♢気になる
ある日突然拾ってきた、二十歳にも満たない素性の知れない子供を自分のボディガードにすると唐突にサンジーノが宣言してから、ファミリーは一時騒然となった。当然反対する者も多かったが、『おれが決めたことだ』という一言で皆表面上は黙って従うしかなかった。
しかし、素性くらいは明らかにしておかないと何かあった時に真っ先にゾロが疑われかねない。そのため、サンジーノはその後徹底的にゾロの身元を洗った。
結果はシロ。幼い頃、両親に捨てられたゾロは孤児院に預けられた。あまりいい環境ではなかったようで、十七の時に孤児院を脱走。以後は腕っ節の強さもあって似たような境遇の不良少年達と持ちつ持たれつの関係で何とか生き延びてきたらしい。ある時、小さな誤解から関係が拗れて集団リンチを受ける羽目になり、いくら強いとはいえ流石に多勢に無勢。何とか逃げ延びてベンチで力尽きていたところをサンジーノに拾われたという訳だ。ちなみに関係のあった不良少年達はマフィアとの関わりは一切なく、それ以外でもゾロと他の組織との繋がりはないという報告だった。
素性も明らかとなり表立って不満を言う者はいなくなったが、それでも古参の者達にとって面白くない状況であることには変わらない。それならば実力で黙らせるしかないと判断し、サンジーノは常にゾロをそばに置いて一通りの教育を施した。ファミリーのこと、この辺一帯のマフィアの力関係、他のファミリーの主要人物についてなどの知識。一通りの武器の扱い方。そして体術。サンジーノは足技使いのため、腕を使った戦闘についてはチョパリーニが指導をした。もともと腕っぷしはそれなりに強く飲み込みも早いようで、ゾロは教えられたことを乾いたスポンジのようにどんどんと吸収していった。
数ヶ月経った頃にはチョパリーニとは互角、あるいは勝つことも多くなってきたゾロだったが、サンジーノにだけは、勝つどころかいまだ互角ですらなかった。
「脇が甘い!」
ドカッと鈍い音を立ててゾロの脇腹にサンジーノの蹴りが入る。そのまま吹っ飛んで地面に仰向けに倒れると、ゾロは「クソッ」と悪態をついた。
「正面だけ守ってもダメだっつったろ。もっと隙をなくせ」
シャツのポケットからタバコを取り出して火をつけながらゾロを見下ろす。その顔は汗一滴流すことなく涼しげだが、対するゾロの呼吸は乱れ痛みで脂汗も滲んでいる。
「まだまだ使いもんになんねェな……それじゃおれを守るどころか、おれがおまえを守るハメになるぞ」
「うるせえ、アンタの蹴りが強すぎんだよ。だいたい、それだけ強いならボディガードなんていらないだろ」
「あのなあ、これでもおれは首領だ。いくら強くても護衛は必要なんだよ。さ、文句言う暇があれば蹴り飛ばされないようにもっと体幹鍛えろ」
悔しいがサンジーノの言う通りなので、体幹を鍛えるべく早速プランクを始める。
「おれはメシ作ってくるから、一時間くらいしたら食堂に来い」
ジャケットを肩に引っ掛けて歩き去る後ろ姿を見ながら、ゾロは自分でもよく分からない苛立ちを持て余していた。
(あの金髪がいけねェんだ。やたらキラキラしやがって。それにあの瞳……なんでも見透かされてるみたいで落ち着かねェ)
やたらと目につく金と青。つい目で追ってしまうせいで一瞬の隙を作ってしまう。
これまでは基本的に何事にも無頓着に生きてきたゾロにとって、〈気になる〉という感覚は初めてだった。自分で制御できないというのはひどく落ち着かない。
だいたい、トレーニングの時だけじゃない。料理をする後ろ姿だとか、ぼんやりとタバコを吸う姿だとか、そんな何気ない時でさえ目で追ってしまうのだ。
「クソッ!」
