星を葬送る

赤き氷華

 葬式をしよう、と言い出したのは鉄華団の元副団長、ユージンだった。
 
 世間で「マクギリス・ファリド事件」と呼ばれる騒乱が収束を迎え、その裏で鉄華団が一つの終わりを迎えたあの日。
 生き残った俺たちはタービンズの協力を得て地球への逃亡を果たし、蒔苗先生の元に身を寄せた。その後タカキの協力もあって鉄華団のメンバーの戸籍改ざんが行われ、生贄のリストから名前が消えたことでようやく火星に戻る算段がついた時に、「散っていった仲間の弔いをしよう」とユージンがみんなに提案したのだ。
 反対する奴なんて、誰一人いなかった。
 とは言っても鉄華団の現状では火星で大々的に、というわけにもいかず、地球から火星に戻る途中、宇宙でひっそりとみんなを弔おうということになった。
 俺たちが初めて葬式というものを執り行った、あの日のように。
 
 
 
「あーやっぱりここにいたのか」
 火星へと向かう船の、何もないがらんとした格納庫。一人籠って作業をしていると、がらりと扉が開くと同時に慣れ親しんだ声が響いた。
「ユージン、何?」
 顔をあげた先にいたのは、やはりユージンだった。逆光で表情はよく見えない。
「ヤマギ……あ、今はこの名前で呼ばない方がよかったんだっけか」
「別にいいよヤマギで。今は俺たち二人しかいないんだし、名前が変わっても、俺がヤマギであることに変わりはないから」
「そっか。んじゃあ、ヤマギ」
 どこか歯切れの悪い口調で話しながら、ユージンが右手でガシガシと頭を掻いた。話づらいことを口にする時の彼の癖だ。いったいどんな話が飛び出すというのだろうか。
「あの……さ、頼んどいてナンだけど、本当にお前に任せて良かったのかなと思ってよ……それ」
 言い淀むユージンの視線の先にあるものに気づいて、知らぬうちに強張っていた体の力が一気に抜けた。気が抜けたのが半分、ユージンのためが半分で、大袈裟にため息をついてみせる。
「なんだそのことか。っていうか、今さら」
「今さらなのは百も承知だけどよ、やっぱり俺——」
「気にしてくれてありがとう、ユージン。でも、俺は大丈夫だよ」
 最後まで言わせないように、被せるように言葉を発した。ついでに安心させるように笑って見せると、なぜだかユージンは痛々しいものでも見るかのように顔を歪めた。
「……ヤマギ…………」
 ユージンは優しい。でも、誤解してる。俺は作業を止めて立ち上がると、ズボンの尻をパンとはたいた。
「細工は面倒だけどさ。でも、お金もかかるのにやらせてもらえてむしろ感謝してるんだ。……今の俺がシノのためにできることって、これくらいしかないから」
 そう言いながら、空の格納庫の、本来ならばモビルスーツが鎮座しているであろう場所を見上げた。脳裏に浮かぶのは、目に鮮やかなマゼンタのモビルスーツ。大好きな人の、大切な機体。
 流星号の整備を任されるのは何よりの幸せだった。だってそれが、戦う力も強さもなければ学もなくて——シノが好む柔らかでいい匂いのする女の体も持たない俺が、シノにしてあげられる唯一のことだったから。地獄とさほど変わらないクソみたいな現実から俺を救い出して、命と、生きる意味を与えてくれた、全てを明るく照らす太陽みたいなあの人に。
 大袈裟なんかじゃなく、俺にとってはシノが全てだった。シノがいない世界なんか意味がない、本気でそう思っていた。だから、シノを死なせないために、俺は流星号の整備に全てを懸けた。
 いつだって、シノのためなら、シノが望むなら、俺はなんだってする。してやりたい。今だってその思いは変わらない。なのに、当の本人であるシノは、フラウロス——四代目流星号とともにもう二度と手の届かない遠い遠いどこかへと俺を置いて行ってしまった。
 シノのために何かをしてあげたくても、俺はもう何一つしてあげられない。
 そんな、伸ばした手の指先がただ空を掻くばかりの虚しさに苛まれ、シノという光を失った世界で死んだように生きる俺に、最後にたった一つ、シノのためにできることを与えてくれたのがユージンだった。
 だから、ユージンには本当に感謝しているのだ。
「本当だよ。それにね、前にシノに頼まれたんだ。『俺が死んだ時もあれを派手に咲かせてくれや』って」
「シノが? お前に?」
「うん。それってシノが俺を置いて死ぬのが前提だし、だからそんなことを俺に頼むシノが許せなくて、その時は嫌だって断ったけどさ……本音言うと、今でも許せないし嫌だよ。でも、俺がシノのためにしてあげられることがもうそれしかないなら——、それが例えどんなに許せないことでも、俺はやるって決めたんだ」
 笑顔は完璧だったのに、情けないことに語尾がわずかに震えてしまった。きっとユージンはその小さな揺らぎに気づいたんだろう。何も言わず、そっと肩に手を置いてくれた。
 肩にじんわりと伝わる温かさを感じながら、シノの手はもう少し大きかったな、なんてことを思った。
 今はまだ、こんなに鮮明に覚えている。俺を呼ぶシノの声、太陽みたいな眩しい笑顔、両耳で光を弾く金のピアス、くしゃりと前髪を掻き上げてくる手のひらの大きさ、熱、座った膝の感触、回された腕の力強さ、戦いを終えた後のコクピットのシノの血と汗の匂い。
 あまりにリアルで、目を閉じればすぐ近くにシノを感じる。『頼むぜ、ヤマギィ!』なんて、力強い声まで聞こえてきそうだ。そうやってシノの気配に包まれるのは、切なくて、幸せで、このまま全てを投げ出してずっと浸っていたくなる。けれど——。
「ねえユージン」
 大好きなシノの面影をそっと振り払うように、閉じていた目を開いた。あんなにすぐ側に感じていたシノの気配が消えて、シノのいない現実が戻ってくる。
「なんだ?」
「俺、今でも時々思うんだ。本当はシノは死んでなくて、どこかで生きてるんじゃないかって。そのうちどこかでまた会えるんじゃないか……って」
「ヤマギ……」
「でもきっと世界中、いや、宇宙の隅から隅までどこを探したって、もうシノはいないってわかってる自分もいてさ……いい加減、現実を見ないとだよね」
 直接この目で最後を見たわけじゃないから、亡骸を確認していないから。シノの死を否定する理由なら、いくらでも浮かんできた。でもその一方で、シノがもうどこにもいないんだってことが、理屈じゃなく本能でわかっていた。わかっていながら、頭がそれを理解することを拒んだ。シノの死を、きちんと受け止めるだけの勇気も覚悟もなかった。
「前に団長が言ってたけど、葬式って、死んだ人間の魂が生まれ変わるためでもあるんだろ? だから、俺がちゃんとシノが死んだってことを受け入れて送り出してあげないと、シノはいつまで経っても生まれ変われないってことだよね」
「あ、ああ、そう……だな」
「だから俺、めちゃくちゃ綺麗で派手な氷の華を咲かせて、ちゃんとシノを……みんなを、送り出すよ」
 それに、と俺は少しおどけた調子で続けた。
「あんまりいつまでも弱音吐いて立ち止まってたら、シノに思いきりどつかれそうだから」
 ユージンは一瞬きょとんと目を見開いて、それからハハッとおかしそうに笑った。
「違いねえや。あいつの喚く声が聞こえてきそうだぜ」
 ユージンにつられて、思わずふふっと笑いがこぼれる。一度笑い出したら止まらなくなって、俺とユージンはタガが外れたみたいにひとしきり笑った。ようやく笑いが引っ込んで、笑って滲んだにしては多すぎる目尻の涙をぐいと拭うと、何かを吹っ切ったようなすっきりとした顔のユージンと目が合った。肩に置かれた手に、ぐっと力がこもる。
「頼んだぞ、ヤマギ」
「うん、任せて」

