仙人掌の花が咲いたなら

first time

 ギィ、と音を立てて古ぼけたスチール製のドアが開く。
 入ってきたのは、真っ白なスーツに身を包んだ背の高い細身の男だった。
 男は一瞬立ち止まった後、歩を進め部屋の中心にある黒いパイプ椅子に静かに腰掛けた。耳障りな音を立てて椅子が軋むと、再び部屋の中に静寂が訪れる。
 全部で六畳ほどのその部屋は、白い机と透明なアクリル板によって真ん中から二つに仕切られていた。床も壁も天井も全体的に白っぽい色をしており、机と椅子以外の物はなくひどく殺風景だ。
 アクリル板の向こうの部屋にはまだ誰もいない。
 男が手持ち無沙汰に火のついていないタバコを口に咥えたところで、向こうの部屋のドアが開いた。
 最初に入ってきたのは、上下共にライトグレーの囚人服を身につけた体格のいい男だった。その両手は鈍く光る手錠で拘束されている。
 そのすぐ後ろから制服姿の刑務官が姿を現した。刑務官は囚人服の男を促してパイプ椅子に座らせると、自分は部屋の隅にある席に着いた。
 二人の男がアクリル板を挟んで向かい合う。
 ライトグレーの囚人服の男は、若草のような鮮やかな緑の髪をしていた。
 対する白いスーツの男は、右半分だけをオールバックにした秋の稲穂のような金の髪、黒いサングラス、襟元からのぞくサックスブルーのシャツという出立だ。
 白い部屋の中で、鮮やかな色彩達だけがひどく異質だった。
 
「やあ」
 白いスーツの男が、にこやかな笑みを浮かべて囚人服の男に語りかけた。
 俯いていた囚人服の男が、その声に反応して緩慢な動きで顔を上げる。
 白いスーツの男に向けられた瞳は、死んだ魚の目のように濁ってぼんやりとしていた。
「おまえは……誰だ?」
 抜け殻のような虚ろな声。
 白いスーツの男は笑みを崩さぬまま囚人服の男に問いかけた。
「その質問に答える前に、まずは確認だ。おまえは自分のことをどこまで知っている?」
「おれ……?おれ、は、誰だ?……ここは…………おれは、なんでここにいる?」
「要するに、何も分からないってことか」
「わからない…………わからない、なにも」
 囚人服の男は困惑した声で呟くと、両手でぐしゃりと髪を掴み力なく頭を振った。
「それじゃあ一つずつ教えてやろう。まず、おまえの名前は『ゾロシア』だ」
 白いスーツの男が幼子に語りかけるようなゆっくりとした口調で言うと、囚人服の男がわずかに顔を上げた。
「……ゾロ、シア?」
「そうだ。そして、ここは刑務所。おまえは捕まってここに入れられた」
「……刑務所」
 分かっているのかいないのか、囚人服の男は鸚鵡のようにただ言葉を繰り返す。
「それから、おれは『サンジーノ』」
 その名前を聞いても、囚人服の男は何の反応も示さなかった。相変わらずその瞳はぼんやりと濁ったままだ。
「おれは警察に頼まれてここに来た。おまえの記憶を戻す手伝いをしろってことで、これからしばらく週に一回来る事になった。特別待遇だぜ?身内でもないおれみたいな人間、普通は面会なんかできないからな」
「…………」
「まあ、この調子だとあまり役に立てそうにない、か」
 無反応な囚人服の男を見て、苦笑混じりに白いスーツの男が言う。
 それにも何の反応も示さず、囚人服の男はまるで電池が切れたかのように俯いたまま動かなくなってしまった。
 それ以降動く気配のない囚人服の男の緑の髪を、白いスーツの男はただ静かに見つめ続けた。
 そんな状況にもかかわらず、途方に暮れているのとは違う、安堵と、それからどこか歓びすら滲むような沈黙が白い部屋を包み込んでいた。

「時間だ」
 きっかり三十分経った時、後ろに控えていた刑務官が立ち上がって面会時間の終了を告げた。促され、囚人服の男は白いスーツの男の方を一切見ることなく部屋から出て行く。
 その後ろ姿がドアの向こうに消えるまで見送った後、ため息を一つついてから白いスーツの男も立ち上がり、古ぼけたスチール製のドアを開けて出て行った。

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