ゾロサン物語

 むかしむかしあるところに、ゾロとサンジという二人の若者がおりました。
 ゾロは幼い頃から剣道一筋で、世界一の大剣豪を目指し村の道場で日々修行に明け暮れていました。そうして、今では「三刀流のゾロ」と呼ばれる村一番の剣士となりました。強いだけでなく、端正な顔立ちに鍛え上げられた体、さらには無愛想だけれど根はやさしいゾロは、村の若い女の子たちの憧れの的でした。ゾロには壊滅的な方向音痴という欠点がありましたが、それも彼女たちからすれば「ダメなところも素敵」ということになり、ゾロの恋人になりたがる女の子は数知れず。けれども当のゾロは誰に告白されようが「興味ない」の一点張りで、いつまでたっても恋人を作ろうとはしませんでした。
 一方サンジは、料理人になるという夢を抱き、幼い頃から祖父の経営する食堂に手伝いと称して入り浸っておりました。祖父の手元を見て学んでは自分で作ってみるということを日々繰り返し、次第に腕を上げていきました。そうして今では料理人として、祖父の食堂を訪れる人たちのために日々美味しい料理を作っています。そんなサンジは女の人が大好きで、女の人であれば誰にでも分け隔てなく優しいという長所がありましたが、きれいな女の人は誰かれ構わず口説いてしまうという悪癖がありました。そのため、誰もサンジの告白をまともに取り合わず、サンジはいつまでたっても恋人ができませんでした。
 さて、そんな二人は同い年で、小さい頃から一緒に遊んで育ちました。しかし、なにせ性格が正反対なうえに二人ともかなりの負けず嫌いでしたので、何かと張り合っては喧嘩ばかりしていました。それでも小さい頃は戯れあっているように見えるばかりでまだよかったのです。村の人たちも、仲がいいことだ、と喧嘩する二人を微笑ましく見守っていました。
 けれども、二人が大きくなると事情は変わってきました。
 サンジの祖父は料理人としてだけでなく、この辺りでは足技使いとしても有名でした。数々の武勇伝から「赫足のゼフ」という通り名を持つ彼の元で料理人になるための修行に励んでいたサンジは、その身に祖父の足技を受けるうちに自らもまた足技使いとなっていきました。そうして成長した今、料理人として腕を上げただけでなく、彼の強さへの畏怖を込めて「黒足のサンジ」と呼ばれるほどの足技使いとなったのです。
 そんなサンジが村一番の剣士であるゾロと喧嘩——それも一切の手加減のない本気の喧嘩——をするのです。サンジの足技で、ゾロの剣技で、民家の屋根は吹き飛び、壁に穴があき、窓ガラスが割れ、家畜小屋が壊れて家畜が逃げ出し、地面にひびが入りました。時には道ゆく人が不運にも巻き込まれて怪我をすることもありました。いくら二人が本来は気のいい若者だとしても、こうしょっちゅう家などを壊されてはたまりません。もはや喧嘩というよりも災害と呼ぶに相応しい二人の喧嘩に、村の人々はほとほと困り果てておりました。
 
 そんなある日のこと。二人はまたもや些細なことがきっかけで一触即発の状態となっておりました。
「こいよクソマリモ、三枚におろしてやっから」
「その前にてめェを刀の錆にしてやる」
「ケッ、できるもんならやってみな、クソダサ腹巻野郎」
「ああん!? なんだとアホバカぐるぐる眉毛!」
 右足と刀をそれぞれに振り上げて二人が同時に飛びかかろうとした時、ハラハラしながらその様子を遠巻きに見守っていた村の人々は思わずぎゅっと目をつぶり、「神様、この二人を止めてください。そして頼むからもう二度と喧嘩をしないようにしてください」と心の中で祈りました。
 その時です。二人の間に突如として人影が現れました。
「へ?」
「あ?」
 間一髪のところで体を捻って人影を避けた二人は、着地するなり振り向いて怒鳴りました。
「「邪魔すんじゃねェ!!」」