 シノの望みを叶えてあげられるのは、シノのために俺が何かをしてあげられるのは、これが本当に最後。それなのに、いつまでも現実から目を逸らして逃げてるようじゃシノに合わせる顔がない。
 ——ねえシノ。俺、シノの期待に応えられるように精一杯頑張るよ。だから……見てて。

 ユージンが去り再び一人になった格納庫で、中断していた作業を再開する。
 俺の願いが通じたのかはわからないけれど、不思議と誰かが側にいるような——会いたいと焦がれてやまないあの人の優しい視線に包まれているような——そんな気が、した。
 
 
 *
 
 
 あれから数日後。
 葬式の日を迎えた俺たちは、宇宙服を身につけて船の上へと集まっていた。
 空の棺の中に、みんな順番に遺品を入れていく。だんだんと思い出の品で満たされていく棺を眺めていたら、気づけば俺の番になっていた。
 手の中には、あの日シノの左腕に巻いた包帯の切れ端。遺品とも呼べないような代物だったけれど、俺にとっては生きるために戦い続けたあの日々をシノと共に生きた、ただ一つの証だった。それを棺の中に入れようとして——でもどうしても入れることができなかった。
 シノがこの世からいなくなってしまった今、これは俺とシノを繋ぐ唯一のものだ。それを手放してしまったら、俺とシノの繋がりまで消えてなくなってしまうような気がした。
 
 ——ねえシノ。やっぱりこれは、俺が持っておくね。
 
 棺に伸ばしかけた手を戻し、手の中の包帯を、あの日シノに巻いたようにきつく自分の右手に巻きつけた。代わりに、もう一つ手にしていたマゼンタの塗料をそっと棺に入れる。流星号を塗った時に余ったものを、またすぐに使うだろうと取っておいたものだった。
 シノだけの、特別な色。残しておいてもきっと誰も使わないし、使って欲しくもないから。
 
