君へ贈る手紙

 「……もうそんな時期か」
 
 今朝、アルバトロスが一枚の絵葉書を届けに来た。
 絵葉書には、白砂の砂浜に、どこまでも続くエメラルドグリーンの海。
 夏島なのだろうか、空には綿飴を千切ったようなわた雲が浮かんでいる。
 裏には、「Z」の一文字。
 
 
 
 もう十年くらい前のことだ。
 ルフィが海賊王になり、仲間も次々と自分の夢を叶えていった。
 おれも、オールブルーを見つけた。
 あらゆる海の生き物が集う奇跡の海。本当に、夢のような場所だった。
 昔からずっと夢見てきた場所はおれの心を捉えて離さず、相当悩んだ末におれはここで船を降りることに決めた。
 レストランはフランキーが建ててくれた。海を見渡せる小高い丘の上にあって、二階は住居になっている。
 毎朝波の音で目覚め、レストランでおれの料理を美味いと食べてくれる客の笑顔に幸せを感じ、時にはオールブルーで気ままに釣りをする。
 海賊船に乗っていた頃とはまた違う、穏やかで充実した日々だった。
 
 あれは、船を降りて初めて迎えたおれの誕生日のことだった。
 コツコツ、と窓を叩く音で目が覚めると、アルバトロスが一羽、嘴で窓をつついていた。
 窓を開けてやると部屋の中にぴょん、と入ってきて、布団の上に葉書を一枚落とすと、バサリとすぐに飛び立っていった。
 葉書を手に取り驚いた。そこには、あの懐かしい魚を模した船、バラティエが写っていた。
 ジジイからか、と裏を見ると、「Z」の一文字だけが隅の方に書かれている。ゼフ、の頭文字だろうか。
 一言もないのが気になりはしたが、口下手なあの人のことだ。別段おかしなことでもないだろうと、サンジはそのハガキを大切にしまい、久しぶりに愛すべき育ての親へと手紙をしたためた。
 
 次の年の誕生日にも、また葉書が届いた。
 ジャングルの奥地か?鬱蒼とした森の中に恐竜のような生き物が写り込んでいる。
 裏を見ると、また「Z」の一文字。
 ゼフは基本的にバラティエから出ることは少ないし、出ても食材の買い出しが主なので、この絵葉書には違和感を感じた。
(もしかして、ゾロか……?)
 ふと、そう思った。
 ルフィが海賊王になって少しした頃、ゾロは鷹の目との再戦を果たし、結果、世界一の大剣豪の称号を手に入れた。
 その後も仲間と共に旅を続けていたが、おれが船を降りた後少ししてゾロも船を降りたと聞いた。
 時々、ニュース・クーが運んでくる新聞に「挑戦者、大剣豪に敗れる」などと記事が載るので、生きているらしいことは分かったが、仲間の誰も、あいつが今どこで何をしているのか知らなかった。
 病的な迷子癖のあるあいつのことだ。この絵葉書にあるような場所に迷い込んでいてもなんら不思議はない。
 だが、この絵葉書があいつからだとすると、去年届いた絵葉書も、ジジイからではなくあいつからだったのだろうか。
 ——あいつは、バラティエに行ったのだろうか。
 
 それ以降も、毎年誕生日になるとアルバトロスが葉書を運んできた。
 葉書に写っているのは、どこかの市場だったり、夜空にぽっかりと浮かぶ満月だったり、懐かしいアラバスタの風景だったりと様々だった。エレファントホンマグロが一匹ドンと写ったものもあった。
 そして、裏にはやはり「Z」の一文字だけ。
 何年か経つ頃には、この絵葉書の送り主はゾロだろうと確信するようになっていた。
 なんのために送ってくるのかは分からない。
 毎年誕生日に送ってくるということは、誕生日祝いのつもりなのか、はたまた安否を知らせるためだけの便りなのか。
 それとなく仲間に尋ねてみたが、絵葉書はおれにしか来ていない様だった。
 何の誓いも、約束もなかったが、同じ船で旅していた頃はゾロと密かに心を交わし合う仲だったおれは、毎年自分の誕生日になるとあいつが生きていると知って安堵すると同時に、未だにあいつの心におれが居ると自惚れていいのかもしれないと、密かに喜びを感じた。
 
 
 
 そうして、今年も届いた絵葉書。
 ただ、今年はいつもと違って小さな小包も一緒だった。
 包みを開けてみると、中にはピアスが二つ。
 あいつの左耳で、常に三連で存在を主張していたピアスだ。
 あいつに触れる時、あいつの一部であるこのピアスにもよく触れたから、間違えるはずはない。
 
 ——なんのつもりだ。
 
 あいつがおれに何かを贈るなんて、初めてのことだった。
 形見のつもりなんじゃないだろうかと、ふと思った。
 船を降りて尚、血生臭い道を進むあいつは、常に死と隣り合わせだ。
 もしかすると、死を覚悟するような何かがあったのかもしれない。
 心を交わして以降、おれも常に万が一を覚悟はしていた——が、いざ目の前にその可能性を突きつけられると、容易に受け入れることはできなかった。
 
