グッドラック

 とある二国間でのいざこざから起こった戦争は、すぐにケリがつくものと思われた。しかし予想に反してそれは様々な思惑が複雑に絡み合い、やがて全世界を巻き込んだ世界大戦へと発展していった。
 戦火が広がるにつれて多くの兵が命を落とし、失った兵を補充するため、まさにこれから人生を謳歌せんという若者たちまでもが戦場へと駆り出されていく。
 これは、そんな戦乱の中で出会った二人の若い兵隊の物語である。


 
 
1. 

 
 ゾロが自ら志願して陸軍に入隊したのは、齢十八となった年のことだった。
 歩兵科へと配属されたゾロが所属したのは、第1132部隊の第1中隊の第1小隊。小隊はさらに十名前後からなる分隊に分かれ、分隊長を筆頭にメンバーは常に行動を共にすることになる。
 配属後から待っていたのは、過酷な訓練と上官による理不尽な体罰、叱責、罵倒の嵐だった。体力自慢であったゾロにとって訓練はそれほど苦ではなかったが、理由があろうとなかろうと連日繰り返される度を超えた体罰や陰湿な嫌がらせは流石にこたえた。そんな毎日なので、同じ隊の隊員と絆を深めようという気には到底なれず、ゾロはなるべく他人との関わりを避けた。例外だったのは同じ時期に入隊したコビーというひょろひょろと細くていかにも体力がなさそうな青年だけ。コビーはやたらとゾロに話しかけてくるうえに、体力がないせいでしょっちゅう訓練の途中でへばっては上官からしごかれていたのでなんだか放っておけなかったのだ。
 そんな日々を積み重ね、訓練が始まってから二週間が過ぎた。
 その日は一通りの筋トレやランニングの後、銃剣を用いた接近戦での格闘訓練が始まった。元々体力のないコビーはすでに疲労困憊なうえに連日の疲労の蓄積も相まって、投げ飛ばされたまま起き上がれなくなってしまった。大の字になって地面に寝転ぶコビーに手を貸そうとゾロが動き出すよりも早く、コビーの元に誰かが歩み寄る。小隊長のモーガンだ。
(まずいぞコビー、早く起きろ!)
 心の中でゾロが叫ぶ。
 常日頃からモーガンは部下いびりで有名で、難癖をつけては自分のストレス発散のために過剰な体罰を加える男なのだ。さらに、運の悪いことにこの日モーガンの機嫌はすこぶる悪かった。
「おいコビー、いつまで寝てる!これが戦場ならとっくに死んでるぞ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに、コビーの顔スレスレでザクリと銃剣が地面に突き立てられた。一瞬遅れて、コビーの頬に一筋の赤が咲く。
「ヒッ!すみません、すみません、すぐ立ちます!」
「すみませんだぁ?」
 ドゴッと鈍い音を立ててモーガンの軍靴の先がコビーの腹にめり込んだ。半泣きで起き上がりかけていたコビーが、潰れた蛙のような声を出して再び地面に沈む。その髪を掴んで無理やり上体を起こさせると、モーガンは鼻の触れあいそうな距離で怒鳴った。
「だったらすぐに立たんか!」
「は、はい……!」
 ふらふらと、何度か転びそうになりながらもようやく立ち上がったコビーに、今度は容赦のない平手打ちが飛んだ。
「だいたいおまえは軟弱すぎるんだよ。そのヒョロヒョロの体はなんだ?あぁん!?鍛え方も根性も足りん!おれが徹底的に鍛え直してやる!」
 言いながらバシン、バシンと左右の頬をひたすらに平手で打つせいでコビーの顔は赤く腫れ上がり、また一つバシンと打たれた拍子にどさりと地面に倒れ込んだ。
 しかしそれだけでは鬱憤が晴れないのか、どうやら気を失っているらしいコビーの髪を再び掴んで引き起こし、左手を大きく振りかぶった。
(やりすぎだ……!)
 思うと同時に勝手に体が動いていた。二人の間に立つと、腕を広げてコビーを庇うようにする。振り下ろしかけた手が中途半端な位置で止まり、モーガンの額にビキっと青筋が浮いた。
「ロロノア!何のつもりだ!!」
「やりすぎです。これ以上殴ったら死んでしまいます」
「上官に楯突く気か!」
 思い切り頬を殴られてふらつくが、何とか持ち堪えて真っ直ぐにモーガンの目を見る。
「違います、ただ事実を述べているだけです」
「それが生意気だって言ってんだよ!」
 逆上したモーガンに散々殴られて顔が腫れ血塗れになってもゾロは倒れず、コビーを背に庇い続けた。そのあまりのタフさに嫌気がさしたのか、ひとしきり殴って満足したのか、モーガンは不意に殴るのをやめると、
「上官に逆らったおまえには罰が必要だ。営倉にぶち込んでやるから待ってろよ」
 と言い捨てて立ち去って行った。
 緊張が解けた途端に足にきて、思わずよろけて座り込む。
「…すみま、せ……ゾロさん……」
 後ろから聞こえてきた切れ切れな声に振り向くと、涙をためたコビーと目が合った。
「生きてたんだな。よかった」
「すみま、せっ……ぼ、くが、不甲斐ない、ばっか…に……」
「気にすんな。おれは大丈夫だから」
「あ、りがと……ご…………っ」
 後半は、嗚咽で言葉にならなかった。
「そう思うなら泣くな。もっと強くなれ——いいな?」
 歯を食いしばってコクコクと頷くコビーの頭を、軽く叩いてやる。
 それから少しして、ゾロに重営倉三日の処罰が正式に下った。
 