 二人が睨みつけた先には、穏やかな顔をした老爺が立っていました。この辺では見かけない顔です。何もない空間から突然現れたように見えたことといい、いったい何者だと村の人々もざわめきました。
「これ二人とも、喧嘩はおよしなさい」
 大きくはないけれど、やけに通る声で老爺が言いました。喧嘩を邪魔された挙句に見知らぬ他人に窘められ、ゾロとサンジが顔を顰めます。
「なんであんたの指図を受けなきゃならねェ。だいたい、ジイさんあんた何者だ?」
「わしか? わしは人から神、と呼ばれておる」
「神だぁ?」
「おいおい、あたま大丈夫かこのジイさん」
「信じる、信じないはお前たちの自由じゃ。——で、喧嘩はやめるかの?」
「生憎、そこのグル眉をブッ飛ばすまではやめられねェな」
 刀を構えなおし、ニヤリと笑ってゾロが言いました。
「右に同じ、だ。おいジイさん、危ないから離れときな」
 つま先でトン、と地面を蹴りながら、サンジもまたニヤリと笑っていいました。
「まったく、おぬしらはどうしようもないのう。それならば仕方ない」
 ため息をついた老爺が「ほれ」とサンジに向かって手を翳すと、今の今までそこにいたはずのサンジがパッと煙のように消えてしまいました。あとにはサンジの吸っていた煙草の煙がうっすらと残るばかりです。
「おいジジイ、てめェ何しやがった」
 成り行きを見守っていた村の人々が驚きと戸惑いの声を上げる中、一瞬にして殺気を纏ったゾロが老爺に向けて刀を構えました。今にも斬りかからん勢いです。普通の人であれば一目散に逃げ出してしまいそうな状況ですが、老爺は逃げることも怯えることもせず、ゆっくりとゾロに向き直りました。
「一緒におるから喧嘩をするのじゃ。だからあの金髪の男にはちょいとあっちの方——あの川の向こう岸に行ってもらったんじゃよ」
 そう言って、老爺は村の向こうを流れるとてつもなく大きな川を指差しました。この川はグランドラインと呼ばれ、対岸を見通すことができないほどに川幅が広く、北から南へと大陸を文字通り二分して流れておりました。そして、誰も渡ることができない川として有名でした。なぜならば、グランドラインは流れがとても速いうえにところどころ渦を巻いていたり逆流したりしており、深さは海ほどもあり、さらには川底に潜んでいる凶暴で巨大な生き物たちが果敢にもグランドラインを渡ろうとする舟を丸呑みしてしまうからです。そのため、過去に幾人もの人間がグランドラインを渡ろうと試みましたが、いまだに渡り切ることのできた者は一人もいないのでした。その川の向こう岸に飛ばされたということ、それはつまり、もう二度と会えないことを意味します。
「どんな技使ったのか知らねェが、なに勝手なことしてくれてんだ。さっさとグル眉をこっちに戻しやがれ!」
「それはできんのう」
「なんでだよ!」
「さて、どうしてだと思う?」
「だからそれを聞いてるんだろうが!」
 質問を質問で返されて埒があかず、ゾロは苛立ちもあらわに怒鳴りました。老爺はやれやれとため息をつくと、刀の切先を向けられているにもかかわらず数步前へと出て、ゾロをひたりと見据えました。口元は微笑んだままですが、落ち窪んだ目はちっとも笑っていません。
「おまえたち二人が喧嘩をすると迷惑だからじゃよ」
「……どういうことだ」
「自覚がないのか? おまえたちは喧嘩のたびに民家や道路を壊したり、運悪く通りかかった人に怪我をさせたりしておる。壊す方はいいかもしれんが、壊される方の身になってみい。困るじゃろう? 実際、この村の人たちはみんな困っておるのじゃ。おまえたち二人を止めてくれと神頼みするほどにな。そしてその頼みを聞くためにわしが来たのじゃ」
 心当たりがありすぎて何も言えずにいるゾロに、老爺はぴしりと言い渡しました。
