『ヤマギくん知らないの? バレンタインはね、好きな人にチョコをあげる日なんだよ!』
だからヤマギくんもあほピアスにチョコあげなよ、私達これからチョコを買いに行くからヤマギくんも一緒に行こう、と力説するエーコさんになかば引き摺られるようにして歳星のショッピングモールまで連れて行かれた。ちなみに、ラフタさんとアジーさんも一緒だ。
鉄華団のみんなへの義理チョコ(普段お世話になっている人に渡すチョコをそう呼ぶらしい)は一瞬で決まったけれど、いざ本命チョコ(こっちは大好きな人にあげるチョコのことだそうだ)を選ぶとなってからが長かった。
正直チョコなんてどれも同じに見えるけれど、彼女たちにとっては違うらしく何軒かの店を行ったり来たり。店の中には女の人ばかりで居た堪れないし、無理やり連れて来られた身としては若干……いや結構うんざりして、たぶん死んだような目をしていたと思う。
でも、好きな人のためにあーでもないこーでもないと真剣に悩む彼女たちの顔はとても幸せそうで、そんな顔を見たら文句なんて言える訳がなかった。だって、好きな人に喜んでもらいたいと思う気持ちは痛いくらいにわかるから。
エーコさんとアジーさんは名瀬さんに。ラフタさんは名瀬さんと、それから昭弘に。
悩みに悩んだ末に彼女たちが本命チョコを買い終えて、これでようやく帰れると息をついた時だった。
『ほら、次はヤマギくんの番だよ』
『いや、俺はいいよ。だいたい、俺男だし』
『何言ってるの、そんなの関係ないわよ。ほらほら、さっさと選ぶ!』
口で彼女たちに敵うはずもなく、抵抗虚しく俺はチョコを買う羽目になったのだった。
*
というわけで、今俺の手の中にはネイビーの包装紙にピンク色のリボンで綺麗にラッピングされた小さな箱がある。箱の中身は、流星号と同じ色をした星型のチョコレート。一目見た瞬間にシノにぴったりだと即決だった。
「結局買っちゃったけど……どうしよう、これ」
絶対にちゃんと渡すこと、とエーコさんに念押しされたものの、渡すことができずにいまだに手の中にある小さな箱。チョコも胸に秘めた感情も、持て余すばかりで手に負えない。
もしこれが、普通の恋なら。
多少悩んだり躊躇したりはするかもしれないけれど、きっとちゃんと渡すことができるはずだ。
でも、俺は男で、シノも男。
そして、シノが好きなのはおっぱいの大きな女の人だ。俺は何一つ当てはまらない。
だからこれは、普通の恋じゃない。歪な恋、叶うことのない恋だ。
それなのに本命チョコだと渡そうものなら、シノのことをきっと困らせてしまう。そんなこと俺は望まないし、そもそもこの気持ちを伝えるつもりはさらさらない。
かといって義理チョコだと渡すのも……ともう何度目かの堂々巡りを繰り返し、やっぱり渡すのは無理だと握り込んだ小さな箱ごと右手をツナギのポケットに突っ込んだ。
「お、ヤマギ! こんなところで何してんだ?」
突然後ろから声をかけられて、びくりと驚いた拍子にポケットの中の手に力が入った。
くしゃりと何かが潰れる音がかすかに響くのを聞きながら、なんでもない風を装って声の方を振り向く。
「シノ。シノこそこんな所でどうしたの?」
「俺か? ちょっと格納庫行こっかなーって思ってよ……あ! そういやヤマギももらったか?」
「もらった? 何を?」
「タービンズのお姉様方が、義理チョコだっつってさっきみんなにチョコ配ってたんだよ。そん時お前いねえみたいだったから」
「ああ、それならエーコさんからもらったよ」
「そっか! てかさー、義理チョコって何なんだろうな? いや、貰えんのは嬉しいんだけどよ」
「なんか、普段お世話になってる人に、感謝の気持ちを込めて渡すチョコのことらしい」
「へー、ヤマギやたら詳しいじゃん」
「エーコさん達に義理チョコ買いに行くのに付き合わされたんだよ。その時に教えてもらった」
「マジか、そりゃ災難だったな」
ほんとにね、と返すと、シノがケラケラと笑った。
「でもよー、なんかいいよな、義理チョコって。俺もヤマギに義理チョコ渡せばよかったなあ」
「ええ? 何でシノが俺に」
「だってヤマギには流星号の整備でいっつもお世話になりっぱなしだろ? ほんと、感謝してるんだ」
そう言ってやわらかく目を細めるシノを見て、胸の中が温かいものでいっぱいになる。
「そう言ってもらえるだけで、俺は十分だよ」
「なんだぁ、欲のないヤツだな。ちなみに俺はヤマギからの義理チョコが欲しい!」
「なんだよそれ」
欲しい欲しいと駄々をこねるシノに呆れたように返しながらも、ポケットの中の小さな箱を思った。
義理チョコだと言って渡してしまおうか。そんな考えが一瞬頭をよぎる。
けれどすぐに、悩むまでもないと俺はその考えを放棄した。だって、俺がシノにあげるべきものはチョコなんかじゃない。
「たしかに俺もシノには色々とお世話になってるからね。とは言っても、義理チョコは用意してないしあげられないけど……他にあげられるものならあるよ」
「おっ、なんだ? 何くれるんだ、ヤマギ!?」
途端に目を輝かせて前のめりになるシノから少し距離をとって、思わせぶりにふふ、と笑う。
「知りたい?」
「知りたい! めちゃくちゃ知りたい!!」
「じゃあ格納庫に行こう」
「あ? なんで格納庫?」
「獅電改——三代目流星号の改修が済んだんだ」
「まっじか! 最高だぜ、ヤマギ!!」
愛してるぜ〜と叫びながら、シノががばりと抱きついてくる。
——愛してるだなんて、ほんと、人の気も知らないで。
長い手でぎゅうぎゅうと締めつけらる痛みとは別の何かが、胸の奥をきゅうと締めつけた。
「シノ……苦しいってば」
「悪りぃ、嬉しすぎてつい力加減忘れちまった」
パッと手を離し、早く行こうぜと待ちきれない様子でシノが歩き出す。
離れてしまった温もりが恋しくて、でももう一度と手を伸ばすことはできなくて、だから俺はツナギのポケットの上から小さな箱を強く握った。
少し歪んでいた小さな箱が、くしゃりと潰れて形を崩す。繊細そうな見た目をしていたから、きっと中のチョコも割れてしまっただろう。こんなものは、もう渡せない。
でも、それでよかった。
俺はシノに、星形をしたチョコなんかよりもっといいものをあげるから。
流星号——シノが望む力と、シノを守る盾を持った、輝くピンクの星をあげる。
それから、「おかえり」を。いつだって、戦いから戻ったシノを俺が一番に迎えてあげる。
俺の全てを、シノにあげる。
だから、チョコは渡せなくていい。
「ん? どうしたんだ、ヤマギ。早く行こうぜ!」
「うん」
前を行く背中に走り寄る。
ポケットの中の潰れた箱がカラカラと音を立てて、胸の奥がまたきゅうと切なく痛んだ。
その痛みと、シノには見せられない胸の内をまとめて全部閉じ込めるようにして、チョコの星を隠した箱を服の上からそっと握る。
それから——。
大好きだよ、シノ。誰よりも、何よりも。
報われることなんか望まない。
だからどうか、人の気なんて知らなくていいから、生きて、生きて、いつも笑って幸せでいて。
目の前で輝く愛しい星に、そっと願いを込めた。