 ——だからこれは、シノが持って行って。
 
 心の中でそう呟くと、俺は棺の側を離れ、みんなの輪から外れた端の方にひっそりと一人で立った。
 ほどなくして、インカムからやわらかく深みのあるユージンの声が聞こえてきた。
「みんな、祈ろう。鉄華団を守って死んでいったあいつら——家族のために。オルガ、三日月、昭弘、シノ……」
 ユージンがシノの名を呼ぶのを聞いて、シノが死んでしまったのだという事実が圧倒的な確かさをもって静かに重く胸にのしか掛かってきた。
 ギシリと心が軋む。深い傷口から、あの日以降ずっと押さえ込んでいたシノとの最後の記憶が溢れ出す。溢れ出る水を止めることができないように、溢れ出す記憶を止める方法などなかった。

 ——こいつが終わったらよ。綺麗なオネーチャンのいる店、奢ってやっからな。
 ——じゃあ、たまには二人で飲み明かすか。

 シノはひどい。俺の気持ちに気づいてたくせに。どんな気持ちでシノはこれを口にしたの? どういう……意味だったの? ねえ、教えてよ、シノ。

 ——ほーんとおっかねえなぁ、お前は。
 ——ばーか、誰が死ぬか! 上がりは見えてんだ、くたばってたまるか!
 
 誰が死ぬかって、くたばってたまるかって、言ってたじゃないか……嘘つき。シノの嘘つき……!
 なんで俺を置いていくんだよ。もう二度と戻ってこないなら、せめて、俺も一緒に連れて行って欲しかった。
 でもきっと、シノは絶対にそれを許さないよね…………シノのそんなところが俺は憎くて、許せなくて——でも、どうしようもないくらいに大好きだったんだ。本当に。
 
「弔砲、用意」
 
 記憶の奔流に溺れそうになっていた俺を、インカムから響くユージンの声が現実へと引き戻す。
 
「打て」
 
 ドン、ドン、という二度の砲撃音に少し遅れて漆黒の宇宙に閃光が走り、次の瞬間、視界いっぱいに目映い氷の華が咲く。
 一つ目は、白。そして二つ目は——目に鮮やかな、マゼンタ。シノの愛した色。
 感嘆と、わずかに混じる戸惑いの声をどこか遠くに聞きながら、俺はインカムのスイッチを切った。
 見上げる先の視界がゆるゆると輪郭を曖昧にしていく。キラキラと残像を残して消えていく氷の華の一部が淡く滲み、それでようやく自分が泣いているのだということに気がついた。
 シノは、カッコ良かった仲間を送り出す時に泣くのはダセェから嫌だって言ってたけど……俺は、どんなにダサくても、みっともなくても、シノのために泣かずにはいられない。この涙がないと、前に進めない。
 シノのいない現実に絶望して、血反吐を吐くような苦しみの先で受け入れて、そしてシノが、みんなが守って繋いでくれた未来へと踏み出すための涙は、一度溢れてしまえば止まることを知らずにどんどん数を増していく。
 拭うことも叶わない涙の粒が、混ざり合ってより大きな涙の粒を作る。
 大きくなって視界を塞ぐ涙の粒に、何一つわからなかったシノの心の一端を知って、シノのいない世界で生きると決めたあの日が重なった。
 
「シノ、見てる?」
 
 煌めく氷の華の向こう、どこまでも深い漆黒の闇に向かって呼びかける。
 
「俺、頑張ったよ。一つを流星号の色にしたのは俺からのサプライズ。この色を出すのものすごく大変だったんだから、見てなかったら許さないんだからね」
 
 流星号と名付けられた機体とともに、文字通り流れ星のように命を燃やし鮮烈に生を駆け抜けていった俺の大好きな人。生きて戻るという約束は守ってくれなかったけれど、この氷の華はどこかで見ていてくれているような気がした。
 
「許さないと言えばさ、俺言ったよね。『死んだら許さない』って。なのにシノは…………死んじゃってさ。俺は絶対にシノのことを許さない。最低でも一発は殴んないと気が済まないよ。だからさ……シノ。俺、シノが死んだってことを受け入れてちゃんと送り出すから、絶対に生まれ変わって。俺も精一杯生きて、それから生まれ変わって……シノがどこにいようと、それが宇宙の果てだろうと見つけ出して殴りに行くから、覚悟しててね」
 
 俺がしつこいの、知ってるでしょ。
 胸の内でそう問いかければ。
『ああ、知ってる』、そう答えるように視界の隅でマゼンタの煌めきが最後の光を放ち、闇に溶けていった。

 ——そうして俺はいつかまた遠い未来で再び会えることを祈りながら、みんなを、シノを、葬送った。

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