「川の向こうとこちらに離れてしまえばもう喧嘩もできなかろう。まったく、これを機にちっとは反省せい!」
 そうして、現れた時と同じく、突如として老爺は消えてしまいました。
「ちょ、おい!」
 ゾロは慌てて手を伸ばしましたが、そこには何もない空間があるばかりです。それでも、相手が神とやらなのであれば声だけは届くかもしれないと、ゾロは声を張り上げました。
「おいジジイ、言うだけ言って勝手に消えるんじゃねェ! だいたい、飛ばされたあいつはどうなんだ。もう一生ここには戻ってこれねえのかよ!?」
 すると、どこからか老爺の声が響いてきました。
「そうだのう……戻すつもりはなかったが、おまえたちの態度次第では年に一回、一日くらいはあの男をこちらに戻してやってもよいぞ」
「んだよそれ!!」
 ゾロは手にしていた刀をギリリと音がするほどに強く握りしめると、低く唸りました。
「年に一回、一日だけ戻してやってもいい? 冗談じゃねェ。おれァ大人しく従うつもりはねェぞ」
 
 ——あくる日。村にゾロの姿はありませんでした。いなくなってしまったのです。誰にも行き先を知らせぬまま。
 
 
 *
 
 
 さて、グランドラインの向こう岸に飛ばされたサンジですが、謎の老爺が出てきたと思ったらなぜか見知らぬ場所に立っており、目の前にいたはずのゾロがどこにもいないので大いに焦りました。
「いったい何が起きたんだ? っつーかここはどこだ?」
 キョロキョロと辺りを見回しましたが、慣れ親しんだ田舎の村の風景はどこにもありません。目につくのは美しく整備された石造りの街並みばかりで、大きな街なのか、たくさんの人が行き交っておりました。けれども、やはりその中に知った顔はありません。
「ダメだ、なんもわかんねェ」
 何が起こったのかはともかく、まずはここがどこなのかを確かめなければとサンジは街行く人から話を聞いてみることにしました。さて誰に話しかけようかと再び辺りを見回した時、亜麻色の長い髪をした、スラリとスタイルの良い女性の後ろ姿が目に入りました。
「なんつー美女!! もし、そこの美しいレディ〜、よければおれとお茶でもいかが〜〜!!」
 想像してみてください。突然見知らぬ男性が目をハートにし、クネクネと軟体動物のように体をくねらせて目にも止まらぬ速さで近づいてくるのです。恐ろしいでしょう? 身の危険を感じた女性は、甲高い悲鳴を上げると大慌てで逃げていってしまいました。
 あとには、サンジが一人ぽつんと取り残されました。周りの人の目が痛いのは、気のせいではないはずです。サンジはその場からそそくさと逃げ出すと、行く先々で美女に吸い寄せられてはナンパをして振られて、ということを繰り返しました。そうして、日が暮れる頃までになんとか得た情報から、ここがグランドラインの対岸にある街だということがわかったのです。
「マジかよ……ってことはおれはもう二度と村に戻れないってことか? おれがいなくなってジジイの店はどうなんだ? ジジイ……それにゾロにも、もう会えねェのか?」
 ふらふらと川岸までやってきて座り込むと、絶望に打ちひしがれてサンジは項垂れました。目の前を偉大なるグランドラインがでたらめに流れを変えつつ流れていきます。その対岸は果てしなく遠すぎて、どんなに目を凝らしてもひたすらに水平線が広がるばかりです。いったいどうしたものやら、途方に暮れてサンジが深いため息をついた時、突然どこからか声が聞こえてきました。先ほどのあの老爺の声です。
「どうじゃ、少しは反省したか」
「この声は、あの時のジジイ……! おい、どこにいやがる! さっさとおれを村に戻せ!」
「それはできんのう」
「なんでだよ!」
「まったく、揃いも揃って自分でわからんのか。よいか、おまえたちが喧嘩ばかりして村の人々に迷惑をかけるから、もう二度と喧嘩ができんようにこうして離れ離れにしたのじゃ」