 
 
「せいぜい頭を冷やして反省しろ」
 ドンッと背を押され、ゾロは排泄物の異臭が漂う室内に押し込められた。三畳ほどの広さのその部屋は板張りで、杉の角材でできた格子窓と簡易トイレがあるだけだ。しかもゾロに下った処罰は重営倉なので、この狭くて臭い部屋でこれから三日間、寝具も与えられず、麦飯と水と塩の食事だけで過ごさなければならない。それもこれも全部、モーガンの理不尽な暴力のせいだ。
「クソッ」
 遣り場のない怒りに力任せに壁を殴ると、「静かにしろ!」と外から怒鳴られた。それにもむしゃくしゃして荒々しく腰をおろした時、コンと壁を叩く音がした。それに続いて、
「うるせェよ」
 と低く抑えた声が右側の壁の向こうから響いた。どうやら営倉行きをくらった奴が他にもいるらしい。相手が誰かわからない以上、ひとまず謝っておくことにしてゾロも小声で返した。
「すみませんでした」
「おまえ、名前と階級は?」
「ロロノア・ゾロ、二等兵です。第1中隊の第1小隊に所属してます」
「ふうん。入隊したのは最近か?」
「はい、二週間前に来たばかりです」
「なんだ。おれのがちょっと先輩だな」
「……は?」
「おれはサンジ、二等兵だ。第3中隊の第2小隊に所属してる。入隊して一ヶ月だ」
 なんだコイツ、とゾロは思った。最下級の分際であんな口の利き方をしていたのか。自分より階級が上の者だったらどうするつもりだったのだろう。まあでも、そんなだから営倉行きになったのかもしれない。
「なあ、おまえ一体何したワケ?」
どうやらまだ会話を続けるつもりらしい。正直めんどくさかったが、半月とはいえ先輩は先輩だ。案外規律を重んじるゾロは、仕方なく話に付き合うことにした。
「殴り殺されそうになった同期を庇っただけです」
「へえ!なかなか骨あるな」
「……見るに耐えませんでしたので」
 そうだよなあ、と壁の向こうで昏く笑う気配がした。
「理不尽なことばっかだろ?ここ。おれがここに入れられてるのもその理不尽ってやつのせいだしな」
「そうなんですか?」
「ちょっと待った、おまえ歳は?」
「十八です」
「なんだタメか。じゃあ今はその敬語やめろ」
「はあ」
「よし。……あ、そうそう。おれがここに入れられてる理由だけどさ、別に何もしてねェのに気に入らないってだけで適当に理由でっち上げられてこの通りだ」
「そりゃ」
 その口の利き方が問題なんじゃないかと思ったが、口には出さなかった。ゾロの相槌を肯定的に捉えたらしいサンジは、な?理不尽だろ、と同意を求めてきた後、
「まあでも、ここに限らず世の中理不尽なことばっかだけどな」
 とポツリと言った。
「……そうだな」
「それにしてもここ酷いよな。営倉行きは二回目だが、この鼻の曲がりそうな匂いにゃ慣れねェ」
「二回目?」
「ああ二回目だ。これ以上はごめんだが、なんせ理不尽だからなぁ」
「おれは一回でもう十分だ」
「だよな。ま、おれは多分明日には出れるからあと一日の辛抱だ。おまえは?」
「三日。しかも重営倉」
「うわ……まあせいぜい頑張れ」
 その後も、翌朝営倉を出るまでサンジは見張りの目を盗んでは時々ゾロに話しかけてきた。顔も知らない相手ではあったが、同い年ということや会話からうかがえるサンジという人間の飾り気のなさに少し気を許したせいかもしれない。ゾロは不思議とサンジと話すのは苦ではなかった。
 壁越しに交わされる密やかな会話。ゾロとサンジ、二人の関係の始まりだった。

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