もう一度悪態をつくと、ゾロは今度こそ無心でトレーニングに励んだ。
一時間ほどしてトレーニングを切り上げたゾロが食堂へ行くと、そこにはもう先客がいた。
「おうゾロ!」
気さくな笑顔で手を振ってくるのはウソトゥーヤだ。童話に出てくるピノッキオのように長い鼻をしている。サンジーノファミリーの一員である彼は射撃の名手であり、狙撃手としてみんなから一目置かれていた。
二人は、ゾロの射撃の訓練をウソトゥーヤが担当したことがきっかけで仲良くなった。そこそこ歳が近いことや、ウソトゥーヤの気さくで飾らない性格もあって、今ではゾロが心を許せる数少ない友人の一人だ。
「おうウソトゥーヤ、おまえもメシか?」
「そうそう。もうすぐチョッパーも来るぞ」
「そりゃいいな」
チョパリーニもまたゾロが心を許せる友人の一人だ。元々ウソトゥーヤとチョパリーニはの仲がよかったこともあり、最近はこの三人で過ごすことも多い。
「もう少しでできるからちょっと待っとけよ。今日はチキンカツレツだ」
厨房からサンジーノの声が飛んでくる。
「よっしゃ!いや〜でもホント、首領のメシをまた食えるようになるなんておまえのおかげだよ」
「は?なんでおれなんだよ」
「だっておまえが来てからだろ、首領が毎日メシ作るようになったの。それまでは全然作らなかったからなぁ」
「そういえばそんなことチョッパーが前に言ってたな」
「まあ、色々あったからな……ほんとおまえのおかげだよ」
ウソトゥーヤのどこかしんみりした声と含みのある言い方が気になって詳しく聞こうとしたところで、ドン!と目の前に皿が置かれた。
「さ、冷めないうちにしっかり食え。特にゾロ、おまえはトレーニングした後だからしっかりタンパク質とっとけよ」
ちょうどその時チョパリーニもやってきて、三人は揃って手を合わせると香ばしい匂いを放つチキンカツレツにかぶりついた。
「どうだ、美味いだろう」
夢中で食べる三人を眺めながら、ニカッとマフィアの首領らしからぬ笑顔を見せてサンジーノが言う。
(あの顔は悪くねェな)
そう思うと同時に、食べる手を止めてまで笑顔に見入っていた自分に気づいてゾロは心の中で舌打ちをした。まただ。また〈気になる〉だ。
なんとなく気まずい気持ちを誤魔化すように、ゾロは先ほど感じた疑問を口にした。
「なんでずっとメシ作らなかったんだ?」
「あ?首領になってすぐは色々大変でメシ作る時間も余裕もなかったんだよ。今も忙しいのに変わりはないが、おれがおまえを一人前にすると決めた以上、体を作るための栄養管理もおれの仕事だ。だから、なんとか時間取ってメシ作るようにしてんだよ」
一見それらしい答えではあるが、たぶん嘘だろうとゾロは思った。
だって、そう言う割には食事を作るのに結構な時間をかけているし、さっきウソトゥーヤが言った「色々」にはサンジーノの答えとはもっと別のニュアンスが含まれていたような気がする。第一、この話題を出した瞬間チョパリーニとウソトゥーヤの顔がわずかに強張っていた。
けれど、言わないということは知られたくないということだ。誰にだって知られたくないことの一つや二つはある。それをあえて詮索する趣味はないので、「そうか」とだけ答えて再び食事に戻ろうとした時だった。
「サンジーノーー!メシーーーー!!」
何者かが、突然大声で叫びながら入ってきてサンジーノに飛びついた。
まだ半人前だとしても、ゾロはサンジーノのボディガードである。一瞬で臨戦態勢に入り侵入者を排除しようとしたところで、護るべき当の本人であるサンジーノから止められた。
「大丈夫だ、ゾロ。こいつはルフィオーネ、おれの大切な友人だ」
その名前には聞き覚えがあった。