「う……そりゃたしかにおれ達が悪かったけど、なんでよりによってグランドラインの向こう側に飛ばしたんだよ! せめてあっち側のどこかにしてくれよ」
「ダメじゃ。それじゃまた出会って喧嘩をしてしまうかもしれんじゃろう。会えんようにするにはこうするのが一番なのじゃ」
「ってことは、ゾロはあの村にいるのか?」
「そうじゃよ。あの男はどこにも飛ばしておらん」
「そうか……」
 飛ばされたのが自分だけだと知り、サンジは密かに胸を撫で下ろしました。けれど、サンジにはもう一つ心配なことが残っています。
 「で、でも! ジジイの店はどうなる? ジジイももうだいぶ年だし、おれがいなきゃ——」
「安心せい、今のところは問題なさそうじゃ。それにまあ、あの緑髪の男にも言ったが、おまえ達の態度次第では年に一回、一日くらいはおまえさんをあの村に戻してやってもよいぞ。——それではの。せいぜい頑張るのじゃ」
「ちょ、おい!」
 慌ててサンジが呼びかけましたが、もう二度と、老爺の声が答えることはありませんでした。
「年に一回、一日だけ……? 冗談じゃねェぞ」
 サンジもゾロと同じく、大人しく老爺の言うことを聞くつもりはありませんでした。祖父の食堂のことが心配ですし、それに——ゾロとこのまま喧嘩別れになってしまうのは嫌でした。
 実は、サンジはゾロのことが好きだったのです。友達や幼馴染としてではありません。それは紛れもなく、愛や恋と呼ぶべき感情でした。けれど、二人は男同士。サンジはゾロに好きだと伝えることがどうしてもできませんでした。そして、その代わりとでもいうように、サンジはゾロに会うたびに喧嘩をふっかけました。喧嘩をしている間だけは、ゾロが自分だけを見てくれるのが嬉しかったのです。
 それが突然離れ離れにされてしまったのです。これでは喧嘩すらできません。それどころか、連日ほぼ毎食の勢いでサンジの作るごはんを食べに来ていたゾロに食わせてやることもできません。食いたい奴に食わせてやれない、それはサンジにとって耐えられないことでした。なんとかして一刻も早く村に帰らなくてはいけません。
「考えろ、何か方法はあるはずだ」
 グランドラインに橋は一つも架かっていません。船で渡ることすらできないのだから、泳いで渡るなんてもってのほかです。それでもどうにかして向こう岸に戻れないかとサンジは考えて考えて——そしてふと閃きました。
「そうだ、空から行きゃいいんだ」
 世の中には、体術を極めて空を走れるようになった人々もいるとサンジは聞いたことがありました。体術なら多少自信があります。努力次第では空を走ることも不可能ではないはずです。
「よし、おれはやるぞ」
 そうと決まればすぐにでも修行開始です。が、さすがに一日二日でそんな技を会得できるとは思えないので、まずは寝泊まりする場所と仕事を探す必要がありました。そこでサンジは立ち上がり、再び街の方へと戻っていきました。
 
 
 *
 
 
 一方ゾロはというと。
 サンジを探す旅に出て、すぐに道に迷い、けれども迷っている自覚のないままにあてどもなく各地を放浪しておりました。しかし、ゾロの方向音痴を以てしてもグランドラインの対岸に行くことはできず、サンジを見つけられないまま時だけがすぎていきました。
「クソッ、埒があかねェ……こうなりゃ川をぶった斬って渡るしかねェな」
 痺れを切らしたゾロは、一番手っ取り早い、けれども人間には到底不可能と思われる方法を思いつき、やってみることにしました。そこで、川岸へと行き試しに斬撃を放ってみましたが、ほんの少し川面が波立っただけでした。
