甘く、甘く、とける

 初めてのキスは、レモンなんかとは程遠い、しょっぱくてザラザラとした鉄の味だった。
 
 
 
 地平線に半分以上体を突っ込んだ夕陽の、どこか禍々しいオレンジが差し込む教室に、二人きり。
 逢魔が時って言うだろ?
 まるで魔性のモノに魅入られるみたいに、怪しげな、赤ともオレンジともつかない色に染め上げられた互いの瞳を見たら、それまで他愛のない話をしていたおれ達はふっと黙り込んだ。
 
 ——ああ、キスするんだ。
 
 言葉にしなくても、わかった。
 だって、おれ達はキスをするタイミングをずっと探していたから。
 おれもゾロも、生まれて初めてのキス。だから、余裕なんて全くなかった。
 二人ともガチガチに緊張したまま、目を瞑ってえいやっと顔を近づける。勿論というか、案の定というか、勢い余って歯と歯がぶつかり、間に挟まれた唇に激痛が走った。
 慌てて目を開けて顔を離すと、唇が切れて滲んだ血がたらりと垂れて、口の中に血の味が広がる。
 しょっぱくてザラザラした、鉄の味。
 ゾロも同じだったのか、一瞬顔を顰めて、それから「やっちまった!」って顔をしてこっちを見た。
「ふはっ」
 その情けない顔を見たらなんだか笑えてきて、堪えきれない笑いが薄く開いた唇の間か漏れた。
「ふふふ、はは、アハハハハ!」
 一度漏れた笑いは、次から次へとこぼれて止まらない。
 突然気が狂ったみたいに笑い出したおれを、ゾロが仏頂面で睨みつけた。それでも構わず笑い続けていると、への字に結ばれたその口がムズムズと波打ち、やがて耐えきれないかのようにカパッと大きく開いた。
「ははっ」
 気持ちいいくらいの、からりと晴れた空みたいな笑顔。
 ああ、やっぱ好きだな、と思ったら、大失敗に終わったファーストキスさえも愛しく感じた。
「ははは、イッテー! 唇ジンジンすんだけど」
「おれもめちゃくちゃ痛え」
「ほら見ろよコレ」
 二人でゲラゲラ笑いながら、おれは上唇を捲って血が滲んだところをゾロに見せつけてやった。そうしたら、途端にゾロの顔からスッと笑みが消えて——。
 
 ペロリ。ゾロがおれの指ごと、血の滲んだ上唇の内側を舐めた。
 
 ゾロの赤い舌に、それよりも赤いおれの血がぺたりとつく。それがひどく淫らで、大人しくなっていた心臓がドコドコと胸を蹴破らんばかりに再び暴れ出す。
 でも、頭の中は怖いくらいに冷静で、おれは、次に自分がすべきことは何かちゃんとわかっていた。
 だから舐めた。ゾロの唇を。そこに滲む血を。
 柔らかくてしっとりとしたゾロの唇をダイレクトに感じて、さらに鼓動が早くなる。
 触れ合ったままの粘膜からそれが伝わってしまいそうで、おれはそろりと舌を引っ込めた。
 その舌を追いかけるように近づいたゾロの唇が、俺の唇を優しく食む。
 気持ちよかった。
 あまりに気持ちよくて、そのまま金属が溶けるみたいにどろりと形を無くしてしまいそうだった。
 この気持ちよさをゾロにも感じて欲しくて、触れたままのゾロの唇を、今度はおれが食む。
 いつの間にか陽が沈んでいて、薄闇の中、きらりと光るゾロの目が、とろりと蜂蜜を垂らしたみたいに甘く溶けた。
 そしたらもう止まらなくなって。
 おれ達はドロドロに溶けてすっかり混ざり合ってしまうんじゃないかってくらいに、何度も何度も舌を絡め、唇を舐め、食んだ。
 いつの間にかキスは、しょっぱくてザラザラした鉄の味じゃなく、脳を痺れさせるほどに甘美でまろやかな味わいに変わっていた。

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