 ——生きてるのか、ゾロ。
 ——このピアスは何なんだ。
 ——一人きりで死ぬんじゃねェよ。
 
 今この瞬間、あいつの隣に居られないことが心底歯痒かった。
 隣で、共に在りたかった。
 それが叶わないのならせめて、とおれは左耳に穴を開け、ゾロのピアスを耳に通す。
 ピアスを身につけると、あいつを傍に感じるような気がした。
 
 すぐにでも安否を確かめたかったが、今日もおれの作るメシを楽しみに店に足を運んでくれる人達がいる。
 一流の料理人として、私情で仕事を放り出すことがあってはならない。
 波立つ心には一旦蓋をして、おれは店を開けるための準備に取り掛かった。
 
 
 
 ランチタイムが終わり、夜の仕込みに入る前の一服をしていた時、ふと懐かしい気を感じた。
 慌てて外に出ると、レストランへと続く道をゆったりと歩く緑頭が目に入った。
 自分の目が信じられず、目をこすり瞬きを数度。
 薄汚れてはいるが、特徴的な左目の傷に、胸を斜めに走る大きな刀傷。
 腰には三本刀。
 そして左耳には、シャラリと揺れるピアスが、一つ。
 間違えるはずがない。あいつだ。
 幾分痩せただろうか。ちゃんとメシは食っていたのか?
 いやそれよりも——
 
 「……お、まえっ……生きてやがったのか!」
 「おお。生憎、まだくたばっちゃいねェぜ」
 ニヤリと笑い、手を挙げてゾロが答える。
 言ってやりたいことは山ほどあるのに何一つ口にできないまま、力の抜けたサンジは膝から地面に崩れ落ちた。
 「十年ぶりくらいか?…髪、伸びたんだな」
 サンジの元に辿り着いたゾロが、膝をつき俯いたままのサンジの髪にそっと触れた。
 しかし、サンジは微動だにせず、俯いたまま沈黙を貫いている。
 「腹が減ってんだ、お前のメシ食わせろ」
 特に気にした風もないゾロがそう口にすると、サンジの全身が細かく震え出した。
 「……く………」
 「あ?」
 「こんのっ……くそマリモ‼︎」
 言うなり、空を切って鋭い蹴りが繰り出されたが、白鞘の刀に阻まれゾロに届くことはなかった。
 「いきなり危ねェ奴だ。蹴りはまだ衰えちゃいないようだな」
 「ハッ、むしろパワーアップしてんだよ!おまえこそ、よく反応できたなぁ?」
 ギリギリと至近距離で睨み合う。
 と、何かに気づいたらしいゾロがふっと殺気を解いた。
 突然何事かと、睨むのをやめ怪訝な顔を向けると、ハハッとゾロがあどけない顔で笑った。
 「つけてくれてんだな、そのピアス」
 左耳にかかる金髪をそっとかきあげ、露わになったピアスを、優しく細められた目が見つめる。
 その視線に、胸がキュウと痛んだ。
 「何なんだよ、おまえ……突然ピアスなんか送ってきやがって、てっきり野垂れ死んだのかと思ったぜ」
 悟られないよう敢えて憎まれ口を叩き、不敵に笑ってみせる。
 「勝手に殺すんじゃねェ、この通りピンピンしてるさ」
 「じゃあなんでピアスなんて送ってきたんだよ。それも中途半端に二つ」
 「あー、いや……」
 珍しくゾロが言い淀む。サンジが目で先を促すと、観念したように真っ直ぐな視線を向けてきた。
 「最後の一つは、おまえに会って直接渡したかった」
 「いやだから、何でおれに渡すんだよ」
 「結婚なんて柄じゃねェし、指輪ってのもどうかと思ってな。……この十年、一人で旅をしながら、気付けばおまえのことを考えていた。無意識に思い出すのなんて、おまえだけだった。……なあコック、おれはどうやら心底テメェに惚れてるみたいだ。離れていても、おれの心はいつもおまえと共に在る。だから…おれの帰る場所になってくれねェか」
 言葉は耳に飛び込んできたが、意味を成さず頭の中を通り過ぎて行った。
 「は…おまえ、何言っ……」
 「必ず帰ると誓う。その証として、おれの体の一部であるこのピアスを、おまえに持っていてもらいたい。受け取って、くれるか?」
 ずるい。ずるいズルいズルイ。
 何だって、この男はいつもこうなのだ。
 「何だよおまえ…おれに、ここでずっとおまえの帰りを待てって言うのかよ……十年も消息不明だった迷子マリモがふざけんじゃねェ!待つ方の身にもなってみろってんだ‼︎」
 怒鳴りながら、炎を纏った蹴りを繰り出す。
 しかしまたもや、白鞘の刀に阻まれた。
 「消息不明じゃねェ、毎年葉書送ってただろうが!」
 「あんな一言もない葉書、誰からなのか分かんねェよ!…そりゃ、何となくおまえからだと思わなくもなかったけど…」
 続けて繰り出される蹴りも、再び止められる。
 「ちゃんと裏に『Z』って書いてただろうが」
 「それだけでわかるかぁっ‼︎」
 蹴りと刀の攻防の合間に、紡がれていく会話。
 「なんだ、鈍いやつだな」
 「テメェの言葉が足りないんだろ!だいたい、なんで毎年三月二日なんだよ!」
 「毎年同じ日に送る方が忘れないからな。おまえの誕生日だろ?絶対忘れないからちょうどいいと思った」
 振り上げられていた足がスッと下ろされ、炎が消える。
 