 しかし、そこで諦めるゾロではありません。「まだまだ力が足りねェ」と気合いを入れ直し、修行の日々が始まりました。朝から晩まで素振りや筋トレ、精神統一に励み、時には襲いかかってくる野盗や獣を相手にしてはさらに腕を磨きました。けれども、やはり規格外の川であるグランドラインをぶった斬るというのはそう簡単なことではありません。修行の成果がなかなか出ないことに焦れ、どうしたらいいものかと考えあぐねていたゾロは、ある日ふと剣の師匠の言葉を思い出しました。
 
『〝最強の剣〟とは……守りたいものを守り、斬りたいものを斬る力』
『世の中にはね、何も斬らない、、、、、、事ができる剣士がいるんだ』
 
 斬りたいものを斬る、けれども何も斬らないこともできる。謎かけのような師匠の言葉の意味するものはいったい何なのかとゾロは考えました。
 坐禅を組み、雑念を払い瞑想すること数日間。極限まで研ぎ澄まされた五感が、これまでにない感覚を拾いました。
「なんだ、これ……? まるで生き物みてェな」
 ゾロはさらに集中を増し、細い糸のように頼りないその感覚を、消えてしまわないように慎重に辿りました。そして、ついに——。
「これは……呼吸?」
 木には木の、土には土の、石には石の特有の気配がありました。もちろん、水にも。それは生の気配とでも呼ぶべきもので、そこにはかすかな、でも確かな息遣いがあります。
 ゾロは一つの仮説を思いつきました。ちょうどその時、ビュウと風が吹いて一枚の葉っぱが飛んできて、ゾロの刀が一閃しました。葉っぱは、見事に真っ二つになりました。
 しばらくすると、また一枚、葉っぱが風に吹かれて飛んできました。再び一閃。けれども今度は葉っぱは真っ二つにはならず、端の方がほんのわずかに切れただけでした。
「いきなり完璧にはできねェか」
 ゾロは、葉っぱの呼吸に合わせて刀を振っていたのです。ゾロの仮説通り、斬りたいもの——この場合は葉っぱ——の呼吸にぴたりと合わせると斬ることができました。逆に葉っぱの呼吸にあえて合わせないようにすると斬らないことができたのですが、まだ呼吸の読みが甘かったために端っこがほんの少し切れてしまったのです。
 今はまだでも、この力を極めればグランドラインをぶった斬ることも可能なはず。そう確信して、ゾロはさらなる修行に励みました。
 その結果、木や石、土、それに鉄などを斬ること、また逆に斬らないことは案外簡単にできるようになりました。しかし問題はグランドラインです。ただの水溜まりを斬るのとは違います。グランドラインをぶった斬るためには、水の呼吸を読むだけでなく、対岸が見えないほどに広い川幅のあちこちで複雑に変わる流れを正確に読む必要がありました。さらには、それだけ幅の広いものを斬るためには並外れた威力も必要です。ゾロは今まで以上に体を鍛え、来る日も来る日もグランドラインと向き合っては、その呼吸を読むことに努めました。
 そうして自分と、そして自然と向き合う中で、ゾロは気づいたことがありました。サンジのことです。 サンジが謎の老爺にグランドラインの対岸へと飛ばされてすぐにゾロはサンジを探す旅に出かけました。たまには村に戻してやってもよいと言われながらなぜゾロはサンジを探しに出かけたのか。それは、幼馴染に対する心配ももちろんありましたが、人が勝手に決めたことに大人しく従うのが嫌だったから、それから中途半端なまま終わった喧嘩の決着を少しでも早くつけたかったからなのだとゾロ自身は思っておりました。けれども、強くなるために自分と深く向き合う中で、それだけではないと気づいたのです。
 サンジへの好意。それがゾロの行動の根底にあるものでした。