「ん?」と後ろを振り返ったその男をまじまじと見る。麦わら帽子に、左目の下の傷。これは——。
「……っ!もしかして、ルフィオーネファミリーの首領か!?」
「よくできました」
慌てるゾロに、サンジーノが指で丸を作って寄越す。
この辺一帯のマフィアについては、座学でサンジーノから叩き込まれた。ルフィオーネファミリー、この辺りの三大マフィアのうちの一つだ。そういえば、首領はかなり型破りな奴だと言っていたような気がする。
たしかに行動はめちゃくちゃだ。首領のくせに部下も連れずに一人でやって来て、「メシ」と叫んで他の組織の首領に飛びつくなんて普通じゃない。だいたい、どうやってこの警備の厳重な邸に入ってきたのだろうか。そもそも、声をあげるまでは気配も感じなかった。やはり只者ではなさそうだ、などと考えていると、サンジーノがルフィオーネを咎めるような声が耳に入った。
「ルフィオーネ、おまえなんで突然」
「たまたま近くを通りかかったらおまえのメシの匂いがしてきたんだ!だからつい来ちまった。なあサンジーノ、おまえまた料理するようになったんだな」
「……まあな。にしてもすごい嗅覚だな。だいたいどうやって入ってきたんだよ、まさか正面からじゃないだろうな」
「正面からだと何かと面倒だからなー、こっそり忍び込んだ!」
「おいおいおい、そんな軽々と侵入されるようなら警備の見直ししなきゃじゃねェか」
「あー、そういえば何人か伸しちまった」
そう言ってニシシと笑うルフィオーネに、チョパリーニとウソトゥーヤが駆け寄ってきた。
「ルフィオーネ!久しぶり!!」
「数年ぶりだけど、変わんねえな〜」
「おう、チョパリーニ、ウソトゥーヤ、元気にしてたか?」
突然現れた他ファミリーの首領と旧知の仲かのようにじゃれあう二人を見て、ゾロは呆気に取られて立ち尽くした。そんなゾロの肩にサンジーノが宥めるようにぽんと手を置く。
「一見すると訳わかんねえ状況だが……あいつら、まあおれも含めてだが、お互いが首領になる前からの知り合いなんだ」
と、ルフィオーネがふいに振り返り、真っ直ぐにゾロを見つめた。先ほどのふざけた雰囲気から一変し、他を圧倒するような威圧感を纏っている。
「おまえ、ゾロって言ったか」
「そうだ」
問われ、ゾロも負けじと見つめ返す。
すると今度は、表情は崩さぬままにルフィオーネは隣のサンジーノに視線を移した。
「分かってるんだよな、サンジーノ」
「ああ、ちゃんと分かってる」
呼吸をするのも憚られるような張り詰めた空気の中、先に緊張を解いたのはルフィオーネだった。
「それなら大丈夫だ」
にっと笑うと、再びゾロに視線を移して「よろしくな、ゾロ」と右手を差し出してきた。
「よろしく……お願いします」
ゾロも右手を差し出して握手をする。そんな二人を見て、サンジーノは体の強張りをふっと解いた。おろおろと成り行きを見守っていたウソトゥーヤとチョパリーニもあからさまにホッとした顔をする。
「こいつおれのボディガードなんだ。おれからもよろしく頼む。で?おまえメシ食っていくんだろ?」
「当たり前だ!久しぶりだからな〜、サンジーノのメシ!」
二人の会話を聞きながら、ゾロは先ほどのことを思い返していた
ルフィオーネは、明らかに自分を見てから『分かってるのか』とサンジーノに問うた。いったい何が『分かってる』なのか。唯一分かるのは、どうやら自分は無関係ではないということだ。そしておそらくは、サンジーノが一時期料理を作らなくなった理由もここにある。
直感でしかないが、たぶん知らないままの方がいい。
そう思うのに、胸の中に重たい霧のように垂れ込める〈気になる〉という感情は消えてくれそうになかった。