コックとこんな関係になったのはいつだったか。
今となってはよく思い出せない。
たしか、航海が長引いていた時に敵襲があって、でも雑魚だったから暴れ足りなくて。
燻る熱を持て余していた時に、コックと目があったのだ。
おれと同じような目をして
「なあ、やらねェ?」
と挑発的に吊り上げられた唇の赤さがやけに目について、気付けばおれはコックを押し倒していた。
そうやって始まった身体だけの関係。
そこに感情は介在せず、溜まれば誘って発散する、そんな互いにとって好都合な関係だったはずだ。
少なくともおれは、長い船上生活で陸に上がらなくても欲を発散できるうえ、頑丈で孕むこともないコックは女相手と違って面倒くさくなくて楽だと、突如始まった身体だけの関係を気に入っていた。
最初は、擦りあって突っ込んで、出すもの出せばそれで満足だった。
コックの身体さえあればそれで十分で、キスなんてしようと思ったこともなかった。
なのに、身体を重ねる回数が増え、コックのことを知っていくにつれ、だんだん身体だけでは物足りなくなった。
その心までもを手に入れたいと思うようになるまで、そう時間はかからなかった。
そんなことを思う自分に気付いた時は衝撃だったが、心が決まればあとは行動するだけだ。
それからおれは、ただ突っ込んで出すだけの抱き方を改め、コックが気持ちよくなれるよう愛撫を施し、睦言を囁き、想いを込めて大切に抱いた。
そんなおれの変化に、コックはひどく戸惑っていた。
おれの愛撫で漏れそうになる甘い声を必死に抑え、「おれのことはいいから、前みたいに好きに抱けよ」と眉毛をへにゃんと下げた今にも泣きそうな顔を見た瞬間、なぜか唐突に、キスしたいと思った。
その欲望に忠実に、あの始まりの日にやけに目についた赤い唇にキスを落とそうとしたおれを、コックは全力で拒んだ。
一回拒まれたくらいがなんだ。
それからおれは抱き合う時も、そうじゃない時も、隙を見てはコックにキスをしようと試みたが、「そういうのは愛するレディとするもんだ」と諭すばかりで、絶対にコックがキスを許すことはなかった。
結局、コックの心は手に入れられないまま、だけど身体の関係を手放すこともできなくて、時だけが過ぎた。
そして、いよいよ明日は鷹の目との再戦のために船を降りるという晩。
まんまるで明るい、コックの頭のみたいな満月がぽかりと浮かぶ、月の綺麗な夜だった。
この頃には、コックの心を手に入れたい、キスしたいと思う自分の気持ちをなんと呼ぶのか、その答えを見つけ出していた。
そして、その想いが成就することはないだろうということも——。
鷹の目に負けるつもりは毛頭なかったが、生きてこの船に戻って来れる保証もない。
だから、想いは叶わずとも、己の体にコックを刻みつけたい、そう思った。
「なあコック、おまえを抱きたい」
「は、クソマリモ。これが最後かもしれないとか、そんな殊勝なこと思ってやがんのか?世界一の大剣豪になるんだろ、帰ってきてから抱かせろくらい言えってんだ」
口ではそう憎まれ口をたたきながらも、シャツの釦を一つずつ外しながら歩いてきたコックは、静かにおれの腕の中におさまると、そっと背に手を回した。
そこからは、互いに言葉はなかった。
おれは、唇以外のあらゆる箇所にキスを落とし、その姿形を忘れぬよう、頭からつま先まで時間をかけて丁寧に触れていった。
コックは、相変わらず漏れそうになる甘い声を必死に抑え、あえかな息をこぼしては、おれの頭や背中を力を込めて抱きしめた。
そして時折、ひどく切ない目をして胸に走る刀傷をそうっと指先で辿った。
そうして、互いにもう耐えられなくなったところでおれはコックの中へと侵入し、そこからまた時間をかけ、ゆっくりと絶頂へと上っていった。
長い長い快感の果て、絶頂を迎えるその瞬間、コックは一言「ゾロ」と呼んだ。
それでもう、十分だった。思い残すことはないとさえ、思った。
そう思ったのに。
コックの上に伏せて余韻に浸るおれの頭をそっと撫でると、両頬を挟んでそっと顔をあげさせた。
次の瞬間、優しく唇に降ってきた温かさに身を任せかけ、ハッと目を見張る。
今、コックは何を……?
どんなに望んでも手に入ることはないのだと、諦めていたものを突然与えられて、おれはひどく混乱した。
もしこれが都合の良い夢じゃないのなら、今のは紛れもないキスだ。
どうして、なぜ今。どんな意図で。
嬉しいと思うよりも、疑問ばかりが頭の中を駆け巡った。
「キスは、愛する女とするもんなんじゃなかったのか」
思わず飛び出たなじるような言葉に、コックはふわりと笑った。
「これはキスじゃねェよ、祈りだ。おまえが、世界一の大剣豪になって、またこの船に戻ってくるように——神には祈らねェおまえの代わりに、おれがお月さんに捧げる、祈り。今夜は月が綺麗だからな」
「祈り……?」
「なあゾロ、おまえは祈らなくていい。そのかわり、約束しろ。世界一の大剣豪になって帰ってくるって。ちゃんと約束守って帰ってきたら、そん時はおれとキスしようぜ」
「な、おまえ、何言って……」
「ったく、皆まで言わせるんじゃねェよ。おれはさ、ずっと自分の気持ちと向き合うことから逃げてたんだ。だって、おれ達は男同士で、海賊で、おまえは何度も死にかけて……。好きになっちまったら、おまえを失うのが怖くなる。そんな足枷、邪魔なだけだろ?だから、自分の気持ちに気付かないフリをしてた。だけど、いよいよおまえが船を降りるってなった時にさ、思ったんだ。逃げたままで、おまえを失うようなことになったら死ぬまで後悔するって。だからもうおれァ腹括ったんだ……好きだぜ、ゾロ。てめェに惚れてる」
何か言わなければと思うのに、これまで閉じ込め続けた気持ちは言葉にならず、心の縁からはらはらと溢れていくばかりだった。
ならばせめてと、溢れ出たものごと抱え込むように、コックを腕の中に閉じ込めてぎゅうと抱きしめた。
「なあゾロ」
コックの甘い声が胸に響く。
「おまえもおれに惚れてんだろ?」
「……ああ」
「だったら、鷹の目に勝って、世界一になって帰ってこい。そんで、キスしようぜ。約束な?」
「ああ、約束する」
顔を上げたコックの目をまっすぐ見つめ、誓う。
静かにたゆたう海のような瞳に映る月が、とてもきれいだと思った。