 好意といっても、友達や幼馴染として好きだとかいう類のものではありません。やたらと目につき、女の尻を追いかけているのを見ると腹が立つし、笑いかけられれば嬉しくなる。触れられれば胸がざわつくし、つい手を伸ばして触れたくなる——そうやってサンジの表情や行動一つで感情をかき乱されるのは、サンジに対して友達以上の特別な気持ちがあるからなのだと、ここにきてゾロはようやく自覚しました。村の若い女の子たちにどれだけ好きと言われてもまったく心が動かなかったのも、何かとサンジにちょっかいをかけてしまい喧嘩になるのも、そのためだったのです。
「……なるほどな」
 これまでのことが全て腑に落ちて、ゾロは晴れやかな気持ちになりました。スッキリとして、今まで以上に気力がみなぎってきます。「うし!」と気合を入れ直すと、ゾロは一刻も早くグランドラインをぶった斬ってサンジに会いに行くため、ますます修行に没頭していきました、
 
 
 *
 
 
「一年か……だいぶ時間かかっちまった」
 サンジがグランドラインの対岸に飛ばされてから、すでに一年近くが経とうとしておりました。
 一刻も早く村に帰りたいサンジではありましたが、体術を極めるというのはそう簡単なことではなかったのです。日々街のレストランでコックとして働きつつ修行に励み、空へと駆け上がれるようになるまでに半年以上、移動距離を伸ばすのにさらに数ヶ月を要し、これならなんとかなるのではと思えるまでに結局一年ほどかかってしまったのでした。
「ジジイ、まさかくたばってねェよな」
 街のレストランでの仕事をやめ、仮住まいを引き払い、小さなリュック一つを背負ってサンジはグランドラインのほとりに立っていました。
「ゾロ……あいつまだ村にいんのかな」
 ——一年。それは、いろんなことが変わるには十分な時間です。
 祖父と祖父の経営する食堂はよほどのことがない限りおそらく変わりはないでしょう。
 でもゾロは? ゾロに会いたい、村に戻りたいという一心でこの一年を過ごしてきたけれど、果たしてゾロはどうだろうかと、いざ帰らんという段になってサンジは急に不安になりました。なにしろ、世界一の大剣豪を目指していた男です。いなくなった自分のことなど気にも留めず、倒すべき相手を求めてとっくに村を出てしまったかもしれません。それでなくてもありえない程の迷子癖があるのです。これまではサンジが目を光らせていたので事なきを得ていましたが、サンジのいない今、気づかぬうちに村を迷い出て戻れなくなっているかもしれません。それとも——。よもやゾロに恋人が、と考えかけてサンジは頭を大きく振りました。想像ばかりしていても仕方ありません。とにかく今すべきことはグランドラインを渡ること、そして村に帰ることです。
「正直、向こう岸までどれくらいの距離があるのかわかんねェが……まあなんとかなるだろ」
 サンジは目の前を流れ行くグランドラインを眺めました。対岸が見えるべき場所にはどこまでも続く水平線しかなく、対岸とこちらの間にどれほどの距離があるのか見当もつきません。それでも渡りきってみせると決意を新たにし、サンジは宙に向かって力強く一歩を踏み出しました。
 まるで見えない階段でも登るかのようにサンジはぐんぐんと空へ向かって駆けていきます。ある程度の高さまでくると、今度は高度を保ちながら対岸の方へと歩を進めました。それでもまだ、水平線の向こうに対岸は見えてきません。
 どれくらいの時間が経ったでしょうか。変わり映えのない景色に、いったいあとどのくらい行けば対岸が見えてくるのだろうかとうんざりしつつあったサンジは、ふいに大気がビリビリと震えるのを感じました。
 大気を揺らすほどの強大な気。その中に、サンジは懐かしい気配を感じとりました。間違えるはずがありません。この気は——。
「……ゾロ?」
 呟くと同時、轟音とともに眼下に信じられない光景が広がりました。グランドラインが真っ二つに割れたのです。
