見ていた。
結局ゾロはリゾットもスープもおかわりをし、ご飯粒一つ残さずきれいに平げた。食べる前と同じように、姿勢を正し「ごちそうさま」と手を合わせる。
「……美味かった。あんたすごいな」
「そりゃ良かった。まあ、おれ昔はプロの料理人だったから」
チョパリーニにはココアを、自分とゾロにはミルクティーをサーブしながらさらりと言う。
「そうなのか?」
「昔の話だ」
それ以上は詳しく話そうとせず、サンジーノは今度はゾロに話の矛先を向けた。
「おまえさ、これからどうする?」
傷の処置もして、メシも食わせた。腹一杯になったなら後は好きにしろと言われ、ゾロが黙り込む。
「ここに残りたいなら残ればいい。ただ、おれ達はマフィアだ、慈善事業してるわけじゃねェ。ここに残るなら、屋敷の雑用として働くなりファミリーの一員になるなり、何らかの役割は果たしてもらう」
——どのみち、行く当てなどありはしない。きっとロクな死に方はしないだろうし、それもそんなに遠い未来のことではないかもしれない。
それなら、と思う。
この命を、気まぐれに自分を拾ってくれたこの男のために使うのも悪くない。
作るメシが美味かった、命をかける理由などそれで十分だ。
ゾロは、自分を見つめる吸い込まれるようなサファイアブルーの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「あんたに拾われた命だ。あんたのために使ってやる」
「そうか」
その目が柔らかく細められる。
「で?おまえには何ができる?」
「おれは料理なんかの家事はできねェ。だが腕っ節はそれなりに強いし、武器は一通り扱える。剣術も経験ありだ」
「それならおれのボディーガードするか」
「首領……!」
慌てたように割って入ったチョパリーニをサンジーノが目で制した。
「他の奴らにはおれから話をつける。おまえはそれでいいか、ゾロ」
「ああ。全力でおまえのこと守ってやる」
「よし、そしたら契りが必要だな」
ちょっと待っとけ、と食堂から出て行ったサンジーノが、しばらくして針を手に戻ってきた。
「左手を出せ」
言われた通りに差し出すと、親指にチクッと痛みが走った。サンジーノが針で刺したのだ。刺された場所からプツリと血の珠が盛り上がる。
「次はおまえが刺せ」
渡された針で今度はゾロがサンジーノの左手の親指を刺すと、やたらと白い肌の上に目の覚めるような紅が生まれた。
「いいか、今日からおまえはサンジーノファミリーの一員だ。おれに絶対の忠誠を誓え。裏切りは死をもって制する。この血に誓うか」
「首領、あんたに忠誠を誓う」
親指が重なり、互いの紅が交じり合う。血と血の誓いで生まれる縁。
こうして、ゾロはサンジーノファミリーの一員となったのだった。