 だから、何だってこいつはいつもこうなんだ。
 必死に隠している本音が、うっかり出てきちまうじゃねェか。
 
 「何だよ、それ……」
 「おれは、惚れたやつのことは絶対に忘れねェ」
 「……十年も会いに来なかったやつが簡単に言うんじゃねェよ。その間、おれがどんな思いで…っ」
 「心配してくれてたのか」
 「心配…?戦いの道を歩むおまえがいつ死んでもおかしくないってのは、とうの昔から覚悟してた。でも、その時は隣で見届けられると思ってたんだ。だから、おれのいない所で勝手に一人で死なれるのは嫌なんだよ‼︎」
 ソロの眉毛がピクリと上がる。
 「ヘェ……それは、看取ってくれるって意味でいいのか」
 途端、耳まで赤くしたサンジが視線を彷徨わせる。
 「バッ、馬鹿野郎、おれはそんな事一言も……」
 「言ってんだろ。まあ、例え一人で死んで魂だけになったとしても、必ずおまえのところに帰るから大丈夫だ」
 サンジの顔から動揺がスッと退き、代わりに怒りを湛えた瞳が睨みつけてきた。
 「ふざけんなよ……それでおれが喜ぶとでも思ってるのか?魂だけ帰って来やがったら蹴って追い返すからな。必ず、生きておれのところに帰ってこい」
 ゾロが、サンジの左耳のピアスに触れた。チリ、と微かな音が鳴る。
 「それは、さっきの返事でいいんだな?」
 痛いほど真剣な瞳が、真っ直ぐに見つめてくる。
 目を逸らすことなく、サンジはその視線を真正面から受け止めた。
 「ああ。しょうがねェからこのピアスは預かっといてやる。だがいいか、預かるだけだから、必ず生きて取りに帰ってこい。それが条件だ」
 「…わかった、約束する」
 そう言うと、ゾロは左耳に一つだけ残ったピアスを外すと、そっとサンジの手に握らせた。
 サンジはその手をしばらくの間じっと見つめていた。
 それからそっと手を開くと、愛おしむように、ピアスに口付けを落とした。
 「誓いのキスならおれにしとけ」
 言うが早いか顎をクイッと持ち上げられたが、降ってきたのはその強引さとは裏腹な、とても優しいキスだった。
 胸の中に積もり積もった疑心や不安が、春の雪解けのように解かされていく。
 「マリモちゃんは嫉妬深いなぁ」
 「おれが目の前にいるのに、他のモン触るんじゃねェよ」
 「しょーがねーやつ」
 クスクス笑うサンジに苛立つ様子もなく、今度は瞼にキスを落とす。
 「おれは暫くここにいるつもりだ。その内また旅に出るが、どこにいるかわかるように、今度はなるべくマメに便りを出す」
 「その必要はねェよ。そろそろ海が恋しくなってたんだ、その時はおれも一緒に行く」
 思ってもいなかった返しに、ゾロの顔に驚きが浮かぶ。
 「それは構わねェが、店は大丈夫なのか」
 「おれ一人でやってるからな、暫く休めば済むだけの話だ」
 「なら決まりだな。それにしても、十年テメェに触れてないんだ。その分抱くつもりだから覚悟しとけ。だがまずは腹ごしらえだ。久しぶりにテメェの作った飯が食いてェ」
 「とびきり美味いモン食わせてやるよ。特別に酒も付けてやる。その後はいくらでも、おれのことを食えばいいさ」
 じゃあ行くか、と二人は並んでレストランへと歩き出した。
 
 
 + + +
 
 
 「そういや、バラティエの葉書送ってきたのもおまえか?」
 「ああ、あれな。船を降りてまず故郷に帰るために|東の海《イーストブルー》に行ったんだが、その時に寄った」
 「ジジイは元気だったか?」
 「まだピンピンしてたぜ。飯も相変わらず美味かった」
 「そうか、元気にしてるのか……しぶといジジイだぜ」
 「なあ、次旅に出たら一緒にバラティエ行くか?おれもジイさんに挨拶しないとだしな」
 「挨拶って、何の?」
 「そりゃあ、添い遂げるって決めたんだ、親に挨拶に行くのが礼儀ってモンだろ」
 「何だよそれ!あーでも確かに、あの店出てからまだ一回も帰ってないんだよなぁ。夢も叶えたことだし、どこかで報告に行かないととは思ってたんだ。しょうがねェからおまえも連れてってやるよ。だけどいいか、ジジイももう年なんだ、おまえがそんな挨拶したら卒倒しちまうかもしれねェ。だから挨拶はナシだ」
 「あー…」
 (もう既におれ達のことがバレてるってことは、まだ黙っておくか)

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