 なにを馬鹿なことを、と思われるかもしれません。けれど本当に——本当にグランドラインは水平線の向こうからこちら側の岸まで、見事に真っ二つに割れていました。大気が震えたほんの少しあと、まるで天からグランドラインに向かって巨大な刀を振り下ろしたかのように左右に水の壁が生じ、川底が抉れて盛り上がってできた土の壁が堤防の役目を果たし、一瞬にしてグランドラインの彼方から此方をつなぐ長く細い一本の道ができていたのです。そしてその道のはるか彼方から、先ほど感じたゾロの気配が此方に向かって近づいてきます。
 サンジはがむしゃらに空を駆けました。走って走って、ついに細い道の向こうから此方へと駆けてくる春の若草のような萌黄色を見つけました。その腰には刀が三本下げられています、やはり間違いありません。ゾロです。ゾロも同じタイミングでサンジに気づいたようで、立ち止まると空を見上げました。
「ゾロ!」
 サンジは大声で名を呼ぶと、ゾロをめがけて駆け下りました。
 なにせ一年ぶりです。逸る気持ちのままにあっという間に距離を縮め、地面へ降り立つまであと一歩。ようやく叶った再会は、しかしサンジの思い描いたものとは違いました。なぜなら、唐突にゾロが刀で斬りかかってきたからです。
「おい、なにしやがる!」
 瞬時に足を出し、靴底で刀を受け止めながらサンジは怒鳴りました。靴底で受け止めた一振りは、一年前と比べ物にならないほど強く重たくなっています。しかしこの一年でサンジも強くなっておりましたので、軸足一本で踏みとどまることができました。
「チッ、止められたか」
「『止められたか』じゃねーよ! 一年ぶりに会ったってのに、いきなり斬りかかる奴があるか!」
「あの時の喧嘩、まだ勝負ついてねェだろ。続きやんぞ」
 言いながらゾロが再び斬りかかってくるので、サンジも足技で応酬しました。靴底と刀がぶつかり合って激しい音を立て、衝撃が左右の土壁を揺らして土くれの雨を降らせます。
「だいたい、勝負もついてねェのに勝手にいなくなりやがって。しかも、こんな遠くに飛ばされてんじゃねェよ」
「はぁあ!? それはおれじゃなくてあのジジイに言え!」
「どうせ飛ばされた先で女のケツばっか追っかけてたんだろ!」
「ちげーよ!」
「じゃあさっさと戻ってこい! おれァ一年もてめェのメシを食えなかったんだぞ」
「いや、それは……悪かった——けど、おれだって本当はもっと早く戻りたかったんだよ! ジジイと店が心配だったし……」
「……それだけか?」
「は?」
「てめェが早く村に戻りたかった理由はそれだけかって聞いてんだ」
「そりゃもちろん、村の女の子たちに早く会いたいってのもあるけどよ」
「女、女、女。てめェは女ばっかだな」
 女の子たちに会いたいのは本当でしたが、それ以上にゾロに会いたかったのです。けれど、それをバカ正直に言う度胸も素直さもサンジは持ち合わせていませんでした。それでこう答えたのですが、何が気に入らないのかゾロは眉間に皺を寄せ、吐き捨てるように言いました。
「うるせェな、悪ィかよ。さっきから言いたい放題言いやがって」
 プツリ。八つ当たりのようなゾロの態度に、元々あまり気の長い方ではないサンジの堪忍袋の緒が一瞬にして切れました。
「そんなに言うならてめェがさっさとこっちに来ればよかっただろうが!」
「グランドラインを渡るのに思ったより時間がかかったんだよ!」
「なんだ、おれはてっきりどこぞやで迷子になってるもんだと思ったぜ。てめェは救いようのない迷子癖があるからな」
 サンジが鼻で笑うと、ゾロの額に青筋が立ちました。
「誰が迷子だ! だいたい、なんでてめェはいつもいつもそうやって突っかかってくるんだよ!」
「なっ……突っかかってくんのはそっちの方だろ!」
「違う。ただ仮にそうだとすりゃ、そりゃてめェが悪ィ」
「はぁ? なんでおれが悪いんだよ」
