ソーダアイス・キス

「あっち〜」
 
 パタパタとTシャツの首を掴んで扇ぐ白い首筋に汗の滴が流れる。
 開け放した窓から時々思い出したように入り込んでくる生ぬるい風と扇風機とじゃ、真夏の茹だるような暑さには太刀打ちできない。窓辺に吊るした風鈴がチリンと鳴るたびにほんの少し涼しさを感じるけれど、暑いものは暑いのだ。アイスでも食べれば少しはマシかと、この暑い部屋でおれはゾロと二人でアイスを齧っている。
 高校生になった今、夏休みに虫取りだ川遊びだと目を輝かせて外を走り回るようなことはもうしない。おれはバイトにゾロは部活、それに学校の補習と何かと忙しく、たまにこうしてどちらかの家でアイスを食べたり一緒に宿題をしたりするくらいだ。
 
「あーあ、せっかくの夏休みだってのに、なんでおれはこんな暑い部屋でむさ苦しいマリモ野郎と汗かきながらアイス食ってんだ……」
 盛大にため息をつくと、ゾロがムッと眉間に皺を寄せた。
「文句言うなら自分ちに帰ればいいだろ」
「まだアイス食ってる途中なんだよ。は〜、可愛い女の子と海に行ったり花火大会に行ったりして青春してェな〜」
「行きたいなら行けばいいじゃねェか」
 そう言いながら、ゾロはさっさと食べ終えたアイスの棒をゴミ箱に放る。
「うっせ!たまたま今相手がいないんだよ」
「たまたまじゃなくていつもだろ」
「あぁん!?そういうおまえはどうなんだよ」
「おれは女に興味はねェからどうでもいい」
 心底興味がなさそうな顔で言い放つゾロに呆れてため息をつく。——いや、嘘だ。本当は少しホッとしてる。
「おまえなぁ……年頃の男がそれでいいのかよ」
 マリモのくせして、ゾロはかなりモテる。なのに、本人は剣道ばかりで全くの無関心を貫いていて、今まで誰とも付き合ったことがない。本当に興味がないとしたらそれはそれで問題なんじゃないか?おれにとっては都合がいいのかもしれないけど、高校生の男なんて女の子とのあんなことやこんなことで頭がいっぱいなのが普通だ。
「女の子とキスしたいとか思わねェの?」
「キス、か」
 ゾロがそう呟いた時、齧りついたソーダアイスの雫がおれの口の端からツーっと流れ落ちた。慌てて指で雫をぬぐい、舌で口の端をぺろりと舐める。
 ふと視線を感じて顔をあげると、ゾロの強い視線とぶつかった。ゴクリと、息を呑む音がやけに大きく響く。
「おれだって、キスしたいと思うことくらいある」
 少し掠れたゾロの声。上下する喉仏の上を流れる汗。相変わらず、視線は真っ直ぐおれに注がれている。
「は、はは……そりゃそうだよな」
 なんだかまるでおれにキスしてみたいと言われているようで、動揺が言葉に滲んでしまった。そんな訳ないのに。
 手に持ったままのアイスが溶けて、空色の雫が幾筋も腕を伝い落ちていく。流石にティッシュで拭こうと腰を上げかけたところで、がしりとゾロに腕を掴まれた。
「ゾロ、な……!」
 そこから先は、言葉にならなかった。
 だって、ゾロが。おれの腕を流れる雫を、見せつけるように舐めとったから。
「甘ェ」
 そう文句を言うのに、また一つ雫を舐めとる。
 おれはピクリと腕を少し動かしただけで、振り払うことも、蹴り飛ばすこともしなかった。あまりに突然のことで動けなかったせいもあるけど、何より、このままやめて欲しくなかったから。
 
「……てめェと、キスがしたい」
 ダメか?とほんの少し自信がなさそうに聞かれて、おれはふるふると首を横に振ることしかできなかった。喉が詰まって声が出ないし、心臓はドクドクと痛いくらいに早鐘を打っている。きっと、顔どころか全身真っ赤だ。
 でも。おれの腕を掴むゾロの手はかすかに震えているし、校則違反の金の三連ピアスが揺れる耳たぶはほんのわずか赤く染まっている。それに気付いて、ゾロだっておれと一緒なのかもしれないと思ったら、ほんの少し息が楽になった。
 今がきっと、叶うはずがないと諦めていた気持ちを伝えられるチャンスだ。伝えたい、伝えなければ。そんな思いに駆られて、役目を思い出した声帯を震わせ音を生み出す。
「おれも……ほんとうは、おまえとキスしたかっ」
 最後の音は、重ねられたゾロの唇に吸い込まれ耳には届かなかった。
 ぎこちなく押しつけられる唇は意外にも柔らかい。
 お互い目はしっかりと開けたままで、こういう時は目を閉じた方がいいのかと混乱する頭でグルグル考えていたら、ぬるりとゾロの舌が入り込んできた。アイスで冷えた口内が、ゾロの熱で一瞬で温度を上げる。その熱に浮かされるままゾロの舌に必死に舌を絡ませ、おずおずとゾロの口に舌を差し入れる。ゾロの口の中は舌と同じくらい熱くて、おれの舌も、思考も、手の中のアイスのようにドロドロに溶けてしまいそうだった。
 
 ひとしきり舌を絡ませると、名残惜しさの糸を引いて唇が離れる。
 ハアハアと弾む息が落ち着くと、おれは頭を後ろに反らせて言った。
「あーあ、キスしちまった……」
 今頃になって羞恥が込み上げてきてまともに顔が見れない。
 すると、なんだよそれと言ってゾロが笑った。
「てめェの口の中、冷たくて甘かった」
 おまえこそなんだよそれ、とおれも笑う。
 始まったばかりの夏休み。おれ達の始まりのキス。
 きっと今年の夏休みは、一生忘れられない特別なものになるはずだ。

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