ナミは、ゾロのことが好きだった。
たぶん、出会ってすぐの時から。
どこが好きかと聞かれたら、こう答えるだろう。逞しい体や整った顔立ちだけでなく、嘘をつかないところ、ひたむきに強さを求める真っ直ぐさ、無神経そうに見えて相手を慮ることができる優しい心、そんなところが好きなのだ、と。
お宝だったらいくらでも積極的に奪いに行く。でも、本当に欲しいものに手を伸ばすことは、怖くて出来なかった。
仲間がまだルフィとゾロとナミの三人だけだった時。
なんとなく、ゾロとそういう雰囲気になりかけたことがあったけれど、ナミは敢えて気付かないフリをした。差し出された手を取ることができなかった。
あの時掴み損ねた手が再びナミに差し出されることはなく。
一人、また一人と仲間が増え、気付けばゾロはサンジのものになっていた。
あの時差し出された手を取ってさえいれば。
何度後悔しても後の祭りだ。
悪いのは自分なのに、どうしてもゾロを諦めることができなかった。
むしろ手に入らないからこそ余計に想いは募り、ある時ナミは考えた。
「欲しいなら横取りすればいいじゃない。だって私は泥棒猫なんだから」
そんなことをすれば心優しい料理人はきっと悲しむけれど、優しいからこそ許してくれるはず。そう自分に言い聞かせた。
虎視眈々と機会をうかがい続け、ある時ようやくチャンスが巡ってきた。
とある島に停泊中。船番はサンジ。
たまには外で羽を伸ばしてこいとでも言われたのか、珍しくゾロが船番のサンジを置いて街に飲みに出た。
ゾロが店に入ったのを見届けて、少ししてからナミも店に入る。
ゾロはカウンターで一人、酒を飲んでいた。
「マスター、この店で一番強いお酒をちょうだい」
スルリとゾロの隣の席に体を滑り込ませて注文をすると、ゾロがこちらを見る気配がした。
「なんだ、ナミか」
「なんだとは何よ、失礼ね。たまには一緒に飲みましょ」
「言っとくが奢るだけの金はねェぞ」
「付き合ってくれるなら、今日は私が奢るわ」
「それなら構わねェが……どういう風の吹き回しだ?」
「どうもこうもないわ。久しぶりに一緒に飲みたいと思っただけよ」
その時ちょうど、ナミの前にグラスがスッと置かれた。
グラスの中には、ゾロの瞳と同じ琥珀色の液体。
「マスター、このお酒は?」
「ラムだよ、お嬢さん。かなり強いけど、本当に大丈夫かい?」
「大丈夫よ。私、こう見えてお酒結構強いの」
それでも心配してか、マスターはゾロにちらりと視線を向けた。
「あー、こいつの酒の強さは尋常じゃねェから大丈夫だ」
ゾロが助け舟を出してやると、マスターは安心したようで二人の前を離れ仕事に戻って行った。
「いい店だな」
「そうみたいね」
それじゃあ乾杯、と軽くグラスを合わせると、ナミは琥珀色のラムを一口含んだ。アルコールが喉を焼き、ラム特有のほのかな甘い香りが鼻に抜ける。
「ん。確かに強いけど、美味しい」
飲んでいたグラスを空けるとゾロもナミと同じものを頼み、二人で他愛のない話をしながら何度もグラスを空にした。
どれだけ強い酒を飲んでも、ちっとも酔えない。
けれど、ある程度飲んだところでナミは少し酔ったフリをしてグラスを置いた。
「もう終わりか?」
それに気付いて声をかけたゾロに、ナミはしなだれ掛かるようにした。
「少し酔っちゃったみたい。ねえゾロ、あんたこの後予定ないわよね」
「あ?特に何もねェけど」
「じゃあさ、私と寝ない?」
ゾロは一瞬動きを止めた後、「酔ってんのか?」と訝しげに聞いた。
「酔ってないって言ったら寝てくれるの?」
今度はまじまじとナミを眺め、それから軽くため息をつき、
「やめとけ」
とそっとナミの体を離した。
「どうして?いいじゃない別に一回くらい」
「……おまえはおれが一回抱けば満足するのか?違うだろう」
ああ、とナミは冴え切った頭で思った。
この男は私が本当に欲しいものを知っている。
そしてその上で、応えられないと言っているのだ。
「そんなに大切なのね。サンジ君のこと」
ゾロがわずかに目を見開く。
「知ってたのか」
それには答えず、ナミは続けた。
「綺麗だもんね、サンジ君。見た目だけじゃない、心も……。それに比べて私は——」
そう。狡くて、なんて醜い。
「……サンジ君みたいに、綺麗になりたかったな」
そうしたら、ゾロは自分を選んでくれただろうか。
もう一度、手を伸ばしてくれただろうか。
「おまえだって、ちゃんと綺麗なモン持ってるじゃねェか」
「何よそれ。サンジ君の優しさにつけこもうとするような女よ?綺麗なわけないじゃない」
「関係ねェよ。今までのおまえを見てたらちゃんと分かる」
「何よ……それ…………じゃあなんで私じゃダメなのよ」
「おまえがダメなんじゃねェ。あいつが……コックが、特別なんだ」
そう言うゾロの顔が、あまりにも——。
それなりに長く一緒に過ごしてきたのに、初めて見る表情《かお》。
その事実が全てを物語っていた。
「あーあ。もうやってらんないわ」
バカ正直で、不器用なくせに優しいゾロ。
それは時にひどく残酷だったけれど、そんなところが好きで好きでたまらなかった。
でももう諦めるから。
無防備な唇を、掠めるように奪い取った。
「おい、ナミ!」
「あら。キスをするのに許可が必要なの?」
クスリと笑って席を立つ。
だって私は泥棒猫なのだ。最後にこれくらい奪わなきゃ名が廃るってものよ。