「てめェは女と見れば誰彼かまわず口説きまくるし、店の客には笑顔の大盤振る舞いしやがるしでいちいちおれの神経を逆撫でしてきやがる。それに、人の気も知らねえで無防備に小さいケツやらひよこ頭やらを見せつけてきやがって……触りたくなるじゃねェか! ちったァ自重しろ!」
 売り言葉に買い言葉の勢いによるゾロの無自覚な爆弾発言に、サンジは唖然として固まりました。今のはもしかして……いや、そんなことあるわけ……でもまさか、と頭の中を思考がものすごい勢いで堂々巡りをしています。そこへ追い打ちをかけるように、ゾロがさらにとんでもないことを言い放ちました。
「そのうえ一年もいなくなりやがって。——いいか、もう二度と勝手にどっか行くんじゃねェぞ。そんで、口説くのも笑いかけんのもおれだけにしろ!」
 かなり自分勝手な、言いがかりとも暴言とも呼べるものでしたが、これは紛れもなくゾロからサンジへの愛の告白でした。そしてそれがわからないほど、サンジは鈍くはありませんでした。
 しかし、想いが通じることのないまま一生を終えるのだろうと思っていたサンジにとって、ゾロが幼い独占欲をむき出しにするほどに自分を好いてくれているのだという事実は俄かには信じがたく、これは夢なのではないかと思いました。けれども、何度まばたきをしてみてもゾロが目の前から消えることはありません。次に自分の頬を思いきり抓ってみましたが、ただ痛いだけでした。
「何やってんだ、てめェ」
 呆れたようなゾロの声を聞きながら、サンジは胸の内で何かが急速に膨らんでいくのを感じました。どんどんと体積を増し、巨大な風船のように膨らんだそれがふいに弾け、唐突に、今のは全てが現実で、ゾロが自分のことを好いてくれているのだという事実がすとんと胸に落ちました。
 そうとわかれば今すぐにでもゾロに抱きついて、「おれも好きだ」と叫びたいところです。——が、その前にサンジには一つ、どうしても言いたいことがありました。
「……っ」
 軽く俯いて両の拳を握りしめると、地面を踏みしめる右足の輪郭がゆらりと揺れ、直後、膝から下を青い炎が包みました。
「さっきから訳わかんねェ言いがかりつけやがって……好きなら素直に好きって言えこのバカ!!」
 サンジは叫ぶと同時に飛び上がり、青い炎を纏った右足を頭上高く振り上げながらさらに叫びました。
「そんでてめェこそ、一生おれがつくったメシしか食えねえようにしてやるから覚悟しとけ!!」
 構えの姿勢をとっていたゾロは一瞬きょとんとした後、ニタリと好戦的な笑みを浮かべると改めて三刀を構え直しました。
「アホか。てめェこそ好きなら好きって言いやがれ」
 
 そうして刀と足とでさらに地形が変わるほどに激しくやり合う二人を、少し離れたところから眺める者がおりました。
 そうです、サンジをグランドラインの対岸に飛ばした張本人である、あの老爺です。
「仲違いによる喧嘩かと思いきや、まさか痴話喧嘩だったとは。やれやれ、犬も食わないとはこのことじゃな」
 呆れたようなため息をつくと、老爺はよっこらしょと腰を押さえて立ち上がりました。
「離れ離れにしてもどうやら無駄なようじゃし、まあ、ここなら他の者にあまり迷惑をかけることもなかろうて。となれば、わしはこのまま退散させてもらおうかの」
 そう言って喧嘩をする二人をそのままに、老爺は天へと帰って行ってしまいました。
 
 ——その後二人はどうなったかですって?
 今頃きっと、世界一の大剣豪になるというゾロの野望を叶えるために、世界のどこかを二人仲良く、時には喧嘩をしながら旅していることでしょう。
 ちなみに、あの時の二人の激しい喧嘩によって大きく地形が変わり、その結果今や誰もがグランドラインの両岸を行き来することができるようになったということです。

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